思い出された記憶


 カインは吸血鬼の真祖でありながら、その実体は凄まじく不器用で愚直な男だった。幼いアーサーなんて一捻りだっただろうに、手を捕まれてはあちらこちらへと振り回されるばかりだった。

 特に、アーサーの中で鮮やかな思い出がある。たった一回だけ、彼が我欲を見せた時があった。異国から伝わってきた神事、『七夕』を行った日だ。


『カイン、お願い事は書けた?』


 笹という木に、色とりどりの画用紙で作った短冊が飾られた景色は壮観だった。短冊には自分や皆の願い事が書かれていて、神様がその願いを叶えてくれるというのだ。

 だから、カインにも短冊を書いて欲しかった。いつも一緒に居てくれる彼に恩返しがしたかった。笑った顔が見たかった。

 でも、彼は笑わなかった。


『……申し訳ありません、アーサー様。やはり、私に何かを願う権利なんてありません』

『何で? 神様は、皆の願いを平等に聞いてくれるんだよ!』

『だから、です。私は神に嫌われているのです。私は、とても愚かな罪を犯したのです。だから……いえ、たとえ神が私をお許しになったとしても……私は、望みを持つことは出来ません。それは、絶対に許されないことなのです』


 そう言って、自分の短冊をゴミ箱に捨てた。彼なりに笑おうとしたのだろう。でも、アーサーから見れば涙を堪えているようにしか見えなかった。

 だから、自分が叶えてあげようって決めたのだ。立派な大人になって、カインの願いを叶える。彼に笑顔を取り戻してみせると。

 それが、目標だったのに。


『熱い……熱い、痛いよ……だれ、か』


 屋敷を喰い尽くさんばかりの業火。逃げ遅れたアーサーは、崩れ落ちた壁や天井の瓦礫の下敷きになってしまった。

 痛い、苦しい。両の手足は肉まで焼け、夥しい量の血が溢れ出た。周りには誰も居ない、皆殺されてしまった。

 ただ一人を除いては。


『アーサー様!? ああ、そんな……どうして、あなたがこのような目に』

『か、カイン?』


 驚いたけれど、それ以上に嬉しかった。良かった、カインが来てくれた。でも、同時に恐ろしかった。


『カイン……その怪我は、どうしたの?』


 炎の中でもはっきり見える程の出血だった。肩に、脇腹。そして太腿。口の端からも紅い雫が伝っており、ひゅうひゅうと不自然な呼吸を繰り返していた。

 カインが死んでしまう。不思議なことに、自分の死よりも彼が自分の前から居なくなってしまうことの方が怖かった。


『ッ……何でも、ありません。大丈夫、アーサー様は私が必ず助けます』

『でも、カイン……手が!』


 瓦礫を持ち上げ、退かす度にカインの手が焼ける。いつも無表情な彼が、顔面をしかめる程に消耗している。

 一体、何が起こったというのか。幼いアーサーでは、理解出来なかった。いや、受け入れられなかった。カインだけが頼りだったから。


 カインが居たからこそ、アーサーの命は助かったのだ。それなのに、カインを傷付けてしまった。


『お願いします! この方を……アーサー様を助けてください!!』

『なっ、貴様……吸血鬼か!?』


 焼け崩れる屋敷から脱出した後、カインは瀕死のアーサーを抱えてハルス大学病院へと駆け込んだ。しかし、カインの存在に驚いたのだろう。大怪我を負っているにも関わらず誰も助けてくれなかった。

 それどころか医者も、看護師も。人間達は皆、恐怖と嫌悪でカインを蔑み罵倒したのだ。


『汚らわしい! どうして、吸血鬼がこんなところに!!』

『近づくな、人外め! 目障りだ、さっさと消えろ!!』

『アーサー様は人間です! 私のことなど、どうでも良い。お願いします、アーサー様を助けてください!』


 消えろ、忌々しい吸血鬼め。カインの懇願を足蹴にして、人間達は酷い言葉を浴びせ続けた。彼等が何を言っていたかは理解出来なかったし、思い出せそうにない。

 でも、あの時のカインの表情だけは覚えている。一生、忘れることなど出来ないだろう。


『……その子供は人間だというのは本当のようだな。酷い熱傷だ、すぐに処置をしなければ』


 どれくらいの時間が経った頃か。頑ななカインに根負けしたのだろう、その場に居た中で一番年長の医師が歩み寄ってきた。

 アーサーの火傷に顔を歪め、カインを睨んだ。


『彼はこちらで預かる。だが、貴様はさっさと姿を消せ。二度とこの病院に姿を見せないと誓え。そうすれば、この子は助けてやる』

『……はい、わかりました。誓います。私は二度とここへは来ません。だから、どうか……アーサー様を、お願いします』


 用意されたストレッチャーに乗せられると同時に、カインの手が離れる。そんな、嫌だ。嫌だ!


『カイン……だめ、カインもひどい怪我をしているんです。お願い、カインも助けて』

『アーサーくん、吸血鬼なんかに情けをかける必要なんか無い。あれは害獣なんだから』

『なん、で』


 なぜ、そんな酷いことを言うのか。害獣なんかじゃない。カインはどんな人間よりも信頼出来る、ー優しい吸血鬼なのに。

 一番信頼出来る友人であり、家族なのに!


『……ありがとうございます、アーサー様。そして、ごめんなさい。私は、あなたから多くのものを頂いたのに、何も返せなかった。それどころか、私は護れなかった。あなたから大切なものを全て奪ってしまった』

『違う……違うよ、カイン……』

『どうか、生きてください。私のことを許さなくて良い、恨んでくれて構いません。怪我に打ち勝って、どうぞ私を殺しに来てください。その為の刃を、あなたに預けます』


 血の気の引いた顔で、カインがアーサーに与えた一本の古びたナイフ。それが一体何なのかを語らないまま、彼はアーサーに背を向けた。


『さようなら、アーサー様。あなたに会えて、私は幸せでした』

『いやだ、カイン……カイン、行かないで!!』


 長く赤い髪を揺らしながら、その場から立ち去るカイン。アーサーが何度呼んでも、手を伸ばしても。彼は振り向かなかったし、二度と戻ってこなかった。


 こうしてアーサーは手足と共に家族を、カインを、大切だった全てを失ったのだ――



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