引き金

「俺も……お前のような強さが欲しかった」

「アーサー?」

「家族とカインを護りたかった。サヤを支えてやりたかった、この国の人達を救いたかった。お前達を許したいし、それに……テュランを死なせたくなかった。俺は、お前のように強くない。何も出来ない、愚かで弱い人間なんだ!」


 俺は銃をリヴェルに向けた。決めたのだ、リヴェルを殺すと。本当はルシアのことも殺したかったが、それは恐らく無理だろう。だからせめて、ルシアに俺と同じ苦痛を与えてやる。

 リヴェルを殺せば、ルシアかジェズアルドに殺される。それで良い。俺はもう、死ぬことでしか止まれない。


 これが、俺の――


「……うぅ」

「リヴェ!!」

「――ッ!?」


 膠着した時が、音を立てて動いた。ようやく目を覚ましたのだろう。小さく呻いたリヴェルに、アーサーは反射的に引き金を絞ろうとした。意外にも、ルシアは俺を狙わなかった。リヴェルを護る、その一心で弟に駆け寄り膝をつき庇おうとした。

 本当に、立派な兄だ。そう、アーサーのひび割れた心が疼いて、でもそれだけで。


 乾いた銃声が一発、廃工場の中に響き渡った。何度も何度も壁や天井に跳ね返り、まるで永遠のように感じられた刹那。


 予想外のことが起きた。いや、もう既に起きていた。


 なぜなら、アーサーはまだ引き金を絞っていなかった。ルシアの銃は足元にあるし、彼が別の銃を手にすることもなかった。


「……は?」

「え、どう……して」


 理解が、出来なかった。アーサーはまだ撃っていない。ルシアにも撃たれていない。でも、ここには自分達三人以外は存在しない。

 それなら、一体誰が撃った? すぐにわかった。リヴェルだ。彼も銃を持っていたから。まさか、意識を取り戻してからすぐに銃を撃てるとは思わなかった。でも彼はルシアの弟なのだから、それくらいは訓練させられていたのだろう。


 わからなかったのは、彼がどうして


「リ、ヴェ……なぜ、だ」


 力無く、糸が切れた人形のように倒れるルシア。なぜ。そう考えた瞬間、視界に何かが飛び込んできた。

 銃だ。一回だけ見た覚えがある。これは、そうだ。リヴェルが袖に仕込んでいた小型の拳銃で。


 次の瞬間、全身が怖気立った。


「あーあ。今度こそイカレたみてぇだな、ヒーロー?」

「――ぐ、あぁッ!?」


 飛び起き様に繰り出された蹴りが、鳩尾に命中した。それも立つどころか、身体が吹っ飛ばされる程の勢いで。アーサーは堪えきれず背中を床に打ち付け、激しく咳き込んだ。

 嘘だ。歪む視界の中に、信じられないものを見てしまっている。悪夢、なのだろうか。


「……ククッ、アハハ。アハハハ!! どうした、ヒーロー? 久しぶりに会ったと思ったら、アンチヒーローに鞍替えか?」

「ゲホッ、ガハッ! お、おまえは……」

「あー、ちょっと待ってろ。用事を片付けてから相手してやるよ」


 声が、出ない。咳き込む度に肋骨が痛む。どうやら、何本か折れたようだ。リヴェルにアーサーを構うつもりはないらしく、ルシアの元に屈むと兄の身体を肩にかけるようにして持ち上げた。


「重! ったく、お兄サマってばコートの下に何をどれくらい仕込んでやがるんだよ」

「お、まえ……どうして、ルシアを」

「ご期待に添えなくて申し訳ねぇが、殺してねぇよ。殺す理由もねぇし。ただの麻酔銃だ。ま、吸血鬼でも卒倒するって言うんだから、当分は何しても起きねぇな。わー、ホンモノだ。やっぱりキレーな顔してるなー」


 気を失ったルシアを壁際に下ろし、リヴェルが乱れた兄の黒髪をなでている。彼が言うように、ルシアは深い眠りについているだけのようだ。

 いや、そうだとしても。リヴェルがルシアを撃った。その事実が、アーサーを凄まじく動揺させた。


 ……違う。


「……れ、だ」

「あ? なんか言ったか?」

「お前は、誰だ」


 ゆっくりと立ち上がり、リヴェルがアーサーを見る。アーサーも何とか体勢を直して向き直る。


「おいおい、アンタ……マジでどうしちゃったワケ? ドコをどう見てもリヴェルだろ」

「たとえ麻酔銃だとしても、リヴェルにルシアが撃てる筈がない。それに、リヴェルが片手で銃を撃つなんて不自然だ」


 理由が何であれ、リヴェルに兄を撃つ度胸なんて無い。手のひらに収まる程の小型拳銃であろうとも、染み付いた癖はそう簡単には変えられない。戦い慣れていないなら尚更だ。

 それが出来るのは、一人しか居ない。ふと、シダレの言葉が思い出される。


 ――死んでしまった人は、生きている人が持つ記憶の中でそれぞれの形に変わってしまう。あるいは、忘れてしまう――


「シダレは意外と的を射たことを言う。確かに、人の記憶なんてあやふやだ。似ていると思っていたが、そうじゃなかった。お前達は双子だが、全然似ていなかったんだな。話し方も、笑い方も、物事の考え方も全て」

「……アハ、やっぱり? 『俺』もそう思うぜ」


 そう言って、リヴェルが口角をつり上げた。ルシアから離れ、床に置かれた剣を拾う。


「幼少期のトラウマから生まれた、もう一つの人格。それがシンクロ能力により蓄えられた記憶を受け入れて形成されたのが、『俺』だ。でも、俺は表に出るつもりなんかなかった。もうすぐ消える予定だった。リヴェルが自分で生きられるようになったからな。それなのにヒーロー、テメェが余計なコトをしやがった」

「余計な、ことだと?」

「このくっだらねぇ。『俺』という人格は消えて、記憶はただの思い出になる筈だったのに。リヴェルがビビりやがったから……いや、違うか」


 びゅん、と空気を大きく凪ぎ払うように『彼』が大剣を振った。記憶をなぞっている、などという芸当なんかじゃない。

 目の前に居るのは、リヴェルではない。そう実感した瞬間、胸に蟠っていたどす黒いものが一瞬でどうでも良いものになってしまった。

 なぜなら、そんなものに固執していたら『彼』に殺されるから。『彼』は手加減など絶対にしない。


 恋人でさえその手で撃ち殺した、至上最悪の復讐者なのだから。


「俺はただ単純に、テメェと一回もマトモに殺し合えなかったのが心残りだったんだよ! なあ、ヒーロー。テメェもそう思うだろ」

「ふ、はは。確かに、そうだな。俺も一回、お前を泣かせてやりたくて仕方がなかった」

「アハハ! 良いじゃん良いじゃん、潰しがいのある顔になったぜ、ヒーロー」


 窓から夕陽の光が差し込み、リヴェルの髪を、そして瞳を鮮やかな『金色』に飾り立てる。

 これは悪夢か、それとも。大剣を構える相手に、アーサーは無意識に笑った。


「良いだろう、相手してやる。かかってこい、『テュラン』」

「這いつくばって命乞いしても、テメェは殺す。一年前の続きだ、楽しいお仕置きの時間だぜ、ヒーロー」

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