制裁
やっと合点がいった。大統領がリヴェルを探していた本当の理由、それはこの爆弾のパスワードを入力させ、設定を変更するためだったのだ。
……でも、
「え……パスワード?」
「そうよ。さあどうぞ、リヴェル。このまま入力すれば、そのまま設定を無効化出来るわ。そうすれば、あなたは自由よ。あなたはテュランとは違って大人しそうだから、もう追いかけたりしないわ」
大統領に促され、操作盤の前に立たされるリヴェル。オレンジ色に点滅する数字が、刻一刻と設定された時間に近づいていく。
このまま設定を変更出来なければ、この国は世界から一夜で姿を消すだろう。
だが、リヴェルの手は動かない。
「……い」
「え?」
「そんなの、わかんない。オレ、パスワードなんて……知らない」
震える自分の肩を抱き締め、絞り出すようにリヴェルが言った。
大統領が血相を変える。
「な……何を言ってるの? あなた、ここに居る全員だけじゃない、国中の人間が死ぬのよ⁉ ふざけないで!」
「ふざけているのはお前だ。お前はランダムに選んだ二十文字を、メモに残さず一年先まで覚えていられるのか?」
リヴェルに掴みかかろうとした大統領に、ルシアが銃口を向ける。大統領の思惑はわからないでもないが、ルシアが正しい。
アーサーが彼女の前に歩み寄る。リヴェルを庇うように。
「……閣下。あなたの選択が間違いだったとは言えません。破滅寸前のこの国から逃げずに、問題を解決しようとしたことは素晴らしいと思います。ですが、パスワードを入力させるためなら、どうしてカインに力づくでリヴェルを連れてくるよう命令したのですか?」
「ふん、カインがどういう方法をとっていたのかなんて知らないわ。私は指示を出しただけ、後はあの男が勝手にやったことじゃない」
「いいえ。カインは無意味に暴力を振るう男ではありません。彼は……あいつは、臆病な男です。この世界で誰よりも強大な力を誇るくせに、失うことに怯え、誰かが傷つくことを恐れています。あなたは、カインの弱みを利用した」
違いますか? アーサーの追及に、大統領は何も言わなかった。言えなかったのだろう。
「……もういいわ。部隊長、撤退よ」
「て、撤退ですか⁉」
「ええ。このままここに居たら死ぬもの。こんなゴミクズみたいな国と心中だなんてゴメンだわ」
嘲笑を浮かべたまま、大統領が踵を返す。いや、もう彼女を大統領と呼ぶのもおぞましい。さらけ出した本性に、アーサー達だけじゃなく、付き従う兵達も何も言えなかった。
たった一時間の猶予で安全圏まで逃げることなど、もう不可能だというのに。
「閣下、危ない!!」
「え――」
意外にも、制裁はすぐに行われた。ルシアを押しのけるようにして出口へ向かった大統領達を、降り注ぐ銃弾の雨が襲った。
肺の底まで入り込む、幾重にも折り重なった腐敗臭と鉄錆の臭い。現れたのは、両腕が機関銃と同化した異形の屍。
アーサーは咄嗟にリヴェルを庇い、姿勢を低くさせる。サヤとシダレも、何とか防御姿勢をとる。
「ルシア!」
「わかっている」
間髪入れずに、ルシアの銃が火を噴いた。的確に急所を撃ち抜かれたグールは、おぞましい呻き声と共にその場に倒れ込み、動きを止めた。
「くそ、この部屋の気密性が仇となったな。俺でもグールの接近に気づかないとは」
「それに、この一体だけじゃないみたいですね」
ジェズアルドが扉に駆け寄り、外の様子を窺うもすぐに鍵を閉めた。すると次の瞬間、凄まじい勢いで扉が殴りつけられた。
何度も、何度も。一体だけじゃない。どうやら何十体ものグールがここに押しかけているようだ。
「リヴェル、大丈夫か?」
「う、うん」
「サヤ、シダレ。怪我は?」
「おれっちは無傷っす」
「私も無事よ。でも、大統領達が……」
サヤが立ち上がり、大統領達に駆け寄る。大統領も、重装備の兵士達も、至近距離で放たれた機関銃の弾丸の前ではなす術がなかった。
アーサー達以外は、全滅した。
「あ……お、オレ。オレの、せいで」
「落ち着け、リヴェル。お前のせいじゃない。だが、どうしてグールがこんな場所に」
「やつらにとっての食料が少なくなってきたせいだろう。もしくは、ここに居るホラ吹き吸血鬼の血が目当てか」
「もう、きみはすぐ他人のせいにしますね。悪い癖ですよ、ルシアくん」
ルシアとジェズアルドの争いは聞き流すことにして。その場に座り込み、荒い呼吸を繰り返すリヴェルを何とか落ち着かせようとアーサーが背中を擦ってやる。
だが、どうすればいい? 幸いと言うべきか、アーサー達と爆弾を隔てるガラスは防弾ガラスのようだ。機関銃の攻撃を受けたにも関わらず。多少傷がついた程度で済んだ。
このシェルターから脱出しても無意味だ。逃げ出したとしても、水素爆弾の火が届かない場所まで移動するのは不可能。
「る、ルシアさん……この爆弾、分解出来たりしちゃいません?」
「お前、ダンピールが放射能にも耐えられると思っているのか?」
「そういう問題じゃないと思うけれど」
爆弾本体をどうにかするのも不可能。とにかく、何をするにも時間が足りない。
パスワードを入力するしか、この状況を打破する方法はない。
「……アハ、絵に描いたような絶体絶命ですね!」
緊迫した状況を嘲笑う声。全員が一斉にジェズアルドを見る。
「ジェズアルド……本当にパスワードを知らないのか?」
「こんな時に嘘なんかつきませんよ」
「あなた、この爆弾の存在を知っていたのよね? どうして今まで黙っていたの?」
「それがテュランくんとの約束です。彼が命をかけて残した最後の一撃、それを台無しにするようなことはしません」
それに、ジェズアルドがルシアとリヴェルを見ながら続ける。
「二人にはちゃんと警告しましたよ。この国は危険だって。それを無視したのは、きみ達の方ですよね?」
「それ、は……」
ルシアが言葉を飲み込む。いつもならジェズアルドの言動には逐一噛み付くのに、今回ばかりは彼らに否がある。
何も言い返せないルシアを尻目に、ジェズアルドが目を細めて笑う。
「さてと。種明かしも済んだことですし、僕はそろそろ失礼しましょうかね」
「待ってジェズアルド、どこへ行く気?」
「決まってるじゃないですか、逃げるんですよ。ディアヌさんも言ってましたが、こんな国に道連れにされるなんて嫌です。僕はまだ死にたくないので」
お忘れですか? 紅い吸血鬼が残酷に微笑む。
「僕は吸血鬼。霧のように現れ、そして去る者。本気を出せば、ここから国外までなら一瞬で移動出来ます。疲れるので普段はしませんけど、今は緊急事態なので出し惜しみはしません。どうせカインもとっくに逃げたでしょうし、この国に居る理由はもうありません。言っておきますが、きみ達を助けることは僕の力では無理なので諦めてくださいね」
「……そういうことだろうと思ったわ」
「あー、でも……ふむ、気が変わりました。一人くらいなら、何とかしてあげましょう」
くすりと笑って、彼は座り込んだままのリヴェルの前まで歩み寄り膝をついて右手を差し出した。
「というわけでリヴェルくん、僕と一緒に行きませんか?」
「……何で、オレなんだ?」
「だって、他の人達を助ける理由なんて僕にはありませんもの。でも、きみだけは違う。きみは僕のお気に入りですから。ルシアくんの代わりに、これからは僕がきみを護ってあげますよ。怖い思いも、痛い思いもさせないとお約束します」
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