消えた絆

「……え」


 想像なんて、出来る筈も無かった。機械人形のような冷血漢が、手を震えさせながら手を止めるだなんて。

 ……否、違う。


 この男が冷血とは程遠い性分であることを、アーサーはずっと前から知っていた。


『ねえ、どうしてカインは泣いているの?』


「あ……」


 思い出してしまう。


『私は……もう、用済みだと言われてしまったので。ここに私の居場所はありません。私を必要としてくれる人は、誰も居ないのです』

『そうなの? それなら、ぼくがカインを必要とするよ』


「カ、イン……」


 頭が痛い。金槌で殴られ続けているかのような激痛に、ナイフを握り続けることすら出来なかった。両手で頭を抱える。蹲らないようにするのが精一杯だ。

 そして、痛みと共に思い出される記憶。拒絶する意思とは関係無く、止め処なくどんどん溢れ出てきてしまう。

 思い出したくない。


 ……思い出したくない、のに。


『カインは全然笑わないね。ぼくと居ても楽しくない?』

『いいえ。アーサー様と一緒に居させて貰えるのはとても楽しくて、嬉しいです。私には、恐れ多いくらいに』

『そっか。じゃあ、カインも笑ってみてよ! 嬉しい時や楽しい時は、目一杯笑わなきゃダメってお母さまが言ってたよ』

『笑う、ですか……すみません。私は、笑い方を忘れてしまいました』

『えー! カインは格好いいから、笑ったら絶対にキレイなのに……それなら、練習しよう』

『れ、練習ですか?』

『うん。ほら、さんはい!』


「……アーサー様」


 カインの声に、大袈裟なくらいに肩が跳ねた。恐る恐る、顔を上げる。


「あの時は、どうなることかと思いましたが……とても、ご立派になられましたね」

「お、お前は」

「もう一度、貴方にお会い出来て……私は……申し訳ありません。せっかく教えて下さったのに、やはり上手く笑えません」


 でも、とカインが続ける。大鎌を下ろして、アーサーのことを真っ直ぐに見つめてくる。

 記憶よりも随分距離が近付いた顔には、先程までは無かった表情があった。


「でも、私は嬉しいです。貴方が無事で居てくれた。そのことが、とても嬉しい」

「あ、ああ……」


 今にも泣きだしそうな、歪な笑み。そうだ。彼はあらゆることが不器用だが、その中でもとりわけ笑うのが下手だった。

 思い出したくなかった。思い出したら、今までの自分を全て否定することになってしまうから。

 それでも、思い出してしまった。


「貴方を護りきれなかったこと、見捨てるような真似をしてしまったこと。私が犯した罪を許して欲しいとは言いません。だからこそ、私は貴方にこのナイフを託した」


 カインがナイフを拾い上げ、そのままアーサーの手に握らせる。自分を殺す為の唯一の刃だというのに、彼は躊躇しなかった。

 当然だ。彼は死を絶対に拒まない。


「アーサー様。どうぞ、私を殺してください」

「っ!?」

「私は、貴方のご家族を……貴方を護ることが出来なかった。貴方を傷つけてしまった。他にも多くの罪を犯しました。自分の罪から目を背け、これ以上生き続けるつもりも度胸もありません。それに、今この国には――」


 力の入らないアーサーの手を操り、自ら胸にナイフを突き刺そうとするカイン。しかし、刃が彼の心臓に埋もれることはなかった。

 はっと、顔を上げたカインが慌てて後ずさる。彼はもう、アーサーのことを見ていない。


「この血の匂い……やはり、お前か」

「カイン?」

「申し訳ありません、アーサー様。私は……神に背いた堕天使の罠なんかに、嵌まるわけにはいかない。それが私の、最後の意地なので」


 大鎌を持ち上げて、カインはアーサーに背を向けた。あの時と、同じだ。彼と過ごした記憶にある、最後の瞬間と。


 行ってしまう……


「貴方が私を殺してくれるのなら、喜んで受け入れます。また近い内に、会いに行きますね」

「待て、行くな――」

「リヴェルくん!」


 突如割り込んできた声の方を、反射的に振り向く。そちらに目を離してしまった一瞬の隙に、カインの姿はどこにも見えなくなってしまった。

 どうして、彼を呼び止めようとしたのか。手を伸ばそうとしたのか。全てを理解したアーサーは、ただ立ち尽くすしか出来なかった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る