弟殺し

 鼓膜に届いた声に、心臓が大きく跳ねた。リヴェルを追いかけようとした足が止まり、頭の中が真っ白に塗り潰される。


 この声は、知っている。


「なっ、何だよアンタ!? 離せ、離せよ!」

「何、と聞かれましても……吸血鬼、と答えるしかないのですが。離すことは出来ません、主の命令なので」


 男が左手でリヴェルの腕を掴み自分の方に無理矢理引き寄せる。リヴェルは暴れて抵抗しているようだが、男の手から逃れられる様子は無い。

 美しい顔貌は表情が窺えず、まるで人形のよう。埃っぽい風に靡く長髪と、氷のように冷たい双眸は血のように深い紅。右手に携える、身の丈程もある大鎌が彼の異様さを引き立てる。

 しまい込んでいた古い記憶と、寸分違わない姿に思わず呻く。


「あ……あいつ、は」


 どくどくと、身体中を熱い血が巡る。やっと見つけた。アーサーから両腕と足を、そして家族を奪った因縁の吸血鬼。

 感情が昂り、呼吸が上手く出来ない。今すぐにでも男の息の根を止めに飛び出してしまいたいが、身体が言うことを聞かなかった。

 この感情は恐怖か、それとも。自分が自分でなくなるような感覚に、アーサーは胸を押さえる。


「あまり暴れないでください。私に与えられた任務は、『テュランの記憶』を確保すること。つまり、貴方は生きてさえいれば良いので……動けないように手足を斬り落としてしまっても構わない、ということです」

「ッ!?」


 男が淡々と言葉を紡ぎながら巨大な鎌を持ち上げて、切っ先をリヴェルに見せ付ける。三日月型の刃が、獲物に飢えているかのように鈍く煌めいた。

 虚勢などではない。アーサーの記憶が正しければ、男はどんなに凄惨なことでも顔色一つ変えずに実行する。

 持ってきていたテュランの大剣は、倉庫の中に置き去りにしたまま。銃を持っているだろうが、両手が封じられている以上、リヴェルに出来る抵抗は無意味だろう。


「――――破ッ!!」


 不意に、煙る景色に銀色の閃光が駆け抜けた。人間の視力では捕らえられない速度でもって、サヤが男に斬りかかった。彼女とは長い付き合いだが、音速の斬撃を受けて耐えられた者は見たことがない。

 だが、


「ぐっ、あぁ!!」

「おねえちゃん!?」

「姐さん!」


 驚くことに、男の方が速かった。相当の質量があるであろう大鎌を片手で振り回し、サヤの刀を弾き飛ばす。反応速度だけでなく、単純な腕力も男の方が遥かに上だ。

 受け身を取ることも出来なかったようだが、駆け付けたシダレがサヤの身体を受け止めるようにして倒れ込んでしまう。


「いっつ……だ、大丈夫っすか、姐さん」

「ええ……私は、平気よ。ありがとう、シダレ」


 ふらつきながらも、サヤとシダレが立ち上がる。衝撃で唇を切ったのだろうか、サヤの口の端から紅い雫が伝った。


「邪魔をしないでください。無意味な殺生は避けたいので」

「……あなたが、吸血鬼の真祖……カイン、で合っているかしら?」

「はい、私がカインです」


 問い掛けに男、カインが淀みなく答える。不自然なまでに抑揚の無い声は機械のようだ。刀を構えたまま、サヤが紅い瞳を睨み付ける。


「……リヴェルを離しなさい」

「それは出来ません」

「あなたの目的は何? どうして、こんなことをするの?」


 一瞬だけ、サヤがアーサーを一瞥するもすぐに視線を戻す。それだけで、彼女の言いたいことが理解出来た。そして、同時に彼女の焦りも伝わってきた。

 片手が塞がっているにも関わらず、圧倒的な実力差。アーサーを含めた三人が同時に攻撃を仕掛けたところで、カインには一撃も当てることは出来ない。

 ルシアが居れば、まだ可能性はあるかもしれないが。未だに火を噴き続けるビルの様子を見るに、彼が無事かどうかもわからない。

 でも、切り札はもう一つだけ残っている。アベルのナイフ。アーサーが持つナイフだけが、最後の望みになってしまった。彼女はアーサーにナイフを使えと訴えたいのだろう。

 でも、サヤはアーサーの過去も知っている。だからこそ、彼女は少しでも時間を稼ごうとしてくれているのだ。

 アーサーが、覚悟を決められるように。

 

「申し訳ありませんが、答えられません」

「そう。それなら、さっきの爆発はあなたの仕業だと判断しても?」

「はい。あのダンピールが一番の障害でしたので。ですが……私は、何もしていません。実際には、ヴァニラさんに全てお任せしました」

「アンタ……ヴァニラちゃんに何をさせたんだ?」


 カインの言葉に、リヴェルがぴくりと肩を揺らす。嫌な予感がする。そうだ。考えてみれば、ルシア程の男が爆弾に気が付かないだなんておかしい。

 可能性が、あるとしたら。


「彼女の身体に爆弾を装着させ、ダンピールに接近し密着した状態で起爆させるように命じました。それ以外の方法ですと、成功率が下がりますし……もう彼女は不要なので、始末も兼ねてこの方法をとりました」

「なっ!?」


 全員の顔が強張る。やはり、そうか。ルシアが罠に気が付いたとしても、ヴァニラの身体能力ならば、彼が爆弾を無効化させる前に自分もろとも葬ることが出来る。


「あ、あんた……自分が何をしたか、わかってるんすか!? グールとはいえ、よくもそんなこと出来るっすね! 惨すぎます、サイテーっす!!」


 シダレが銃を構えながら、嫌悪感を剥き出しにして吠えた。温厚な彼が、あそこまで敵意を剥き出しにするのも珍しい。

 それ程までに、カインという男は残忍だ。躊躇や迷いというものが存在しない。


「あなた……絶対に許さない。早くリヴェルを離しなさい。この命に代えてでも、あなたはここで討ち取るわ」

「姐さん、援護するっす! おれっちもこの人キライっす!」

「……あまり時間をかけることは出来ません。これ以上邪魔をするなら、殺します」


 片手で大鎌を構えるカインに、サヤとシダレが臨戦態勢に入る。マズい、もう考えている暇は無い。

 アーサーもナイフを抜いて、タイミングを窺う。問題は、カインとリヴェルの距離が近いことだ。今居る場所からだと、ナイフを突き刺す前に大鎌で振り払われるか、リヴェルを巻き添えにしてしまう。

 一瞬で良い、カインに隙が出来れば。


「……痛い目を見るのは、アンタの方だと思うケド」

「何?」


 不意に、リヴェルが口を開く。凶悪な大鎌が目の前にあるにも関わらず、彼の表情や声に恐怖は無い。サヤやルシアを傷つけられたという怒りも、苦痛も見せていない。

 ただ、不自然に口角を吊り上げて彼は言った。


「気づかない? コワいダンピールのお兄サマが、あのビルからアンタの頭を狙ってるコトに。約十三ミリの大口径スナイパーライフルは、戦車さえブッ壊す頭のおかしい代物だ。アンタはそれでも死なないかもしれねぇケド、しばらくの間動けなくなるのは確実だろ。カワイソー。

「……!?」


 その言葉に、カインは思いもよらぬ反応を見せた。自らリヴェルの腕を離すと、大鎌を両手で持ち直して燃え続けるビルの方を睨む。だが、先に気が付いたのはアーサー達だった。

 彼の生死は不明だが、リヴェルが捕らえられている以上引き金を引くとは思えない。加えて、そもそもルシアが持ち出した銃はそこまで強力な代物ではない。


「いったぁ……」

「リヴェル、大丈夫!?」

「リヴェルさん!」


 サヤとシダレが駆け寄り、リヴェルを庇うようにしてカインに立ちはだかった。カインもすぐに嘘だと気が付いたのだろう。

 表情を変えないまま、彼は大鎌を構えて冷徹に言い放つ。


「……良いでしょう。邪魔する者は全員、ここで死んで頂きます」

「いや……死ぬのはお前だ、カイン!」


 今だ、今しかない。荒ぶる感情を押さえ付け、アーサーが地面を強く蹴ってカインとの距離を詰めた。奪われた大切なものへの恨みが、ナイフを握り締める手に籠る。

 刺し違えるのはサヤではなく、自分の役目。殺す、絶対に。

 でも、やはりカインの方が速かった。


「ああ……まだ、居ましたか」


 振り上げられる巨大な刃。思考の隅で、冷静な自分が死を悟った。それでも、アーサーはもう足を止められなかった。

 駄目だ、届かない。悔しい。ようやく仇をとれると思ったのに。頭上かた振り下ろされる大鎌に、アーサーは死を覚悟しつつナイフを持つ手を突き出す。


「――――ッ」


 ナイフは刺さらなかった。あともう少しというところで、アーサーの足が止まった。まるで地面に縫い付けられたかのように、一歩も動かすことが出来なかった。


 そして、大鎌がアーサーを斬り刻むこともなかった。見れば、目前に迫った切っ先が震えている。


「その、ナイフは……それに、両手足の義肢……貴方はまさか、


 

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