二つの願い


 夕暮れ時。あれから、何時間経っただろうか。アーサーはぼんやりと昔の思い出に浸りながら、人気ひとけの無い街を歩いていた。

 蘇ってしまった記憶。それらはまるで、今までのアーサーを根本から否定するかのように優しくて、残酷な程に温かかった。

 違う。そんな筈はない。諦めの悪い自分が、無様に拒絶しようともがく。わからない。アーサーから全てを奪ったのは、カインだった筈。


 でも、思い出はそれを否定する。わからない。一体どちらが正しいのか、判断出来ない。


 だから、アーサーは確かめることにした。


「……ここに来るのは、あの時以来だな」


 やがて街並みは途絶え、大きく開けた空き地へと辿り着いた。名前も知らないような雑草が生い茂るだけの、広くて虚しい場所。ここにはかつて、アーサーが生まれ育った屋敷があった。

 残念ながら、どのような外観だったかすら覚えていない。とても広くてたくさんの花が咲いていたことだけは、何となく思い出せる。それが正しいかどうかは、全てが燃えてしまった今となっては確認のしようがない。

 それでも、アーサーはここに来た。憎しみを塗り潰そうとするこの思い出が真実か否かを確かめに。


「確か、奥の方だった気がする……」


 記憶を辿るように、先へと進む。草を踏む柔らかい感触は久し振りだ。そうだ、幼い頃はよく広い庭を駆け回って遊んでいた。 

 遊んでいたと言っても、友人が居た記憶はない。加えて、アーサーは一人っ子だった。だから、少しだけ寂しかったことを思い出す。


『ねえ、カインは兄弟いる?』

『兄弟、ですか……どうして、そんなことを?』

『んー、だって楽しそうじゃん。お兄ちゃんでも良いけど、ぼくは弟がほしい! 一緒に遊んだり、お勉強を教えてあげたりしたいな』

『弟……』


「…………」


 そういえば、そんな話もしたな。あの時のカインは相当困っていた。無意識に笑みを零していると、いつの間にかアーサーは目当ての場所へ足を踏み入れていた。

 大きく枝葉を広げる一本の木。『サクラ』と呼ばれるこの木は、数十年前に東の島国から移植されたものらしい。春には桃色の花が咲き乱れる美しい光景は、アルジェントではこの場所にしか存在しない。

 この木だ。良かった、残っていた。季節のせいだろう、花ではなく枯葉を纏うサクラに虚しさを覚えつつ、アーサーは木の根元へと膝をつく。

 思い出される記憶が本当か、それともアーサーの妄想なのかを確かめる唯一の手掛かりがここにある。


『カイン、タイムカプセル埋めよう!』

『えっと……アーサー様、タイムカプセルとは何ですか?』

『えー、知らないの? タイムカプセルは、宝物とかを入れた箱を土に埋めるんだ。で、何年後かに開けるんだぞ! この前読んだ本で見たんだ!』


 記憶が確かならば、ここにある筈。地面に指を立てて、掘り始める。雨風で固まった土は硬いが、アーサーの義手ならば何の苦もない。青臭い匂いが鼻を突く。何だか、とても懐かしい。

 昔はスコップを使っても上手く掘れなくて。結局は掘るのも埋めるのもカインに任せてしまったのだったか。


『おー、カインってそういう作業上手いな! 靴紐すら結べないくせに』

『うぐ……それは、すみません』

『良いよ。これで、今度は……そうだな、十年後に掘り返して開けようか。ぼくが二十歳になったら、一緒にまたここに来よう。約束だからな、忘れるなよ!』

『十年後……ですか。きっと、あっという間でしょうね』


 あの時の、カインが寂しそうにそう言ったのが思い出される。当時の自分には、あの言葉の意味がわからなかったが。

 不意に、アーサーの指先に一際硬い感触が触れた。石でなない、金属製の異物に嬉しさと焦りが綯い交ぜになる。


「……あった」


 忘れていた、十年間ずっと。思い出と同じ、青色の菓子缶。所々凹み、劣化したテープは変色しボロボロだ。壊さないように、恐る恐る蓋を開ける。

 中に入っていたのは、幼い頃の自分が大切にしていた宝物の数々だった。とは言っても、所詮は子供。玩具や他国のコイン、満点のテスト用紙、家族の写真まであった。

 懐かしい、まさか残っていただなんて。嬉しい。嬉しい、けれども。


「やはり……俺は、ずっと勘違いをしていたのか?」


 ガラクタのような宝物の中に埋もれていた、二通の手紙。彼は何も入れるものが無い、と言っていたから。一通は、アーサーから彼に宛てたもの。

 そして……もう一通は、カインがアーサーへ宛てて書いてくれたものだ。


「…………」


 封蝋の施された封筒を開けて、便箋を取り出す。筆圧が薄く、たおやかな字列。ああ、そうだ。思い出した。

 カインは、こういう字を書く男だった。



 アーサー様


 この手紙を読んでくださるのは十年後ということでしたので、大人になった貴方を想像してペンを取らせて頂きます。とは言っても、今の貴方の傍に私は居ないでしょう。私のことを憎んでいるでしょうし、この手紙は読まれずに燃やされるかもしれません。存在すら忘れてしまっているかもしれませんね。

 それで良いと思います。むしろ、忘れてくださっていることを望みます。アーサー様にとって、私という存在は害悪でしかない。自覚しているのに、わかっているのに、私は貴方の優しさに甘えてしまった。

 許して欲しいとは言いません。

 代わりに、私は貴方に古いナイフを預けると思います。そのナイフが、私の身に与えられた永遠を断ち切る唯一の刃です。


 私が不要になった時は、そのナイフで私を殺して下さい。抵抗はしません。そして、私という存在など忘れて、幸せになってください。私は貴方の障害にはなりたくない。今までの思い出、そして約束、全てを無かったことにしてください。


 それが、



「……う、そだ」


 突き付けられた真実は、あまりにも残酷だった。缶や手紙の状態から見て、偽装した風には見えない。間違いなく、これは十年前にカインが書いたものだ。

 もう、認めるしかない。カインは冷酷な吸血鬼などではなかった。むしろ、その逆だ。彼は信じられないくらいに不器用で、愚直で、気が弱くて。でも、どこまでも優しい男なのに。


「うそだ、こんな……」


 それなのに、自分は彼のことを忘れてしまっていた。思い出さないようにしていた。いや、むしろ全ての責任と憎しみをカインに押し付けて、彼を悪者にしてしまった。


 なんて最低で、最悪。


「こんな……なん、で」


 こんな自分に、カインは何て言った? 立派になった、無事で良かった。アーサーのことをちゃんと覚えていてくれた。会えて嬉しいと、下手くそでも笑ってくれた。

 対して、自分は何だ。彼を殺そうとした。殺すつもりだった。カインの思いを全部踏みにじって、無かったことにして。


 この両手足を奪ったのは、カインではない。


 カインが助けてくれたから、手足を失うだけで済んだのだ。


「……カイ、ン」


 ぽた、ぽたと透明な雫が便箋を濡らす。雨が降ってきたのだろうか。間抜けな勘違いに、反吐が出る。

 目頭が痛いくらいに熱い。息が出来なくて、喘ぐように声が漏れる。


 止まらない。


「カイン……すまない、おまえを……傷つけるつもりなんて……無かったんだ」


 涙と後悔が止まらない。カインがどれだけ優しいか、一番知っていたくせに。護らなければならなかったのに。


『ごめんなさい、アーサー様……やはり、私はここに居てはならなかった。すぐに離れるべきだった。貴方の温かな手に縋ることは間違いだった。願いが叶うだなんて、期待しなければ良かった』


「願い……カインの願いって、何だった?」


 カインは何も望まなかった。我が儘なんて言ったことがなかった。それでも、確かに彼は何かを願っていた。

 たった一つだけ。アーサーの無事を祈るような優しいものではなく、もっと個人的で自分勝手なものが。昔、一度だけ屋敷の中で行われた小さなイベント。東の島国から伝わってきたという神事で、意味はよくわからなかったが。

 そうだ。確か自分の手紙に入れた気がする。その場に座り込み、ぼんやりとしながらもう片方の手紙を開ける。

 子供っぽい字面は読む気にもならない。でも、確かに入っていた。目も覚めるような、細長く赤色の画用紙が一枚。

 願い事を書いた紙を、『ササ』という植物に飾れば叶うのだとか。カインの手を引っ張って、無理矢理書かせたのを覚えている。


 でも結局、カインはそれを飾ることなくゴミ箱に捨てたのだ。絶対に叶わない我が儘だからと、笑おうとした姿がとても悲しくて。


 神に願っても駄目なら、大人になった自分が絶対に叶えてやろうと思って、拾ってこの手紙に入れたのだ。

 当時は意味がわからなかったが、今なら理解出来た。


「ああ……そうか。カインは、こんなことを……馬鹿だな、本当に……馬鹿だ……」


 温かな思い出が溢れると同時に、嗚咽が零れる。本当に馬鹿なのはアーサー自身だ。全部忘れて、今までのうのうと生きてきただなんて。


 全てを奪った本当の犯人を忘れていただなんて。


「……許さない」


 ぐしゃりと、手紙を握り潰してしまう。せっかく、カインが書いてくれたものなのに。自制が出来ない。感情を制御することが出来なくなった。

 怒り、憎悪。身を焦がすような激情が、アーサーを支配する。


「許さない……絶対に、許さない」


 思い出した。もう二度と忘れない。燃え盛る炎の中、流れた血よりもずっと紅い、あの者を。

 全てを奪った。そして、カインを傷つけた。


「……殺してやる」


 ゆっくりと、立ち上がる。自分が自分でなくなるような感覚。もう良い、どうでも良い。ただ一つの目的さえ果たせれば、この身が砕けようが潰れようが構わない。


 今度こそ、ただ一つの目的を――『復讐』を果たす。


「殺してやる……あいつだけは、絶対にこの手で」


 殺してやる。全てを失った、この場所で。誰も居なくなった、かつての居場所で。

 分厚い雲に覆われた夕闇に向かって、喉が引き裂けんばかりに、まるで獣のようにアーサーは吼えた。

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