かつての拠点

 不意に、伸ばした手が捕まえられてしまい。はっとした時には既に遅く、逃げることも出来ずに強い力で引き寄せられてしまい。


「ふむ、なるほど……確かに、こういう形になってしまいますね。あはは、とても良い眺めです」


 一瞬にして、ジェズアルドとの距離が詰められてしまう。ソファに寝転ぶ身体に倒れ込んだ身体に回される腕に、嬉々として輝く紅い瞳。

 手を付いた胸元の感触は、意外にも筋肉質で。そういえば、リヴェルが言っていた。ジェズアルドは細く見えるが、意外と力が強いのだと。しかし、アーサーのような意図して鍛えているような感じではない。


 ……いや、そんなことよりも。


「……離して、欲しいのだけれど」

「さて、どうしましょうかね。せっかく、こんな誰も来ない廃墟で二人っきりなのですから。僕と楽しいことをしませんか? 大丈夫、アーサーくんには秘密にしておいてあげますから」


 くすくすと、艶笑を浮かべてジェズアルド。年齢に反して、少々そういうことへの知識や経験が不足しているサヤにも、今の状況がどういうことなのかわかる。

 そして、女が男に跨るということがどういう意味なのかも。


「――このっ!」

「ぐはっ!?」


 鳩尾に、拳を思いっきり殴り付ける。涼し気な笑顔が一変、苦悶の表情を浮かべる美貌を尻目にサヤはすぐにジェズアルドから逃げた。

 だが、わかっている。彼に、その気なんか無いということは。


「うう……今のは、流石にキツイです」

「そう、良かったわね。それで……あなたはどうしてこんな場所で寝たフリなんかしているの?」

「寝たフリ、なんかではないですよ。本当に寝てました。気がついたら、あなたがすぐそこに居たんです」


 腹を擦りながら、上体を起こして。ジェズアルドが言うには、どうやら本当に此処で寝ていたらしい。

 それでも、サヤの胸にある鬱憤は拭えない。


「それなら、すぐに起きれば良かったのに。人が悪いわね」

「ふふっ。すみません、てっきり……貴女が僕を殺してくださるのかと思って」


 それは、全くの不意打ちで。思わず、息をするのも忘れてしまう程に衝撃的で。無意識にジェズアルドを見つめるも、彼はにっこりと笑うだけで。


「……どういう、意味?」

「その刀、ルシアくんが用意したものでしょう? 高濃度の銀の臭いがします。それで滅多刺しにされたら、僕でも死ねると思います」

「そうじゃなくて――」

「僕は、貴女の大事なテュランくんを見殺しにしました。それは、立派な動機になりませんか?」


 さあ、やるならどうぞ。そう言わんばかりに、ジェズアルドはわざわざ両手を広げて。これは、罠か? サヤに刀を抜かせたい思惑でもあるのか?

 わからない。だが、彼の言葉は紛れもない真実で。そして、悔しいことにサヤが何回も考えてしまったことだ。


 ――テュランが死んだ、あの日。ジェズアルドならば、もしかしたらテュランを説得することが出来たのではないか。『命令』とまではいかないが、生き残った唯一の仲間であった彼の言葉ならば。


「貴女が今、僕を殺すのならば……僕は抵抗しません」

「……あなたが何を考えているかわからないけれど、私は……そんなずるい方法で、私の罪から逃げたりしない」

「……そう、ですか。ふふっ、サヤさん。貴女は本当に強い方ですね。まだ二十年足らずしか生きていない人間だとは、とても思えない」

「私は強くなんかないわ。でも……多分、リヴェルと会っていなかったら、あなたの言う通りにしていたかもしれないわね」


 サヤは刀の柄に手をかけることすらせずに、ジェズアルドが居る向かい側のソファに腰を下ろす。彼が言うように、罪を押し付けてしまえばきっとラクだろう。

 だが、サヤは決めたのだ。たとえ、もう居なくなってしまったのだとしても、テュランから逃げたりしない。テュランが歪んでしまったのは、誰でもないサヤの罪。

 でも。リヴェルがジェズアルドに懐いていなかったら、もしかしたら彼の言う通りにしたかもしれない。そう意地悪に言えば、ジェズアルドは肩を竦めた。降参です、と溜め息を漏らす。


「やれやれ、いつの時代でも女性は強いですね。僕にとっては赤子同然の貴女に、ここまで言われてしまうとは」

「変な冗談を言うからよ。それで……あなたはどうしてこんな場所に居るの? もしかして、此処があなたの隠れ家なの?」

「まさか、此処にはたまたま立ち寄っただけです」


 鳩尾の痛みは癒えたのか、ジェズアルドはゆるりと足を組んでサヤを見やる。ふと、サヤは『違和感』を覚えた。


「あ、ちなみに……今、サヤさんが座っているその場所、テュランくんの特等席だったんですよ?」

「……え?」

「先程の僕みたいに、よくそこで寝転がってました。ベッドに行くように何度も促したり、担いで放り投げたりしたんですけどね」


 くすくすと笑いながら、ジェズアルドが言った。それはいつもの胡散臭い笑みではない。こんな表情のジェズアルドは、初めて見た。


「トラちゃんが、此処に……」


 思いもよらないタイミングで、求めていたテュランの痕跡をあっさり知ることが出来た。サヤは改めて、テュランの指定席だったというそこからの景色をゆっくりと見回す。

 その席に座ったところで、見える景色に何の変化も無いが。テュランと同じ景色を見られているということだけでも嬉しい。


「……ふふっ」

「やれやれ。貴女はテュランくんのことになると、表情が豊かになりますね。その笑顔、もっとアーサーくんにも向けてあげれば良いのに」

「……アーサー? どうして、彼の名前が出てくるの?」


 不思議に思って、サヤが首を傾げる。今はテュランの話をしていた筈。どうして、アーサーの名前が出てくるのか。


「……アーサーくん、可哀想です」


 眼鏡を押し上げて、ジェズアルドがこれ見よがしなため息を吐いた。彼が一体何を言いたいのかはわからないが、何だか馬鹿にされたような気分だ。

 腑に落ちない。


「ところで、サヤさんはどうしてこんな廃病院に来たんですか?」

「残っている医療物資を回収に来たのよ。構わないかしら?」

「もちろんですよ、元々は貴女達人間のものですしね」


 今更所有権を訴えるつもりはないらしく、ジェズアルドは暢気に笑うだけ。邪魔をする気がないのなら、このままシダレ達の元に向かうべきだとは思うものの。


「……ジェズアルド。あなたにはいくつか、訊きたいことがあるわ」


 真っ直ぐに、サヤがジェズアルドの紅い双眸を見つめる。この紅い吸血鬼と二人だけで話をするのは初めてだ。どうせならば、この機会に色々と情報を聞き出しておきたいところだ。


「良いですよ。僕に答えられることであれば、何でもお答えしましょう」

 

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