ヒーロー

 テュランの目が大きく見開かれる。やっと、やっと届いた。

 あの時、届かなかった手。これでテュランが救われるわけではないけれど。少なくとも、アーサーは少しだけ変われた。


「はあ? 何言ってんだ、テメェは復讐するんじゃねぇのかよ。リヴェルはまだ生きてるぞ。コイツのせいで、テメェは大事なものをたくさん失ったんだろ?」

「ああ。だが、与えられたものも少なくない。それに、リヴェルとルシアも被害者だ」

「じゃあ、許すのか? テメェは、リヴェルを許せるのか? コイツは、テメェが失ったものを全部持ったまま、ぬくぬくと暮らしていくんだぞ」


 テュランの言葉が、アーサーの傷を抉る。アーサーが失ったもの、つまり家族。確かにその通りだ。

 ……いや、違う。全くその通りというわけではない。


「今の俺には、頼りになる仲間達が居る。まあ、こんなことをしでかした時点で愛想を尽かされるかもしれないが。リヴェルを殺さずに済んだんだ、どんなに時間をかけてでも信頼を取り戻す努力をするつもりだ」

「はあ、そうかよ」

「それに、リヴェルにも失った人が居る。俺がわざわざ手を下す必要なんか、最初からなかった」

「そんなヤツ居ねぇよ。あ、もしかして生みの親のこと言ってる? 残念だケド、俺達は親のことなんてこれっぽっちも覚えてねぇよ――」

「リヴェルが失ったのはお前だ、テュラン」


 あ、とテュランが固まった。今こうして話しているのは、リヴェルの記憶から生まれた疑似人格でしかない。

 テュランを思って、リヴェルは泣いていた。例え会ったことがなくとも、テュランが何も知らなくとも、リヴェルにとってテュランは大切な存在だった。

 リヴェルが大切な人を失う痛みがわかっているなら、もう十分だ。


「……チッ、くだらねぇ。萎えた。つうか離せよ、いつまで手ェ繋いでるつもりだ。野郎同士でキーモーイ!」

「いいことを思いついたぞ。今のお前をサヤに見せよう」

「はあ!? ふざけんなっ、マジでいい加減にしろよヒーロー!」


 掴んだ手をぶんぶんと振り回されてしまい、堪らずアーサーはテュランから手を離した。舌を打ちながら、テュランが腹を擦りながら立ち上がる。


「あーあ、くっだらねぇ。種明かしして損した。腹いってえ」

「それにしても、リヴェルが多重人格者だったとはな……今までもリヴェルの代わりに、お前が出てきたことはあるのか? ルシアは知ってるのか?」

「さあな、忘れた。でも、お兄サマは知らねぇと思うぜ。……あの人は、知らなくていいコトだ」

「もう一つ、腑に落ちないことがある。リヴェルはどうしてヴァニラのことだけを知らないんだ?」


 アーサーの問い掛けに、テュランの動きが止まった。

 そして、観念したかのように苦い笑みを浮かべる。


「マジか……それ、聞く?」

「どういう意味だ?」

「ヒーローならわかると思ったケド、わかんねぇのかー。マジかー、引くわー」


 落ち着かない様子で行ったり来たりしながらがしがしと髪を掻いて、ため息を吐くテュラン。どうやら本気で呆れられてしまっているようだ。

 だが、アーサーには本当にわからなかった。


「な、なんだ。どういう意味だ、ちゃんとわかるように言え」

「わかるように、ねぇ……」


 ぴたりと足を止めたかと思えば、テュランがつかつかと早足で歩み寄ってくる。そして少しだけ低い位置から、アーサーを睨みつけてくる。


「じゃあさヒーロー、もし俺がおねえちゃんを奪ったらどう思う?」

「……は?」

「あ、命を奪うって意味じゃなくて。こう、ちゃんと告白して付き合ってー……っていう意味」


 どう思う? テュランがニンマリといやらしい笑顔で首を傾げる。わかるように言えといったのに、質問で返してくる辺りは本当に反抗的だ。

 まあいい。アーサーは言われた通りに想像する。サヤとテュランは幼馴染で、姉弟のような関係だ。

 しかし、テュランは頭がよく隙がない。対してサヤもしっかり者だが、愚直と言えるくらい真っ直ぐ前しか見ていないことがよくある。彼女の欠点を、テュランなら難無く補えるだろう。

 こう考えてみると、二人の相性はいい。ただ……何だろう。

 なんというか、面白くない。


「……自己嫌悪で死にそうだ」

「えっ、何でそうなる?」

「お前のような狂人が、とか。もう死んでいるくせに、だとか。とにかくサヤから遠ざける為の理由を探してしまう。お前じゃなくても、リヴェルやルシアであっても、サヤの隣りに誰かが居るのを想像したくない」


 サヤはアーサーにとって、誰よりも大切な人だ。だから幸せになって欲しいという思いは強い。

 でも、なぜだろう。彼女の隣りに、誰かが居るのは嫌だ。誰かの隣りで幸せに笑っているサヤを想像するだけで胸が苦しくなる。

 彼女の幸せを喜べない自分が、この世界で一番醜い生き物だと感じた。

 それなのに、テュランは笑った。

 

「ぷっ、あっはははは! それだよ、それ! なーんだ、流石のヒーローでも脳ミソはちゃんと血が通ってんだな」


 今までの蔑むような嘲笑ではなく、本当に面白くて仕方がないと言わんばかりの笑顔だ。テュランらしくない歳相応の姿に、アーサーは思わずたじろぐ。


「な、なんだ。笑うな!」

「ふはっ、ムリだろ。だって、俺と同じだもん」


 先程力いっぱい殴り付けた腹を抱えて笑いながら、テュランが言った。


!」

「なっ――!?」

「アーサー! リヴェル! まさか屋根の上に居るの!?」


 耳まで熱くなる顔を覆おうとしたその時、サヤの声が下から聞こえてきた。噂をすればなんとやら、というやつか? いや、アーサーが残したメモを見つけて追いかけてきたのだろう。

 マズい。会って色々と謝りたい気持ちはあるが、今の顔だけは彼女に見られるわけにはいかない。でも、ここは屋根の上。隠れられる場所なんかない。

 恥ずかしさでパニックになりそうなアーサーの手を、テュランが掴んだ。


「テュラン?」

「最後だから言っておく。あの時、ちゃんと見えてたぜ。俺を助けようと、この手を伸ばしてくれたアンタのコト」


 ふっ、と表情を和らげて。テュランが続ける。


「間に合わなかったとか、届かなかったとか、結果なんかどうでもいい。俺はあの時、アンタに救われた。だから、俺にとってアンタはヒーローなんだよ」


 耳を疑った。幻覚かと思った。事実、目の前に居るテュランは幻のような存在である。

 それでも、彼の言葉は真実だ。根拠はどこにもないけれど……違う、そうじゃない。

 真実であろうと、嘘であろうと。アーサーは信じるしかなかった。

 なぜなら、その言葉こそがアーサーにとっての救いだったから。だから、テュランに手を引っ張られても、手を離す勇気なんか出なくて。


「アハッ、でも今度は届いちゃったから……道連れの刑だー!」

「道連れって……ちょ、ちょっと待て! ここがどこだと思って、まさかお前!?」

「ふ、二人とも危ない――」


 その結果、サヤと入れ違うタイミングで、二人揃って屋根から地上まで落下した。


 

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