折れた刃


 シェルターで埃を被っていた車を一台拝借して。ルシアの運転でリヴェル達が向かったのは、ダンピール研究所跡地だった。

 ここで監禁されていた記憶はそれなりに鮮明に残っているものの、雑草が広がりところどころに瓦礫が残っている景色は見覚えがないので、何も思うことはなかった。


「リヴェル、おそらくカインが居るのはここから奥に行ったところだ」

「ホントか?」

「ああ。あいつはどんな小さな約束でも必ず守るような男だからな」


 最後に降りたアーサーがリヴェルの隣に立って、懐かしそうに言った。

 アーサーとカインがどういう関係なのか。リヴェルにはわからないが、きっと大切な人なのだろう。


「よし、じゃあ行こうぜ!」

「待てリヴェ、先走るんじゃない――」


 意気揚々と駆け出したリヴェルを、すぐにルシアとアーサーが追い越す。だが、それも一瞬だった。

 突如、リヴェル以外の全員がその場でぴたりと立ち止まり、呻きながらその場に膝をついた。予想していなかった異様な様子に、リヴェルが慌てて戻る。


「え、え? どうした皆!」

「な、なんだ……これ、は」

「身体が、重い……息が、できな……」


 皆一様に苦悶の表情を浮かべながら、荒い呼吸を繰り返している。一体何があったというのか。

 どうして、自分だけが無事なのか。リヴェルが途方に暮れていると、シダレが声を絞り出した。


「ッゲホ……これ、ジェズアルドさんの結界です。誰も近づけたくない時に使っていたのを思い出しました」

「ジェズの?」

「なるほど……だから、リヴェルには効かないのね」


 蹲りながら、サヤが脱力したように笑った。確かに、リヴェルにはジェズアルドの命令は効かない。

 どうして効かないのかは、リヴェルにもわからないのだが。


「……行け、リヴェル」

「ヒーロー?」


 ぜえぜえと荒い呼吸を繰り返しながら、アーサーがリヴェルを見た。汗をかいた顔面は真っ青だが、リヴェルを見上げる目は力強い光を宿していた。


「今、動けるのはお前だけだ。俺達は大丈夫だから、先に行け。叩きのめしてでもジェズアルドを止めてこい。動けるようになったら、すぐに追いかける」

「で、でも……オレ一人じゃ」

「一人なんかじゃない。お前にはルシア以外にも、同じくらい頼りになる兄が居るだろう?」


 アーサーの言葉に、ハッとする。そうだ、オレは一人じゃない。

 どんな時でも見守って、助けてくれた人が居る。残してくれたものがある。

 たとえ二度と会えなくても、話が出来なくても。


 オレはもう、テュランを理由に立ち止まったりしない!

 

「……うん、行ってくる!」


 皆を残して、リヴェルは走る。背負っていた大剣を抜いて、ジェズアルドとカインを探す。雑草を踏みつけ、瓦礫を縫うように駆け抜ける。


 ――見つけた!


「その復讐、ちょっと待ったあぁ!」

「え、リヴェルくん!?」


 リヴェルの登場が完全に予想外だったのだろう、ジェズアルドが目を大きく見開いてリヴェルの方を振り向く。

 その手には紅いナイフ。

 あれだ。あれが悪いのだ。


 あれさえ無ければ!


「こんなものー!!」

「ッ!?」


 紅いナイフを、大剣でジェズアルドの手から叩き落とす。数多の命を奪ってきた刃であり、星の数程の悲しみを生み出した過去の遺産。

 それが、リヴェルが与えた一撃で粉々に砕け散った。


 テュランの大剣と相殺するようにして。


「……あ、あー!! テュランの剣がー!」


 テュランの剣が、大きな刀身の真ん中から真っ二つに折れた。粉々にするつもりはなかった。ていうか粉々になるなんて想像さえしてなかった。

 マズい、どうしよう。孤児院の子達が凄く大切にしていたのに。謝ったら許して……くれないよな。

 途方に暮れるリヴェルの肩を、ジェズアルドが大きく揺さぶった。


「あばばばば、酔う。ジェズ、コレ酔うぅ」

「ど、どうしてくれるんですかリヴェルくん! 僕のナイフが! カインを殺せる唯一の武器なのに! ていうか、そもそもきみが何でこんな場所に居るんですか!!」

「説明する、説明するからやめてぇ」


 ぐわんぐわんと揺さぶる手から何とか逃げる。こんなに焦るジェズアルドを見るのは初めてだと思いつつ、カインの様子も窺う。

 ジェズアルドが何かしたのか、致命傷のような怪我はないにも関わらず動くことが出来ないらしい。アーサー達と同じだ。

 もう一度、ジェズアルドに視線を戻す。


「ジェズ、オマエの言ってるコトとやってるコト、ちぐはぐでおかしいぞ」

「おかしい? 何がおかしいと言うんですか」

「だって、ジェズが本当にカインを殺したいなら、別にあのナイフが無くても殺せるだろ。アベルのナイフでカインを殺せるのなら、その持ち主であるアベル自身にも同じ『権利』がないとおかしいからな」


 ジェズアルドが瞠目した。この反応、どうやら図星のようだ。

 そう。カインを殺す権利を持つ者こそがアベルであり、ナイフはアベルの所有物でしかないのだ。

 だから、ジェズアルド……いや、アベル本人ならばナイフでなくとも、銃や剣でもカインを殺すことが出来る。

 それなのに、彼はわざわざナイフを回収した。


「ジェズ自身にカインを殺せる権利があるなら、ナイフなんて必要ないだろ。むしろ、銃の方がラクだし確実の筈。そもそも、やり方が回りくどすぎる。オレが想像も出来ないくらい途方のない時間を過ごしてきたんなら、今までにカインを殺す機会なんて何回もあったんじゃないの? この人、とんでもなく不器用そうだし」

「やめ……やめて、ください……」

「ねえ、何でヒーローからナイフを回収したの?」


 ジェズアルドが見たことない顔をしている。ああ、この状況知ってる。正確には違うけど。テュランがお姉ちゃんを追い詰めた時と似ている。

 ……テュラン。オレ、こういうの向いてないや。今すぐ止めて、ジェズや皆と一緒に帰りたい。

 でも、それだと何も変わらないんだよな。だから、キツくても痛くても、オレはジェズに言ってやる。

 これを言うために、あの時テュランを振り払ったのだから。


「当ててやろうか? あのナイフは、カインがアベルを惨殺した証拠であり、その象徴。そして、オマエが復讐をする理由。だから、オマエは復讐する為の理由をわざわざ取り戻したんだ」

「やめて、やめてください……リヴェルくん、お願いですから」

「やめないよ。オマエにずっと言いたかったコトだから。ねえジェズ、そんな理由に背中を押して貰わないと出来ない復讐なんて、復讐じゃない。オマエ、?」


 言えた。言ってやった。スッとした。いつからかは覚えていないが、いつかジェズアルドに言ってやろうと思っていた言葉だ。

 時折、ジェズアルドがリヴェルとルシアに向けてくる視線の意味に、リヴェルは気づいていた。

 兄と弟。兄弟を繋ぐ見えない絆。ルシアとテュランという兄が居たからわかる。

 ジェズアルドは、その絆が羨ましかったのだ。自分もかつて持っていたのに、失くしてしまったもの。

 彼は自分のせいで、失くしてしまったと思っているのだ。


「……は、はは。何を言ってるんですか、リヴェルくん。僕がカインを殺したくない? そんなわけないじゃないですか。この男は、僕のことを殺したんですよ。神の寵愛が横取りされたという、子供のような理由で!」

「カインを本当に恨んでるなら、ジェズは何で神サマの元を離れたの? 神サマにちやほやされるコトがカインの望みなら、ジェズはそれをこれみよがしに独り占めしてればよかったじゃん」


 うぐ、とジェズアルドが押し黙る。テュランの復讐を、憎悪を知っているからこそリヴェルにはわかる。

 ジェズアルドの憎悪は、あまりにも生温い。


 ……そんな生温い憎悪なんかで彼が傷つくくらいなら、


「ジェズは……いや、アベルは最初からカインのことを恨んでなんかいない。ただ、悲しかっただけだろ?」


 こんな復讐、木っ端微塵にしてやる!


「オレさ、思うんだよね。ジェズとカインって、オレとテュランに似てるなって。あ、弟のオレがどんくさいから、その辺は逆だケド。だから、カインの立場になって考えてみたんだ」

「カインの、立場?」

「うん。オレがカインならどうするかなーって。で、気づいちゃったんだよね。カインは確かにアベルを逆恨みした。でも、

「……見当違いですよ、リヴェルくん。全部思い違いです。きみだって知っているでしょう? この男は、自分のことしか考えて――」


 そこまで言って、ジェズアルドの表情が強張る。どうしたのか、と聞く余裕はなかった。


 ゆらりと振り上げられた、巨大な三日月型の刃。

 完全に、油断していた。


「……あ」

「リヴェルくん!」


 ジェズアルドの必死な声が聞こえた、次の瞬間。リヴェルの視界が、真っ赤に染まった。 

 



 

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