決意
※
埃っぽい風が、アーサーの髪を荒々しく弄ぶ。この辺りは荒れ果てたアルジェントの中でも特に静かな場所だった。不思議なことに、ここにはグールがほとんど出没しない為、比較的建物や道路などの被害は少ない。
でも、誰もここには寄り付かない。アーサーが足を運んだのも、一年ぶりだ。
「わー、なんか……思ってたよりも寂しい感じ」
「以前はこのタワーを中心によくイベントなどを催していたが。そうか……建物は無事でも、人が居なければこんなにも廃れるものなんだな」
辺りを見回しながら歩くリヴェルの後について、アーサーも変わり果てた街を眺める。辺りに死体や瓦礫が転がっていることがない分、人だけが居ない景色が不気味だった。
……それにしても、リヴェルが来たがっていた場所がこの場所だったとは。
「うわー。実際に自分の目で見ると、やっぱり高いなー……なあヒーロー。あれ、オルマタワーだっけ? 昇れないのか?」
「昇れないこともないだろうが、一年間全く整備されていないからな。それに電気は確実に止まっているから、エレベーターは動かないぞ。昇るなら、ひたすら非常階段に昇るしかないな」
「うーん……それはそれで面白そうだケド、また今度にしようっと」
天空を目指してそびえ立つタワーを見上げて、リヴェルが笑う。やれやれ、この様子では本当にやりそうだ。無邪気な子猫の様子に呆れながらも、同時にあの時の記憶が呼び起こされる。
一年前の、この場所で。彼は――。
「ねえ、ヒーロー。テュランは、何で死んだのかな」
リヴェルが言った。彼の言葉に、息を吸うことさえ出来なくなる。心を読まれたのではないのかと、アーサーは思わず身構えた。もちろん、彼はそんな特殊能力など持っていない。
だから、それは彼の純粋な思いでしかなかった。
「テュランはオレとは違って、スッゲェ頭が良かったのに。おねえちゃんとは一緒に逃げられなかったとしても、研究所から逃げるチャンスはいくらでもあった筈だよな。でも、アイツはそうしなかった」
「それは……」
それは、確かにそうだ。テュラン程の策士ならば、人間の目を逃れて逃げ出す機会があったのではないか。いや、きっとあったに違いない。
でも、彼はそうしなかった。
「オレだったら、たった一回の失敗で諦められないと思う。だってさ、ルシアやジェズに会えないのは寂しいし、美味いメシやお菓子が食えないのは絶対に嫌だからな! 噛み付いてでも逃げ出してやるって思う!」
……でも、とリヴェルが続ける。
「テュランには、そういうのが無かった。外の世界がどんなに明るくて、楽しいところかを知らなかった」
「……人間が、あいつや他の人外から希望を全て奪ってしまった。今は、過去の行いがどれほど卑しく惨いものだったかを思い知った。だから、サヤだけが悪いわけじゃない」
「別に、おねえちゃんが悪いって言ってるわけじゃねぇよ。だってさ、本当に悪いのは……オレだから」
荒々しい風に髪を揺らしながら、リヴェルが静かに言った。
「だって、そうだろ? テュランは自分に双子の弟が居ることさえ知らなかった。オレは、自分に兄貴が居るのを知っていたのに助けもしないでこの国から逃げ出したんだ」
「だが、それは仕方のないことだったのだろう?」
リヴェルがルシアと共に、アルジェントから逃げ出したのは十にも満たない幼い頃だったと聞いた。ジェズアルドの助力があったとしても余裕など無いに決まっている。
自分達の命を守るので精一杯だった筈だ。
「お前達の境遇を、俺は想像することしか出来ないが……俺ならきっと、自分の身を守るのでやっとだと思うぞ」
「……あっはは。ヒーローは本当に優しいなー」
力無く笑うリヴェル。二人の間を、びゅうっと強い風が吹き抜けた。紅い髪が乱れる様が、記憶の中にある傷を抉る。
「……ヒーローだけじゃない、おねえちゃんもルシアやジェズも……皆、同じコトを言ってくれるんだよ。オレのコトを思ってくれてるってのがわかって、スッゲェ嬉しい。でも……嬉しいのと同じくらい、苦しいんだ」
「リヴェル……」
「オレは……オレは、テュランを助けたかった! 助けなきゃいけなかった!!」
悲痛な叫びが、辺りに響く。アーサーを見る銀色の瞳が、必死に涙を堪えているのがわかる。
「アイツがどんなに苦しい思いをして、どれだけ酷い仕打ちを受けているのかをオレは知っていたのに……見て見ぬフリをしてしまった。テュランがオレのコトを知らないのを良いコトに、アイツのことを見捨ててしまったんだ。アイツがあんな風に死んでしまったのも、この国がこんなコトになってしまったのも、全部……全部、オレのせいだ」
血を吐くような告白。そうか、リヴェルはずっと後悔していたのか。テュランを見捨てて、血を分けた兄を見捨てて自分だけが生き残ってしまったことを。
国のせいに、人間のせいにしてしまえば良いのに。純粋ゆえに、全てを抱え込んでしまう。
アーサーが想像している以上に、リヴェルは危ういのかもしれない。
「……違う。誰でも死ぬのは怖い。自分の身を守る為に、何かを見捨てたり犠牲にする。生き物が何度も繰り返してきたことだ。それに……俺も、テュランを救えなかった。最後の最後で、俺は……」
無意識に、胸中に秘めていた思いが零れる。誰にも、サヤにさえ言ったことがないのに。リヴェルが、テュランの記憶を持っている彼が居るからか。
あの時、もっと早く動いていれば。この手をもっと必死に伸ばしていれば。テュランに届いていた筈なのに。
「オレさ……アイツが居なくなってからしばらくの間、普通に生活出来なくて。メシを食うのも、風呂に入るのも。服を着るだけでも、ルシアに手伝って貰ってたくらいで。テュランが死んじまったせいもあったけど……なんか、わからなくなったんだ。記憶がごちゃごちゃになっちゃって……上手く、言えないケド……自分が思っていた以上に、テュランに寄りかかってたんだなって。だって、思い出してみるとテュランが覚えたからオレも出来るようになったコトって結構あるんだよな。靴紐の結び方とか、時計の見方とか、あと……あと……っ」
膝から崩れるようにして、その場に座り込むリヴェル。アーサーが慌てて駆け寄るも、手を差し伸べることが出来なかった。
大粒の涙が、ぽろぽろと零れてアスファルトを濡らす。同じ場所で一年前、彼の兄が死んでしまった場所。否、もはや兄という言葉は相応しくない。
少なくとも、リヴェルにとってテュランは『半身』だった。傍には居なくとも、常に共に居た存在だったのだ。
「うっ、うぅ……ごめん、ごめんな、テュラン……オレのせいだ。オマエがあんなに悲しい思いをする必要なんか、無かった。オレのせいで……オレは卑怯で、弱虫で……アイツの方が、ずっと優しくて誰かを思いやれるヤツだったのに」
「リヴェル……」
「代わりたかった……! そうだよ、オレが死ねば良かったんだ!! そうすれば、おねえちゃんもあんなに傷付かずに済んだのに……」
嗚咽まじりに、リヴェルは叫んだ。拳で何度も目元を拭い、幼子のように泣き続ける姿は余りにも痛々しく、見ているアーサーも辛かった。兄弟そっくりな柔らかい猫っ毛を、わしわしとわざと乱暴に撫でてやる。
……テュラン。一体お前は、どれだけの人を悲しませれば気が済むんだ。
「……お前が死んだら、ルシアが悲しむ。ルシアだけじゃない。リヴェル、お前は自分が思っている以上に周りから慕われている。だから、軽々しくそんなことを言わないでくれ」
「ヒーロー……」
「子供達があんな風に楽しそうにしていたのは、この一年間で初めて見たんだ。お前の歌は、誰にも真似出来ない凄い力だ。テュランではなく、お前が生き残ったことには必ず意味がある。リヴェルにしか出来ないことが絶対にある。だから、お前はテュランの分まで生きろ」
そうだ。リヴェルは……否、自分達はいつまでもテュランの存在を引き摺るわけにはいかない。どれだけ時間がかかろうとも、苦痛を伴うとしても、顔を上げて生きなければ。
あいつの『復讐』に、屈するわけにはいかない。
「……うん。今、死ぬのはラクだケド……それは、逃げだってコトはわかってる。だから……まだ死ねないし、死ぬつもりもない。だって、オレにはやらなきゃいけないコトがあるから」
拳で乱暴に目を擦ってから、リヴェルがアーサーを見上げてきた。彼が言う、やらなければいけないこと。それが何なのか、アーサーにはわからない。でも、彼の為ならば協力してやろう。そう、思える程にリヴェルのことを信頼していることに気が付いた。
だから、だろう。次にリヴェルが言った台詞を、アーサーは理解することが出来なかった。
「アイツの復讐を引き継ぐ。その為に、オレはこの国に帰ってきたんだから」
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