五章 再会

未来予知


 夕暮れ時。ディアヌは大統領の執務室で粛々と仕事に取り組んでいた。崩壊寸前の国家の立て直し、増え続けるグールの対策、野放しになっている人外達の現状など。アルジェントが抱える問題は山積みで、いつ何が起きても不思議ではない状況だ。

 期待の大統領として持ち上げられてはいるが、内実は面倒事をまとめて押し付けられたに過ぎない。責任の重さと成果が割に合わない職務ではあるが。

 このご時世だ。衣食住が揃い、身辺の警護を約束されているだけ恵まれていると思わなければ。


「……ん?」


 不意に、ディアヌはサインを綴るペンを止めた。誰か、来る。仕事に専念する為に人払いをした筈なのに。何かあったのだろうか、それにしては響く足音が緩慢だ。

 この歩き方……カイン、か? 否、これは……。くすりと口角を上げて、ディアヌは来訪者を迎え入れた。執務室の扉に鍵は掛けていないし、ここは建物の八階。窓から逃げることも出来ない。

 それなら、今更ジタバタしても仕方がない。


「初めまして、ディアヌさん。今、少しだけお時間を頂けますか?」


 静かに扉を開けて、執務室に足を踏み入れる一人の男。上質なスーツをきっちりと纏い、見惚れる程の美貌。

 なる程、。だが、自分の意思をほとんど持たない抜け殻のようなカインとは違い、目の前の吸血鬼には鋭い敵意が窺える。口調と声色は穏やかだが、こちらに拒否権を与えるつもりは無いらしい。


「……ここに来るまでに、警備の人間が何人か居た筈だけれど。彼等は仕事を放棄したのかしら、それとも……死んだのかしら?」

「眠っているだけですよ。余程お疲れなのでしょうね……でも、一時間もせずに目を覚ますと思います」


 にっこりと微笑を飾って、男はディアヌの机の前に立った。見たところ、銃やナイフと言った武器を隠し持っている様子は無い。

 けれども、情報通りなら人間を眠らせることも、殺すことも彼には呼吸をするくらいに容易いことなのだろう。耳栓でも常備しておけばよかった、それで回避出来るものだとも思えないが。


「そう、あなたがジェズアルドね。噂通り……いえ、想像以上にイイ男だわ」

「褒めて頂けるなんて嬉しいです。ちなみに……貴女が飼っている吸血鬼と、どちらがお好みですか?」

「今すぐチェンジしたいくらいに、あなたがタイプだわ。どうかしら?」

「あはは! まさかそこまで言って頂けるなんて、予想していませんでした。でも、申し訳ありませんがお断りします。僕も何かと忙しいので」


 あら、残念。ディアヌは素直に嘆息した。


「それで? こんな場所まで足を運んできた理由は何かしら、ジェズアルド。暇を潰しに来たわけじゃないでしょう?」

「もちろん。本日は、貴女がどうして今更シェケルさんの資料を世間に広め、彼女の息子が生きているかもしれないと国中に知らしめた理由を教えて頂きたくてお邪魔しました」

「ふうん……よくわかったわね。これでも偽装工作には苦労したのよ?」


 笑みを崩さないまま、ディアヌ。それでも内心は驚いていた。この能力の高さ、というよりは器用さか。同じ吸血鬼でありながら、こんなにも違うなんて。


「今、この国は崩壊寸前です。大統領がやるべきことは、不確定の情報で国民の不安を煽ることではなく、一日でも早く平和を取り戻す為に人間達の安全を確保することでは?」

「アルジェントをこんな状態にした張本人が、よく言うわ」

「そうそう、僕も不思議に思っているんですよ。どうしてこんなことになってしまったのでしょうね。僕達……いや、テュランくんの復讐に、『吸血鬼症候群』なんて醜い事象は想定されていなかったのに」


 眼鏡を押し上げて、ジェズアルドが言う。全く、吸血鬼という生き物はあらゆる意味で本当に性質が悪い。

 いや、この男……と断定した方が良いか。


「機械や銃火器をも身体に取り込む異形の屍。そして、なんて彼は予定していなかった。そこまでするつもりは彼には無かったし、意味がない。あの子の復讐を利用し、歪めたのはディアヌさん……貴女ですよね?」

「ふふっ、こんな場所まで来て何を言い出したかと思えば――」

「そうそう、先日ハルス大学病院の方でこんなものを見つけたんですよ」


 ことん、と机の上に置かれる小箱。掌にすっぽり収まる大きさの透明な箱はピルケースだろうか。中には数種類の錠剤とカプセル剤が几帳面に整理されている。

 そのどれもが、どす黒い紅色をしている。


「これ、ご存知ですよね? 僕は以前、メルクーリオという国でこのお薬を大量に製造している工場を見かけたことがありまして。いやあ、驚きました。貴女が裏で手引きしていたんですね。院長室の金庫の中にあった書類に、ディアヌさんのお名前がたくさんかいてありましたよ。あ、否定したいのならどうぞご自由に。僕の目的は、貴女の悪事を暴くことではありませんので」


 ただ、とジェズアルドが続ける。


「僕としたことが、うっかり金庫の書類を持ち出して別の場所に置いてきてしまいました。ディアヌさんに見せてあげようとしたのに、僕しか知らない所に忘れて来てしまったんです。いやぁ、本当にうっかりでした」

「……随分、手の込んだことをしてくれるじゃない。あなたなら、そんな面倒なことをしなくてもわたしを操って情報を引き出すなりすれば良いじゃない。その為に、わざわざカインが不在にしているタイミングを狙ったんでしょう?」


 自分でも、声に苛立ちが混じるのがわかる。落ち着け、冷静さを失えばそれこそ相手の目論見へ嵌ることになる。

 今はただ、反撃の時を待つだけ。


「カインのことは別にどうでも良いです。でも、邪魔者が居ないタイミングを見計らったのは確かです。について、どうしても確信が持てなかったもので」

「あら、驚いた。吸血鬼にはバレちゃうのかしら」

「ええ、血の匂いが他の人間と違いますから。貴女からは、僕が知っている女の子と同じ匂いがします。やはり貴女も超能力者なんですね」

「あっはは! もう、本当にカインではなくあなたを使役出来れば良かったのに。言っておくけど、これは友人や家族にも秘密にしていることなのよ?」


 思わず、声を上げて笑ってしまう。彼の言う通りだ。ディアヌは『超能力』を使うことが出来る。今まで必死に押し隠してきたことなのに、こんなにもあっさり見破られてしまうとは。

 自分が異様な力を持っていることに気がついたのは、物心がついた頃だった。当時はまだ、人間と人外の区別があやふやで、人ならざる能力を持つ超能力者さえも人外として扱われる悲惨な時代だった。だから、ディアヌは自分の力を隠してきたのだ。

 幸運なことに、周囲の人間に気付かれることはなかった。それは、彼女の能力のお陰である。ディアヌは、自分の力を知られたら大変なことになると予知していたのだ。


「これでも結構長生きをしていますが、貴女と同じ能力を持っている人に何度か出会ったことがあります。だから、確信しました。ディアヌさんの能力は、『未来予知』ですね?」

「ええ。でも、変な期待はしないで頂戴。わたしの力は、今までずっとひた隠しにしてきたの。だから、最近の能力者のように上手く使えないの」


 近年、人間として正式に認められた超能力者は幼い頃から力を使いこなせるように訓練することが義務付けられている。だが、ディアヌは自分の力に対する訓練を行ったことが無い。

 比較的生命に悪影響を及ぼすような能力ではないことも理由の一つだが、当時はとにかく隠したかった。人外だと罵られるのも、他人に悪用されるのだけは防ぎたかったのだ。


「そのようですね。もしも貴女がその能力を完璧に使いこなしていたら、僕がこうしてディアヌさんとお話することは出来なかったでしょう。察するに、貴女の能力では個人単位の未来しか予知することが出来ない」

「そう、あと……これは最近知ったことだけど、どうやらグールの未来も見えないみたい。死んでいるのだから、当たり前だけど。そういえば、ジェズアルド。あなたの未来も見えないわ、なぜかしら」

 


 

 

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