安堵

 幸いだったのは、この工場が二階建てであること、そして落下した先がゴミ置き場だったことだ。

 そもそも、ここは食料品を加工する工場だったようだ。このような工場では通常、廃棄物は再利用されるか、焼却場へ収集される。ただ、この工場は一年前の騒動以降もしばらく稼働していたらしい。他の工場が止まろうが、焼却場が破壊されようが。

 要約すると、食料品は生産していたが、廃棄物は行き場所がなく外に置いておくしかなかったらしい。


 つまり、俺達が落下したのはそのゴミ山のど真ん中だったわけで。


「ぶはっ! く、クサッ! くさあああぁ!!」

「は、鼻が……ひどい、臭いだ」


 ゴミ山の中をもがき、二人で何とか外へ脱出する。ゴミのおかげで大した怪我はせずに済んだが、ゴミ自体はずっと放置されていたゆえに原型を保てていない。

 言い換えると、腐敗臭が凄い。


「うえぇー! は、吐きそう……げええぇ」

「お前……リヴェル、か?」


 地面に四つん這いになって、うんうんと唸るリヴェルを見やる。そこに居るのは、もうテュランではなかった。

 紅い髪に、銀色の瞳。なにより、隙だらけの背中はリヴェルだ。

 言いたい放題言って、テュランは消えてしまった。


「あいつ……言い逃げして消えるとは、卑怯だ」

「うー……くさいいぃ、吐きそう……」

「はあ……おい、リヴェル。しっかりしろ」


 似ているようで、正反対な双子に呆れながらアーサーがリヴェルの前に片膝をつき、髪についたままのゴミを取ろうと手を伸ばした。だが、はたと気がつく。

 俺は、彼を殺そうとした。未遂に終わったとはいえ、実際に殴って気絶させたのだ。

 先に謝罪するべきか。いや、謝罪したところで許されるのか。アーサーが迷っていると、リヴェルが顔を上げた。


「あ、ヒーロー! 大丈夫か? ケガとかしてないか?」

「え、あ……ああ」

「そっか、よかった。ていうか、オレ達なんでこんなゴミだらけになってるんだ?」

「覚えてないのか?」


 驚くアーサーに、きょとんと首を傾げるリヴェル。


「えーと……なんか、頭を硬いもので殴られたような。あ、もしかしてオレ、誘拐された!?」

「それは、その」

「そっかぁ。で、ヒーローが助けに来てくれたのか! やさしー!」

「……なんで、そうなるんだ?」


 誤魔化している様子というよりは、本当に覚えていないらしい。アーサーがリヴェルを連れ去ったことも、殺し合いをしたことも。

 多重人格者には珍しくない症状だが。何となく、テュランが記憶を隠したのかもしれない。想像した自分がおかしくて、アーサーはリヴェルに手を伸ばし、髪についたゴミを払ってやった。


「お、ありがとヒーロー!」

「礼を言われるようなことはしていない。むしろ、俺が言いたいくらいだ」

「へ? オレ、何かしたっけ?」

「……お前のおかげで助かった、礼を言う」

「わわ! ぎゃー! なんで髪の毛ぐしゃぐしゃにするんだ!」


 頭を撫でようとしたつもりが、照れ臭さのあまりにリヴェルの髪をぐしゃぐしゃにしてしまう。

 義手では、彼の髪の柔らかさを感じることは出来ないけれど。傷付けずに済んで、本当によかった。

 そう、心から感じる自分に、アーサーはほっと安堵した。


「それなりに急いで駆け付けてみれば……こんな場所で何をしているんですか、二人とも」

「あ、ジェズ!」


 いつも間にそこに居たのか、呆れたと言わんばかりにジェズアルドが溜め息を吐いた。

 歩み寄るジェズアルドに、リヴェルが嬉しそうに駆け寄る。


「リヴェルくん、無事でよかった。しかし、どうしてゴミ山の中から出てきたんですか」

「なあ? スゲェよな! 生ゴミって、腐るところまで腐ったらあんな臭いするんだな! 爆弾よりこえー!」

「なんでゴミまみれなのにテンション高いんですか!? 全くもう、帰ったらお風呂に直行ですね」


 髪や服を正してくれるジェズアルドに、嬉しそうにリヴェルが身を任せている。その様子は猫と飼い主のようにも、はたまた別の何かにも見える。

 ……思わないことがないとは言えないが、胸がチクリと痛むのは彼らのせいじゃない。アーサーは軽く頭を振って、痛みを振り払おうとした。


「アーサー! リヴェル!」

「サヤ……」

「あ、おねえちゃんだ」

「よかった、二人とも無事で……本当に、無茶なことするわね」


 外の非常階段を駆け降りてきたサヤが、アーサーとリヴェルを見比べてほっと息を吐いた。

 そして、今にも泣き出しそうな顔のままアーサーに近づくと、ポケットからハンカチを取り出してアーサーの頬をそっと拭いた。

 柔らかく触れる優しい感触に、思わず身体が強張る。


「サヤ、待ってくれ」

「どうしたの? ああ、怪我をしたならすぐに見せて。ひどくなくても、不衛生な状態では感染症を引き起こす可能性があるわ」

「そうじゃないんだが……その、きみは俺のメモを見てここに来たんだろう?」

「……ええ、シダレと一緒にね」


 一瞬だけ、サヤが手を止める。気まずいが、それでも彼女はアーサーから目をそらさなかった。


「場合によっては、斬りつけてでもあなたを止めるつもりだったわ。でも、思い止まってくれてよかった」

「いや、それは」

「でも、シダレにはちゃんと謝らないとね」


 あらかた拭き終わると、ハンカチをしまいながらサヤがほんの少しだけ表情を和らげた。もちろん、シダレにはひどいことをした。

 シダレだけじゃない、サヤにも。


「すまなかった、サヤ」

「うん。でも、私も……アーサーのこと、少し疑ってしまったわ。あなたは優しくて、誰よりも正しい道を選べる人なのに」

「俺は、そんな立派な人間じゃ……すまない」


 アーサーは謝ることしか出来なかった。復讐なんてものを企てたこともそうだが、テュランに会わせてやることが出来なかった。

 たとえ擬似人格であっても、彼女がどれだけテュランに会いたいかを知っているのに。謝るしか出来ない自分が本当に嫌だった。


「謝らないで、アーサー。はい、これで終わり。お互いキリがないもの」

「だが」

「そういえばジェズアルド、あなたはいつから居たの?」

「え、僕ですか? 僕は凄い音が聞こえてきたから、急いでこの工場に駆け付けて来たんですよ」

「そう……てっきり先に来ているものだと思ったのだけれど」


 話題を変える為か、サヤがジェズアルドに声をかけた。どうやらジェズアルドもあのメモを見つけていたらしい。

 想定の範囲内ではあったが。正直なところ、先に来たのがルシアではなくジェズアルドであったなら、アーサーはなす術なく復讐を諦め大人しく殺されていただろう。

 しかし、


「ああ……途中で迷ってしまったんですよ。この辺りは似たような建物が多いので」


 眼鏡を押し上げながら、そう言い張るジェズアルド。腑に落ちない、とサヤが睨む。アーサーも同意だ。

 この男もまた、ルシアと同じくらいリヴェルを大切に思っている。それなのに、ジェズアルドは遅れて来た。リヴェルが殺されるかもしれないにも関わらず、だ。

 真意はわからないが、ジェズアルドがそれ以上話を続けようとはしなかった。

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