四章 追悼

居眠り

 ハルス国立大学病院。一年前までは、アルジェント国内でも随一の規模と技術を誇る大病院であった。

 だが、昨年のテュラン達による襲撃事件の際に、そして終末作戦により多くの犠牲を出した。人質となっていた病人だけではなく、武力制圧の際に負傷した軍人や野次馬で乗り込んできたマスコミなど。多くの人間、或いは人外が死に、グールとなって今も国中を彷徨っている。

 よって、ハルス病院を中心に置く第三区は、廃棄区域の中でも特に危険度の高い区画となっている筈だった。


「……やっぱり、全然居ないっすね」


 サヤのすぐ前を歩いていたシダレが、拳銃を構えながらぽつりと言った。サヤもまた、腰元の刀の柄に手を置いて警戒しているが、どうやらそれは全く無意味な行動であるらしい。


「……グールにも、休みとか用事とかってあるんすかね?」

「それ、本気で言ってるの?」

「じょ、ジョークっすよ姐さん!」


 慌てて取り繕うシダレに、後ろを警戒していた人外達がやれやれと苦笑を漏らした。彼等はシダレの友人達であり、襲撃事件の際にもテュランの指揮下で戦っていた者達だ。最初は流石にギクシャクとしていたが、今では背中を預けられるくらいの信頼関係を築けたと思っている。

 サヤとしては、自分から彼等に刃を向けなければ大丈夫。そう、信じることにしたのだ。


「それにしても、本当に居ないな」

「生きている人間や人外が居ないから、他の区画に移動したとか?」

「いいえ、そうじゃない。床を見て」


 人外二人の会話に、サヤが足元を指差す。現在地は、ハルス病院のエントランス。かつては常に外来患者がごった返す場所だった。

 でも、今は。埃だらけの空間に、朽ちかけた椅子。壁や天井には、赤黒い痕がこびり付いたまま。

 そして、床には埃と、大量の砂。元はクリーム色だった筈の床一面に、かなりの量がぶちまけられている。


「これ……間違いない、グールの死骸よ」

「うげ、マジっすか!? この、砂みたいなの全部……?」

「まさか、院内に居たグールが全滅しているのか」

「そんな、一体誰が……」


 恐らく、相当な数が居たであろうグールを屠った者。近くには居ないようだが、その者がサヤ達の味方であるかどうかはわからない。

 ただ、砂の散らばり具合を見るにそれなりの時間が経過しているようだ。既にここから立ち去った可能性の方が高いか。


「……シダレ。物資がある場所は、どこ?」

「えっと、この病院の研究棟の方です」

「そう……それなら、少し別行動をしましょうか。私は、この病院内を軽く一回りしてくる。貴方達は、予定通り物資の搬出を」

「え、一人でですか!?」


 突然のサヤの言葉に、シダレが目を皿にして驚いた。確かに、グールが居ないとはいえここでの単独行動は危険かもしれない。

 だが、サヤにはどうしてもここで、見ておきたいものがあるのだ。


「……シダレ、行かせてやれよ。サヤさん、ずっとここに来れなかったんだからさ」


 仲間にそう声をかけられて、シダレもすぐに感づいたよう。やがて仕方ないかと頷きつつ、腰のベルトに引っ掛けていた無線機を取ってサヤに見せた。


「……わかったっす。じゃあ、一時間後に一旦ここに全員で集まりましょう。何かあったら、すぐに連絡してくださいね。マッハで駆け付けますので!」

「ふふ、了解。あなた達も、気をつけてね」


 サヤも真似して、無線機を掲げて。そして、すぐに手に取れるように太腿のホルダーに納めるとサヤは一人、職員専用と表記された階段を上り始めた。


「此処に居たのね、トラちゃんが……」


 階段を上り切り、サヤは辺りを見回した。周囲にはやはり人気も、グールの気配も無い。ブーツの底が踏み締める砂の感触が、生々しく伝わってくる。だが、それだけだ。

 銃痕が生々しく残る壁も、どす黒い染みも。ここで起こった惨劇を訴えてくるが、サヤが知りたいのはそういうことではない。


「やっぱり、何も残ってないか。トラちゃん……此処で、どんな風に過ごしていたんだろう」


 ぽつりと、零れる。サヤが知らない、テュランが此処に居た。此処に居たテュランは一体何を思い、どんな風に過ごしていたのだろう。それを知るのは流石に、おこがましいことなのだろうか。

 大人しくシダレ達に合流しようかと諦めかけるも、不意にサヤは突き当たりにあるドアの存在に気が付いた。銀色のプレートには、『院長室』と記されている。そういえば、テュランはこの病院では院長室を私物化していたそうだが。

 この部屋だけ覗いて、帰ろう。そう思って、半開きになったままのドアを押し開ける。埃っぽい空気が、鼻腔を悪戯に擽る。くしゃみが出そうだと、思わず指先で鼻を軽く擦った。


 その時、だった。


「――ッ」


 息を飲み、思わず刀の柄を握り締め身構える。何か、居る。人間とは異なる、不気味なまでに静かな気配。グールか。

 ……いや、違う。


「…………」


 サヤは警戒を解き、出来るだけ足音をさせないように『それ』へと歩み寄る。すらりと伸びる長身が、向かい合わせに置かれたソファの一つに横たわっている。なかなか高価そうなスーツを着ている割に、皴がつくことは考えないのだろうか。

 この、『紅い吸血鬼』は。


「……まさか、寝ているの?」


 じっ、と見つめてみるものの、ジェズアルドが目蓋を開く様子はない。そういえばリヴェルが言っていたが、この吸血鬼は眠っている時は酷く呼吸が浅く寝返りもほとんど打たないらしい。

 彼を知らない者が見たら、恐らく人形だと言っても信じてしまうだろう。


「…………ふうん」


 思わず、感嘆の溜息を吐いてしまう。吸血鬼は総じて容姿が優れているものだが、ジェズアルドはその中でも一線を画す存在なのだろう。

 血の気が無い肌は、病的な程に白く透き通るようで。恐ろしく整った顔立ちは、触れれば壊れてしまうのでは無いかと思わせる程に繊細な美しさがある。実際はそんなことは無いのだが。

 かつては『神』に愛された存在。この瞬間まで疑問に思っていたことだが、少しだけ納得した。


「……黙っていれば、綺麗なのに」


 勿体無い。サヤが素直にそう思っていると、ふと、とある違和感を覚えた。何だろう。答えは、すぐに見つかった。


「眼鏡……付けたままね」


 そういえば、サヤがまだ大統領の下で働いていた頃。彼のように眼鏡をかけたまま居眠りをしていた同僚がちらほら居たような。サヤは視力が良い方だからわからないが、眼鏡を愛用する者にはよくあることなのだろうか。

 その同僚が、身じろぎした際に思いっきり眼鏡を歪ませてしまったことを思い出す。せめて、曲がったりしないように外してあげようか。屍のように静かな様子に、つい手を伸ばしてしまう。

 油断、してしまったのだ。


「女性が男の寝込みを襲うだなんて……流石に、はしたないですよ。サヤさん?」

「――え?」

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