契約破棄


 誤算続きの一日だったが、一番の誤算はカインが仕事をしくじったことだろう。ディアヌは催涙弾で負傷した目をタオルで冷やしながら、自室のソファで横になりながらカインの言葉を待った。


「あの……ディアヌ様、大丈夫ですか?」

「これで大丈夫に見えていたら、あなたの目はとんでもない節穴よ」


 彼から声をかけられるのを辛抱強く待っていたのに、これだ。目を負傷していなかったらシルバーブレッドの一発でもくれてやりたいくらいだが。


「それで、どうしてリヴェルを捕らえ損ねたのかしら。たとえダンピールだとしても、真祖なら大した脅威にはなり得ないでしょう?」


 格好がつかないのを自覚しつつ、出来るだけ威圧的に言った。リヴェルのデータは大して残っていないが、カインが力負けするとは思えない。

 だが、カインの答えは意外なものだった。


「いいえ。彼は技術さえ備わっていないとはいえ、潜在能力はかなりのものです。彼になら、ナイフがなくとも殺されると思います」

「あら、いつにも増してマイナス思考ね。その根拠は?」

「……彼の中に流れている血が、とても強力な力を持つ吸血鬼のものだからです。私は真祖と呼ばれてはいますが、異なる血統の純血と刃を交えて、無事で済む自信はありません」


 相変わらず抑揚の無い声色で、カインが言う。そうか、それは確かに誤算だ。でも、だからと言って彼が仕事を失敗したことへの弁明にはならない。

 カインに「無傷で帰ってこい」などとは一度も言っていないのだから。


「まあ、何でも良いわ。とっととリヴェルを連れてきなさい。言ったでしょう、ゆっくりしている場合じゃ――」

「ディアヌ様。私はもう、貴女を手伝うことは出来ません」


 再び、予想だにしていなかった返事が返ってきた。思わず身体を起こして、タオルを外してカインを睨む。

 まだ視界はぼんやりとしているが、彼の無表情は何とか見えた。


「……笑えない冗談ね」

「冗談ではありません。私は、これ以上ディアヌ様のお手伝いをすることは出来ません」

「あなた、本当にカイン? あれだけ見捨てられることに怯えていたあなたが、まさか自分から辞めるだなんて」


 そう、全く想像していなかった。初めてカインが自分の意思を主張してきたのだ。出来るだけ冷静さを保ちながら、静かに問いかける。


「……理由を聞かせて貰っても良いかしら」

「私は、近い内に死にます。殺されると思います。ですので、もしも任務の途中で死んでしまったら、ディアヌ様にご迷惑がかかると思いましたので。今のうちに、お断りしようかと思いまして」

「殺されるって、あなたが?」


 理解が出来なかった。否、吸血鬼とはいえ痛めつけられれば死ぬだろう。でも、彼は確かに言った。近い内に、と。


「殺される予定があるってこと? わかっているのなら、それを回避すれば良いじゃない」

「いえ、それは駄目です。私は、殺されなければいけないのです」


 驚いた。今までもたまに言い訳をしてきたことがあったが、ディアヌが咎めればすぐに考えを改めていた。

 それなのに、今回はやけに頑固だ。


「私は、これまでに数え切れない程の罪を犯してきました。それらを全て償うことは出来ませんが、それでも償わなければいけない。私はあの方に殺されなければいけない。ディアヌ様には、とても感謝しています。こんな私を、必要としてくれたことを」

「……もしも、許さないと言ったら」

「実力行使します」

「はあ。そう、それならもうあなたを止めることは出来ないってことね」


 仕方がない。人間がカインに対抗する為には、それこそアルジェントの全火力でもって応戦しなければいけないだろう。

 全く現実的ではない。


「それでは、失礼します」

「待って。最後に一つ、教えて貰えないかしら」


 何の躊躇もなく、背を向けて立ち去ろうとするカインを呼び止める。立ち止まって、こちらを振り向いた彼にディアヌは問い掛ける。


「ねえ、カイン。ずっと聞きたかったの。世界で一番最初の殺人鬼が、弟を殺した時に、一体何を感じたのかを」


 意趣返しのつもりだった。最後に困り果てる姿を見てやろうと思っただけなのに。


 すぐに、後悔した。


「アベルを殺した時に、何を感じたか……ですか」


 ぞくりと、背筋を這う嫌な感触。喉元に大鎌の刃を突き付けられたかのような、冷たく鋭い緊張感に息が出来ない。


「私は……あの子が息をしなくなった瞬間のことを、今でもとてもよく覚えています。身体が冷たくなって、何も言わなくなって、私を見なくなって、動かなくなって。死んでしまった……その時、私は」


 形の良い唇が、口角を上げる。そしてカインは一言告げると、二度とディアヌを見ないまま姿を消した。


「私は……その時になって初めて、弟のことを愛おしく思いました」



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