最後に残った思い


 全ての引き金を引いたのは自分の方だったが、戦局的には防戦一方だった。襲い掛かる凶刃を何とか避け、アーサーは粉砕された窓から屋根へと逃げる。

 夕暮れ色の風が、荒々しく吹き荒ぶ。廃れた工場群が眼下に広がっている。かつては活気があったであろうこの場所は、たった一年ですっかり埃にまみれてしまった。


「アッハハハハ! スッゲェいい気分だ。聞いてくれよヒーロー、この身体どこも痛くねぇんだぜ? テメェを殺したら、今度は国外の人間達もブッ殺しに行こうかなぁ。ジェズも暇そうにしてたしな!」


 大剣を片手に持ったまま、テュランが屋根へと上ってきた。その背中に見えない翼でも生えているかのように身軽だ。

 無理もないか。ずっと死にかけの身体で戦っていたテュランからすれば、リヴェルの身体は驚くほど快適なのだろう。


「全く、呆れるな。テュラン、お前の憎悪はどれだけ深いんだ?」

「さあ? 少なくとも、世界中の人間を殺し尽くしてもまだ満足しないと思うぜ。テメェの甘っちょろい憎しみとは格が違うんだよ」

「はあ……お前は本当に、世間知らずなガキだな」


 乱れた呼吸を無理矢理正す。正直、テュランは強い。隙も無ければ容赦も無い。対して、アーサーは限界だった。

 まだ辛うじて動けているとはいえ、両手足ともいつ壊れてもおかしくない。まともに調整が出来ていなかったツケだろう。


「ボロボロのクセに、口だけは達者じゃん。言っておくが、この身体に例のナイフは効かねぇぜ。切られたら傷くらいは出来るが、ダンピールは他の吸血鬼みてぇに灰になったりはしねぇよ」


 ククッとテュランが嘲笑った。確かにアベルのナイフはある。やはりダンピール相手には無効のようだが、そもそも使う気なんか無い。


「……たとえ必殺の刃であったとしても、ナイフを使うつもりはない。いや、その必要はないと言うべきか。お前はここで、俺の拳だけで終わらせる。テュラン、死者は大人しく眠っていろ!」

「アハッ、言うじゃん」


 僅かな隙を見計らい、アーサーが拳を打ち出す。狙いを見定め、残りの力を研ぎ澄ました渾身の一撃だ。

 だが、それでも届かなかった。


「それでこそ、俺が死んでも殺したかったヒーローだ! 細切れにしてグールのエサにしてやるよ!!」

「くッ!」


 大剣に阻まれ、代わりに繰り出される斬撃を仰け反るようにギリギリで躱す。テュランはその動きさえも読んでいたのか、幾重にも重なった追撃は容赦なく襲ってくる。

 咄嗟に左腕で受け流すが、立っていられない程の衝撃に耐えられずアーサーは片膝をつく。鋼鉄の義手が、悲劇と引き換えに手に入れた腕がみしりと軋んだ。


「ぐあぁッ!!」

「惜しいなー。生身の腕だったら一発で斬り落とせたのに。でも前から思ってたけど、その手足いいよな。カッコいいし、何でも出来るじゃん?」


 口角を上げながら、テュランが言った。ここまで自由に動かせるようになるまでどれだけの苦労があったかなんて知らないくせに、いい気なものだ。


「っ……羨ましいか? この両腕と両腕は、俺の大事なものと引き換えに手に入れたんだ」

「さっき聞いたぜ。カインに助けて貰ったんだろ?」


 そうだ。ルシアの銃弾を受けながら、カインが助けてくれたのだ。


「俺は会ったことねぇケド、ジェズと負けず劣らずに変わった吸血鬼だな? 人間なんて放っておいて、逃げるなり何なりすればよかったのに」

「……逃げ、る?」

「おねえちゃんも、お兄サマもそうだな。自分よりも他人を優先する。どうしてそんなコトが出来るんだろうな? 俺には理解出来ねぇよ」


 テュランの言葉が、アーサーの心の亀裂にするりと入り込んだ。

 そうだ。カインはなぜ逃げなかったんだ。そもそも俺を見捨てれば、当時のルシアを屠るくらい容易に出来た筈。

 俺は……両手足を失くして死にかけた。でも、


「そうか……カインが助けてくれたから……俺は、生き延びることが出来たのか」


 怒りが、憎悪が徐々に鎮まっていく。再び復讐の炎を燃やそうと思うも、もう駄目だった。

 冷たい憎しみよりも、温かい手の思い出にしがみついてしまう。


「……俺、は」


 俺を案じて去って行ったカイン。彼だけじゃない。俺を助けてくれた人達は、他にも居た。

 相棒として隣に居てくれるサヤに、親のように世話を見てくれたヴァルツァー元大統領。なぜか舎弟のように慕ってくるシダレに、孤児院の子供達。

 そしてリヴェルと……ルシアも、助けてくれた。


 ずいぶんと、大勢の人達に助けて貰っていたものだ。


「俺は……」


 狂おしい程の憎悪も、泣きたくなる程の愛情も全部思い出した。それは、とてもアーサー一人じゃ受け止めきれるものじゃなくて。整理出来るような、綺麗なものでもなくて。

 でも、アーサーの心を砕くには十分だった。


「あっれぇ? ヒーロー、もうダウンしたのかよ。もっと殺し合おうぜ」


 挑発のつもりか、テュランが一度剣を大きく振った。恋人ヴァニラを撃った男だ。アーサーがこのまま動かなければ、慈悲をかけられることなく剣に頭を割られて死ぬだろう。

 それなのに、アーサーは動けなかった。感情と心の破片がごちゃごちゃになって、自分は何をしたいのか、何の為に戦っていたのかわからなくなってしまった。


「……おいおい、マジで戦意喪失か? あれだけイキってたくせに、情けねぇの」


 テュランが笑みを消して、無表情で剣を振り上げる。その素振りは、威嚇や脅しなんかではない。


「もう戦う気がねぇなら、終わりにしようぜ。お望み通り、殺してやるよ」


 吐き捨てるように、テュランが言った。

 死ぬのか、このまま。それでも、いいかもしれない。この苦しみを抱えたまま生きるくらいなら、もう終わらせた方がいい。

 テュランの目が、冷たく細められる。


「じゃあな、ヒーロー」


 だが、同時に思う。


 ――――悔しい、と。


「――ああああ!!」

「なッ……」


 テュランに届いたのは最後の最後、気力を振り絞った滅茶苦茶な一撃だけだった。

 でも、届いた。アーサーが放った拳が、テュランの腹に入った。

 まともにくらったテュランはそのまま後ろへ突き飛ばされたように倒れ込み、剣を手放して激しく咳き込む。


「ゲホッ、ゴホ! ぐ、うぅ……不意打ち、かよ。ヒーローのくせに、卑怯くさ……」

「悔しかったんだ」

「あ?」

「カインに助けられておきながら、あいつに何も返せなかった無力な俺が。お前を死なせてしまった弱い俺が。真実を全て知りながら、どうしようもない感情を復讐なんかで片付けようとした情けない俺が。許せなかったのはルシアじゃなくて、何も出来なかった俺自身だ」


 口の中を切ったのか、数滴の血を吐くテュランをアーサーが見下ろす。今のアーサーにあるのは、もはや悔しさだけだった。

 何も出来ないまま死ぬのは悔しい。

 だからアーサーは手を差し出して、テュランの手を掴んで、言ってやった。


「やっと……お前に届いた。俺の勝ちだ、テュラン」


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