追走
「ふふっ、この飴がまだ残っていただなんて……リヴェル、喜んでくれるかしら」
缶詰や小麦粉、そしてリヴェルが好きな飴やお菓子がたくさん入った紙袋を手に、サヤは帰路を急いでいた。孤児院からの帰り際、探索に出ていた仲間達と会って物資を分けて貰ったのだ。
今朝からリヴェルは元気がなかったから、これで少しは笑ってくれるだろうか。そんな淡い期待を胸に、我が家のドアノブに手をかけようとした時だった。
「…………これ、は」
何だろう、何だか嫌な気配がする。空気が重いというか、不自然なくらいに静かだ。おかしい、リヴェルとシダレが留守番している筈なのに。この静寂は何?
「ま、まさか」
考えるよりも先に身体が動いた。荷物を玄関脇に置いて、サヤは腰の刀に手をかける。そして一度だけ深呼吸をすると、ドアを蹴破り勢い良く中へと飛び込んだ。
勘違いなら、良かったのに。嫌な予感は、残念ながら的中してしまった。
「シダレ!?」
床にぐったりと倒れ込んだシダレに駆け寄り、肩を揺さぶる。虚ろな目に、小さな呻き声。良かった、意識はある。
「うぅ……あ、姐さん」
「シダレ、どうしたの。何があったの!?」
「リヴェル、さんが……すみません、おれ……護れ、なくて」
途切れ途切れに紡がれるシダレの言葉に、はっとして部屋の中を見回す。そうだ、リヴェルが居ない。少し争った形跡が残っているが、強盗の類とは違う。
それに、シダレの両手首に残っている縄の痕。床に落ちている切れたロープを見る限り、何者かが彼の両手を縛り拘束していたのだろう。
間違いない。何者かがリヴェルを連れ去ったのだ。それも、確固たる目的をもって。
「誰が……まさか、カインが!? でも、どうやって。ここにカインは入って来られない筈なのに」
「ち、が……違います、姐さん」
床に手をついて、自力で身体を支えるシダレの方を向く。見る限り目立つ外傷は無いが、顔色が真っ青だ。
額に汗が滲んでいるし、呼吸も荒い。
「シダレ……一体、ここで何があったの?」
「……で、す」
「え? 今……何て、言ったの」
思わず、聞き返してしまう。自分の耳がおかしくなったのかとさえ思った。でも、違った。
「旦那……す。リヴェルさんを攫ったのは、アーサーの旦那っす」
「……アーサー、が」
嘘だ。一体どうして。なぜ、そんなことを。
「復讐だって、言ってました。リヴェルさんが、全ての元凶だって。復讐するって……」
「元凶……復讐……まさか」
落ち着け。冷静になって考えろ。サヤは自分に言い聞かせながら、一つ一つの情報をパズルピースのように思考へ嵌め込む。
復讐。つまり、アーサーは何者かに恨みを持っている。それは誰だ、恨みとは何だ。知っている、彼はカインに家族を皆殺しにされたと言っていた。
でも、それならリヴェルを攫う理由が無い。カインがリヴェルを狙っていることは昨日明らかになった。だからこそ、攫って何になる。いや、そもそも彼がカインに対して見せた反応には違和感があった。
彼はカインを殺せるナイフを手にしていたのに、それを振りかざすことはしなかった。カインも彼を殺そうとはしなかった。むしろ、殺されようとさえしていた。
……もしかして、アーサーの家族を殺したのはカインではないのか。でも、彼は吸血鬼に全てを奪われたと言っていた。
「あ、の……姐さん。実は、姐さんよりも先に、ジェズアルドさんがここに戻ってきたんです」
「ジェズアルドが?」
そうだ。カインではないのなら、やはり犯人はジェズアルドだったとしか考えられない。だとしたら、リヴェルを攫った理由は何だ。
「復讐……」
心を引き裂かれるようだ。一年前、テュランがアルジェントを壊滅状態にまで追い詰めた、復讐。人間に憎悪を抱いた彼が起こした、悲しい惨劇。
それを、アーサーもやろうとしているのか?
「止めなくちゃ。シダレ、アーサーはどこへ!?」
「すみません……ジェズアルドさんにも聞かれたんすけど、わからないんです……」
シダレの話によると、アーサーは家に帰ってくるなりリヴェルを襲い気絶させた。そしてシダレの意識を奪い、リヴェルを連れ去った。
ただリヴェルを殺すだけならまだしも、これは復讐だ。だとすれば、アーサーは必ずジェズアルドに向けてなんらかのメッセージを残している筈。サヤは改めて部屋の中を注意深く観察し、見つけた。
「あった……! これだわ」
それは、ダイニングテーブルの上に置いてあったメモ帳だった。一番上の用紙が、不自然に黒く塗り潰されている。傍には鉛筆も転がっており、何が記されているかがはっきり見えた。
廃棄区域に存在する廃工場の名前と、『復讐を果たす』の一言。間違いない。彼等は、そこに居る。
「シダレ、アーサー達の居場所がわかったわ。私がすぐに向かうから、あなたはここに居て」
「いえ……姐さん、おれっちも行きます」
「でも、あなた顔色が悪いわ」
「お互い様っす。気を失ったリヴェルさんを運んだのなら、旦那は車を使った筈。それなら、バイクが残っているのでおれっちが運転します」
すぐに準備します! ふらつきながらも立ち上がり、壁にかけられたままのバイクの鍵を掴みシダレが外へと出て行った。確かに、そうだ。廃工場とは距離が離れている。サヤはバイクの運転は不慣れだし、テレポートで移動できる距離には限界がある。ここは、シダレを頼るしかない。
「アーサー……一体、どうして」
両手を重ねるように、強く握り締める。ジェズアルドは、ある意味で絶対的な存在だ。カインのナイフも、彼に対しては無効。更にリヴェルの命が危険に晒されているともなれば、彼は確実にアーサーを殺す。
無慈悲に、冷酷に。それはアーサーもわかっているだろうに、なぜ。いや、そもそもどうして今更ジェズアルドに復讐だなんて。
「……違う」
違う、そうじゃない。どくどくと、心臓が痛いくらいに鼓動する。おかしい。これがジェズアルドに対する復讐なのであれば、この部屋には違和感がいくつもある。
「姐さん! 準備出来ました……姐さん、どうしました?」
「シダレ……私達、思い違いをしているのかもしれない」
駆け寄ってきたシダレに、サヤは声を震わせながら告げた。そうだ。だって、おかしい。
「思い違い、すか?」
「このメモ帳、用紙の一面が鉛筆で黒く塗られ、文字の部分だけが白く浮き出ている。ということは、この用紙の上にアーサーが書いた別の用紙が存在していないとおかしい」
アーサーは義手のせいか、昔から筆圧が強い。重ねられた用紙に筆跡が残ることも多かった。今回もそう、だからこの方法で彼の居場所がわかった。
でも、だとしたら一番上の用紙はどこに? ゴミ箱にも入っていないし、床に捨てられてもいない。
「確かに、そうっすね」
「それに、シダレ。あなたは気絶させられ、ロープで手を拘束されていた。でも、ロープは外れている。あなた、それは自分で外したの?」
「いえ……おれっちは何も。でも、それは自然に解けたのか、ジェズアルドさんが外してくれたのでは」
「ロープには結び目が残っているわ。間違いなく、そのロープは刃物で切断された」
アーサーはシダレのことを友人だと思っていたし、彼には恨みなど持っていなかった。だから、シダレの拘束は手だけに止めた。
誰かが助けてくれるならそれで良いし、足が自由ならばいずれ彼が目を覚ました時に自力でなんとか出来ると考えたから。
「この家にある刃物は、文房具のハサミやカッターナイフ、それから包丁くらいだけれど。それを探した様子も、使った痕跡もない。使った後で、それらを片付ける余裕が彼にあったとは思えないし。そもそも、動ける状態じゃないシダレをジェズアルドが助けるとは考え難い」
「……ということは」
「ジェズアルドよりも先に、誰かがここに来た。そして……その人物こそ、アーサーが呼び出した本当の復讐相手。シダレが気を失っている間に来て、あなたのロープを自分のナイフで切断した。メモを千切って持ち去ったのは、アーサーの復讐を受け入れる為。他の誰かを巻き込まない為」
「あの、姐さん。おれっち、それが出来る人……もう、一人しか……思いつかないんすけど」
瞠目するシダレ。そうだ、これで確信した。アーサーの家族を奪い、彼自身を傷つけたのはジェズアルドではない。カインでもない。
それは……あまりにも悲惨で、痛ましい真実だった。
「……行きましょう、シダレ。アーサーを何としてでも止める。どんな理由があれ、こんなにも悲しい復讐は起こしてはいけない」
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