作戦失敗



「え、ジェズ!? 何でココに、むぐぐ!」

「ああ、リヴェルくん。良かった……怪我はしていませんか? どこか痛いところはありませんか?」


 本当に一瞬だった。吸血鬼は霧になれるという噂を聞くが、どうやら本当の話だったらしい。既に、カインの気配はどこにも無かった。

 そして、入れ違いのようにして現れたのがジェズアルドだ。カインの存在に気が付いているようだが、それでも彼の意識はリヴェルにしか向いていないよう。カインどころか、誰にも目もくれず。ただリヴェルを抱き竦めるだけ。

 普段の彼からは想像も出来ない表情で、ただリヴェルを護るように。その必死な姿は、何かを思い起こさせるものがあるが。

 

「く、苦しいぞ……ジェズ」

「良かった、本当に良かった。きみに何かあったら僕は、僕は……」

「え、ええっと。姐さん、どうしましょう?」

「……そっとしておきましょう」


 おろおろと、彼等とサヤを見比べるシダレ。断定は出来ないが、恐らくはしばらくカインが戻ってくることはないだろう。

 やることも、考えるべきこともたくさんあるが。もう気を張る必要は無い。


「アーサー……大丈夫?」


 安全を確信した途端、思わずアーサーの元へ駆け寄る。今回のことは、あまりにも浅慮だった。カインとの遭遇は予想外ではあったものの、想定しておくべきことだった。

 そして、サヤが考えていた以上にアーサーの傷は深い。否、因縁というべきか。何にせよ、カインとの間に何かあったのだろう。

 憎悪という言葉では言い表せないような、とても特別な何かが。


「……すまない、サヤ。しばらく、一人にしておいてくれないか?」

「え、でも」

「頼む、放っておいてくれ」


 思い詰めた表情で、それだけを言い残して。アーサーは一人、その場を立ち去ってしまった。止められなかった。彼の手を掴み思い直させることが出来なかった。

 仕方がない。心配だが、今は一人にしてあげる方が良いだろう。大丈夫、彼は強い人だ。

 そう、信じて待つしか無い。


「うぐぐ、あれ……ちょ、ちょっとジェズ。オマエ、ケガしてるんじゃ」

「あー……これですか? 血はもう止まっているのですが、着替えてくる暇が無かったんです。見苦しくてすみません」

「何ですぐに言わねぇんだよ!? すぐに手当てしないと……でもジェズ、オレよりもルシアが――」

「おい、そこの詰めの甘い色ボケ老いぼれ吸血鬼。リヴェに血と加齢臭が移るだろが、さっさと離れろ」


 撃つぞ。いつもよりは覇気が無いものの、代わりに冷え切った殺気が満ち満ちている声。慌ててサヤもそちらへと戻る。良かった、彼も無事だった。ここに戻って来るまでに気配を感じなかったが、その辺りの事情は考えても仕方がない。

 身の危険を感じたのだろうか。パッとジェズアルドがリヴェルから離れ、潔く両手を天に向けた。


「ひいっ、それだけは勘弁してください! ただでさえ消耗してるのに、これ以上撃たれたら死んじゃいます! ……ていうか、ルシアくんの方が死んじゃいそうですね? 大丈夫ですか?」

「うるさい、死ね」

「ひいい!」


 ジェズアルドに向けて、左手で銃を構えるルシア。お決まりのやり取りに安心感を覚える反面、同時に違和感も覚える。その正体はすぐにわかった。

 ふらつく足元に、銃を持つ手も震えている。そもそも、彼は右利きだった筈だが。


「る、ルシア……ケガ、してる。大丈夫、か?」

「ああ。もちろんだリヴェ、この通り無傷だ。お前も無事で安心したぞ」

「いやいやいや。ルシアさんはどう見ても無事じゃないっすよ、その右手……もしかして折れてません?」

「うるさいな、繋がっている内は無傷だろう」


 とんでもない暴論だ。


「こら、ルシアくん。右手はきみの利き手でしょう? いくらダンピールとはいえ、骨折を放置すれば流石に完治し難くなりますよ。最悪の場合、障がいが残ってしまうかもしれません」

「お前を灰にする程度なら左腕一本で十分だ」

「だ、ダメだって! 早く手当てしようルシア、な?」

「むう、リヴェがそう言うなら」

「ええ、きみって本当に……」


 リヴェルが駆け寄ってくるなり、ルシアから殺気が消え失せた。本当に仲の良い兄弟、だが。

 ルシアの思いは、少し狂気じみたものを感じる。それに、先ほどのリヴェルの口調。気になることは多いが、探る余裕は残念ながら無い。


「うう、でも良かった。ルシアが無事で、オレ……」

「な、泣くな。泣かないでくれ、リヴェ」


 ほっとしたのか、涙ぐむリヴェルに慌てるルシア。確かに彼の言う通りだ。カインの言うことが本当なら、彼はヴァニラの襲撃を受けた筈。


「ねえ、ルシア。あなた、あの狙撃場所でヴァニラに襲われたそうだけど。もしかして、その腕は彼女に?」

「ああ、確かにグール化した人狼の女の子が部屋に飛び込んできた。この辺りは血の臭いが濃くて気が付かなかった……というよりは、あの娘の元々持っていた能力の高さのせいか」

「それで、その……ヴァニラさんは?」


 シダレが狐耳を寝かせながら、恐る恐る訊ねる。彼が一番ヴァニラのことを気にしていたから、どうしても気になってしまうのだろう。


「あの、ヴァニラさんの身体に……爆弾を付けられてたって聞きましたけど」

「彼女が付けていたウエストバッグの中に、爆弾があることはすぐにわかった。だから、接近した際にベルトをナイフで切って窓から外に投げ捨て空中で爆発させようとしたが……想像以上の反応速度と力だった。右腕を折られ、ベルトを切るのに手間取り、爆弾は窓際で爆発。その際に落下した天井や壁の瓦礫ですぐに身動きが出来なくてな」

「じゃ、じゃあヴァニラさんは!?」

「すまない、逃げられた。ただ、あの爆発で彼女も肩を負傷していた。加えて、あそこまでグール化が進んでしまっている以上……もう、長くはないだろう」

「そ、そうですか……」


 嬉しさと落胆に、シダレの表情が曇る。そうだ、グールとはいえ決して不死ではない。吸血鬼の血によって、彼等と同じ生命力を授かることはできるものの。それはあくまで一時的なものでしかない。

 悪食が進み、自我を失い獣のように獲物を求め彷徨うようになり……やがて、灰と化してしまうだろう。負傷したのなら尚更だ。

 ヴァニラの身柄を確保するのは、諦めた方が良いか。


「よし、とにかく今はルシアさんの怪我を手当てしないといけないっすね! 帰りましょうか、姐さん。旦那も先に帰ってるかもしれませんし。ささ、リヴェルさんも」

「う、うん。そうだな。ほらルシア、行くぞ」

「い、痛い……わかった、わかったから引っ張らないでくれ」


 ぐいぐいとルシアの左手を引っ張りながら、家路へと急ぐリヴェルとシダレ。サヤも後を追いかけようとするも、すぐに足を止めて引き返す。


「……何をしているの、行くわよ」

「え? ああ……いえ、僕は遠慮しておきます。僕の怪我は大したことないですし。さっきも言いましたけど、もう傷口は塞がりましたので」

「ふうん、そうなの」


 それじゃあ。その場から動こうとしないジェズアルドにつかつかと歩み寄ると、手にしたままの刀を持ち直す。

 そして、そのまま柄の先で彼の脇腹の辺りを小突いてみた。


「いった! 痛いです!! 何ですか急に!?」

「別に。ただ、無意味に強がっていたから腹立たしく思っただけよ」


 どうやら相当痛かったのだろう。ぴゃっと飛び退るジェズアルドに、ちょっとだけ優越感を覚える。なるほど、ルシアの気持ちが少しわかったかもしれない。

 というのは、半分冗談で。


「それに……今のあなた、とても怖い顔をしていたわ」

「え……そう、ですか」

「リヴェルが見ていなくて良かったわね。何を考えていたかは聞かないけれど……とにかく、あなたも一緒に来てくれない? あなたがこのまま居なくなったら、きっとリヴェルはいつも以上に寂しがるわ」


 それに、とサヤは続ける。


「ジェズアルド、あなたにはいくつか聞きたいことがあるの。力づくで聞き出しても良いのだけれど、今日はもう疲れたわ」

「あはは、そういうことですか。確かに、今日は疲れましたね。良いでしょう。サヤさんの疑問を解消出来る自信はありませんが。リヴェルくんを悲しませたくないので、ご一緒させて頂きます」 


 幾分か雰囲気を弛緩させたジェズアルドに、サヤは小さく笑って。辺りを警戒しながら、今度こそ先を行く三人を追いかけた。

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