信じるということ
※
時間は飛ぶように過ぎていった。リヴェルはテュランの記憶から何度もパスワードを探すが、一向に見つかりそうになかった。
だから、ひとまずテュランが入力しそうな数字や単語を片っ端から入力してみた。回数制限がないのは幸いだが、今のところリヴェルの入力は全て弾かれてしまっている。
『設定変更不可。再度パスワードを確認してください』
「うう……わかんねぇ」
無機質な機械音声が、既に百回は聞いたセリフを繰り返す。そもそもリヴェルはこういう機械とか、頭を使うことが好きではない。今すぐ全部放り投げたいくらいだ。
実際、今までの……少なくともアルジェントに来る前の自分だったら、諦めて投げ出していただろう。
でも今は、今だけは諦めるわけにはいかない。
「…………」
横目でアーサーを見る。相当疲れているのか、座り込んだまま口を開くことすらしなかった。どうしてそんなに消耗しているのかリヴェルは気になったが、理由を効くのはなんとなく気が引けた。
外からは絶えず銃撃の音が聞こえてくる。ルシア達が戦ってくれているようだ。
皆、生きることに必死だ。だから、自分がどうにかしないといけないのに。
「もう、五分しかない……」
時刻の表示が、リヴェルを追い詰める。あと五分で、アルジェントが地図から消える。大切な人達が皆死んでしまう。
それだけは駄目だ。
でも、どうすればいい?
『――これが爆発する前に、ちゃんと来いよ。泣き虫』
「ッ!!」
頭に流れた映像を、頭を振って追い出す。これは、違う。オレが探している記憶じゃない。
これは……弱いオレが生み出した、妄想。
「らしくないと思わないか」
「え?」
今まで沈黙を保っていたアーサーが口を開いた。目の前の爆弾を、美術品でも眺めるかのようにぼんやり見つめている。
「この爆弾は確かに、アルジェントの人間達を皆殺しにするには最高の一撃だろう。だが、これが爆発したら一瞬で終わる。テュランは拷問好きだ。現にグールの存在は、国への拷問だと考えられる。それを、こんな爆弾であっさり終わらせるとは思えない」
そう言うと、アーサーがリヴェルを見て自虐的に笑った。決してリヴェルを責めるのではなく、思い出を語るように話す。
もしかしたら、アーサーが見ているのは自分じゃないかもしれない。リヴェルも目の前の爆弾を見やる。
「……オレが知ってるテュランと、ヒーローが知ってるテュランって違うんだな。オレが知ってるのは、全部一人で背負い込んで、何でもないような顔してずっと痛いのを我慢する悲しい人だよ」
「シダレが言っていたな。人によって感じ方は違う。それが故人ならば尚更だ」
「自分の都合がいいように、その人を歪めてしまう……すごく、わかる」
破滅まで残り三分を切った。パスワードを特定しないといけないのに、頭に浮かぶのはある記憶だけだ。
いや、記憶と呼んでいい代物かどうかさえわかないのだが。
「……オレ。本当にどうしようもない甘ったれなんだよ。テュランに謝ることも出来ないのに、自分の中でテュランを歪めてしまうんだ」
「どういう意味だ?」
「……テュランが、本当はオレのコトを知ってたんじゃないかって」
アーサーが何か言おうとして、そのまま言葉を飲み込んだ。わかっている。
これが、オレの都合のいい妄想だってことは。
「色々妄想しちゃうんだよ。もし、テュランと一緒にアルジェントから逃げられていたら、助けられていたら、どんな時間を過ごせてたのかなって。オレはどんくさいから、多分勉強も運動もテュランに勝てないだろうな。そしたら絶対、悔しくてオレは泣きわめくと思う」
「リヴェル」
「あ、いっそ人間と人外の差別がない世界で生まれていたらっていうのも考えてみたぜ? オレとテュランは学生で、一緒に勉強するんだ。でも、やっぱりテュランの方が……頭、いいから……」
嗚咽のせいで、うまく喋れない。涙で滲む視界を拳で拭っていると、いつの間にか立ち上がっていたアーサーがリヴェルの手を掴んだ。
それでも、もう止められなかった。
「っ……イタいだろ、オレ。バカだろ。そんなコト、あるわけないのに。自分が一番ありえないってわかってる筈なのに。どうしても期待しちゃうんだよ。テュランがオレのコトを知っていたら、オレという存在を肯定していてくれたらって」
「……お前は皆の為に、ここに残った。それだけでも、お前は凄いやつだ。誰にでも出来ることじゃない」
「違う! オレは一人じゃ何にも出来ない、どうしようもなくダメなヤツなんだよ!!」
アーサーの手を振り払う。それでも、アーサーの手は何度でもリヴェルに伸ばされた。
何のために。わかってるのに、受け入れられない。
「ヒーローにはわかんねぇだろ! 同じ顔の兄弟が、全然違う境遇だなんて! 皆、どうして知らないフリしろって言うんだよ。関係ないなんて言うんだよ。テュランはルシアと同じ、オレのお兄ちゃんなのに!!」
血を吐くように、リヴェルが叫んだ。本当に喉が切れたのか、ヒリヒリと焼けるように痛む。
でも、こんな痛み、テュランが受けていたものとは比べ物にならない。
「……ゴメン、ヒーロー。オレ、さっき嘘ついた。ここにテュランが来た記憶、ちゃんと覚えてる」
「本当か?」
「この部屋かどうかすら、あやふやなんだけど。テュランが打ち込んだパスワードも覚えてる。ただ、それが本当なのか、オレの身勝手な妄想なのか……オレには判断出来ないんだよ」
そもそも、以前アーサー達に説明したように、復讐を始めた以降のテュランの記憶は本当にごちゃごちゃとしているのだ。
だから、自分の記憶や思考と混同してしまっているのかもしれない。自分に都合のいいように変えてしまっているのかもしれない。
あの時、オレを助けてくれたテュランのように、妄想の産物なのかもしれない。記憶なんてものは、それくらい朧げなものなのだ。
「……そうだな。俺には兄弟なんて居ないから、お前の気持ちはわからない。まして双子でシンクロ能力がある存在なんて、想像も出来ないさ」
でも。アーサーが続ける。
「それなら、最後はテュランを信じてみたらどうだ?」
「は?」
「お前はテュランのことを兄として慕っているが、出てくる言葉の半分は否定の言葉だ。前にテュランの記憶にずっと助けられたって言っていたな? それなのに、最後の最後で信じてやれないのは流石にあいつも哀れだ」
そう言って、アーサーが表示された時刻を指さす。残り時間は一分を切っていた。
「お前が入力するパスワードが正しければ、お前が信じるテュランは俺達を翻弄した復讐者と同一人物だ。逆に間違いであれば、アルジェントは滅亡。どちらにしても、あいつの思う通りに事が運ぶわけだ。それなら、信じた方が後腐れないだろう。何より、疑うよりも信じる方が精神的にラクだ」
「……ヒーロー、雰囲気変わったな。何かあったの?」
リヴェルの問いかけに、アーサーは力なく笑うだけだった。今はもう、理由を聞くだけの時間もない。
「……残り三十秒か」
試せて、あと一回。リヴェルは覚悟を決めて、操作盤の前に立った。
そして、もう一度だけ思い出す。
『二十文字……書きたいコトは色々あるのに、大して書けねぇなぁ』
一年前の今日、つまりテュランが死を覚悟した前日。あいつは、この爆弾を爆発させるつもりはなかった。
というより、テュランはこんなもので一瞬で終わってしまうのは単につまらないと思っていた。自分を苦しめた人間たちに、出来るだけ長く苦痛を与えたかった。
だから、この爆弾は単に自分の記憶にインパクトを与えたかっただけだ。
『……ま、こんなもんか』
何度かやり直して、テュランがパスワードを登録した。
そして、自分が残したそのメッセージを眺めながら、満足そうに笑うのだ。
『これが爆発する前に、ちゃんと来いよ。泣き虫』
文字を打ち終わって、改めて見直す。打ち間違いはない。アーサーが驚いているのが伝わってくるが、彼を見る勇気が出ない。
だって、これはきっと妄想だから。オレが作り出した都合のいい双子のお兄ちゃんだから。
……ごめんな、テュラン。
「死んだら、オマエと同じところに行けるのかな」
残り五秒。カウントダウンを始めた音声に、指が震える。
残り三秒。このまま押さないことも出来る。でも、信じようと思った。
残り一秒。ぎゅっと目を瞑って、息さえも止めて。震える指で、登録のキーを押し込む。
……一秒が、長い。永遠のようにも感じる。
覚悟した瞬間が永遠にやってこないことを知るのは、音声が淡々と告げてからだった。
『――パスワードの入力を確認しました。設定の無効化を承認します』
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