違和感
※
「……ちっ、三発も外した」
呆れる程の己の体たらくに、ルシアが思わず舌打ちをした。覗き込んでいたスコープの先に、動く屍が居なくなったことを確認する。瓦礫の山から軍人らしき男が這い出てくるのを見ると、ルシアはスタンドで固定していた銃をそのままにして立ち上がった。
目標までの距離は凡そ七百四十メートル。使用したスナイパーライフルの射程距離は千百メートル。千メートル未満の狙撃なんて、ルシアにとっては遊びも同然の筈だった。
ただ、ルシアは長距離狙撃は得意であり嫌いだった。銃の性能の方が付いてくれば、どんな状況でも目標に命中させる自信がある。だが、やはりナイフやアサルトライフルで暴れる方が性に合っている。
ゆえに、今までは自然に狙撃を蔑ろにしてしまっていたのだが。まさか、三発も無駄撃ちするとは。
「……この国では、何が起こるかわからないからな」
いざ狙撃が必要になった時に、撃てなかったりしたら。これほど無様なことは無い。
「……的は、沢山居るが……ふむ、アルジェントの銃か。この機会だから、何丁か欲しいな」
もちろん、現在は銃を作っている余裕なんか何処にも無いことはわかっているが。それでもアルジェントの銃火器は他国製のものよりも遥かに性能が良くて、使い勝手が良い。
それに、新しい銃ならば退屈な狙撃も少しは楽しくなるかもしれない。暇があったら、探してみることにしよう。
『……で、あることから。それは根拠のない空想だと?』
『ええ、この件は性質の悪い悪戯であると断言して良いでしょう。テュランに双子の弟が居るだなんて、何の根拠も無いデタラメです。全く、一体誰がこんな……』
ラジオから、二人の男の会話が聞こえる。リヴェルの情報が露出してから、少しでも情報を得るべく毎日欠かさず聞くようにしている。だが、各メディアは初日に流れた内容を繰り返しているだけ。ついには、そんな誤報を利用した他国のテロリストの存在まで出来上がる始末だ。
シェケルの資料を焼却処分し、その他にリヴェルへ繋がりそうな情報は根こそぎ抹消したが。ここまで何も出てこないとは。
「……あの老害が、人間達に『命令』でもしているのか」
あり得る。ジェズアルドならば、何の根拠も無い夢物語であろうとも、まるで真実であるかのように人を惑わすことが出来る。そして、あの男はリヴェルの為ならば手段は選ばない。ジェズアルドは、リヴェルの為ならば何でもやる。そういう男なのだ。
だから、アーサー達が言う『冷酷な吸血鬼』だという印象は、ルシアからすれば多少違和感を覚える。可愛い弟に害が及ばなければ何でも良いのだが。
「それにしても、テュランか……」
その名前を口にすると、仄暗い後悔が胸を埋める。ルシアは肩を軽く回すと、部屋の奥に放ってあったファイルを掴む。
元々は高層マンションであったらしい此処は、震度七程度の地震があったとしても崩れたりしない程の強度を誇っていたらしい。それはあながち間違っていないようで、度重なる銃撃にも爆炎にも耐え、今もこうして何とか姿を保っている。
流石に外壁や窓ガラス、更には階段も所々瓦礫で塞がれもちろんエレベーターは動いていない。上階へ向かう手段がことごとく遮断されている状況なのだが、そんなことはダンピールであるルシアにはあまり関係ない。
むしろ、人間やグールでは到達出来ない場所なので、隠れ家としては非常に好都合だ。
「……あれから、もう一年も経ったのか」
元々此処で暮らしていた住人のものであろう、豪華なソファベッドに腰を下ろしてファイルを開く。パラパラと捲られるページに書いてあるのは、ルシアが救えなかったもう一人の『弟』のことだ。
一年前、テュランが死んだあの日。テュランとのシンクロ能力を持つリヴェルは、突然喉が張り裂けんばかりの悲鳴を上げて、気を失った。そのまま数日はベッドから起き上がれずに、目を覚ましたとしてもパニック状態で発狂寸前だった。だから、ルシアは殆ど寝ずにリヴェルを見守り、目を覚ましたパニックになったら鎮静剤を接種させる。そんな状況だった。
やっと落ち着いたのは、十日程経った頃だったか。パニックさえ起こさなかったものの、リヴェルは幼子のように泣きじゃくりながらルシアに告げた。
――テュランが死んだ。眩暈がするくらい高い塔から、自分で飛び降りた。
「……惨いな」
ファイルの内容は、ルシアの想像以上に凄惨なものだった。一年前に、テュランが率いる人外達の襲撃事件。これは、その時に収集されたテュランの資料を全てファイリングしたものだ。
もしや、リヴェルのことが書いてあるのかもしれないと思い、大統領に侵入して回収してきたものだが。実際には、リヴェルのことは一行も書かれていない。
だが、その代わりにテュランのことが事細かに記録されていた。過去に行われた実験記録の数々。リヴェルに行われた実験は内容まで把握していたが、テュランのそれは数倍以上だ。
読んでいるだけでも、吐き気がする。
「やはり、あの時……テュランも助け出すべきだった」
ぽつりと、言葉が唇から零れた。死に物狂いでリヴェルを助け出した、あの日。幼い弟を抱えながら、ルシアはこれまでの人生の中で一番に運命を左右する選択を迫られていた。
リヴェルの双子の兄であるテュランを助け出すか、リヴェルだけを連れて国外へ逃げるか。
――テュランくんを救うのは、諦めなさい。リヴェルくん、きみのお兄さんはルシアくんだけ。たとえ双子だとしても、テュランくんときみはもう何の関係も無いんです。彼を見捨てなさい。そうでなければ、きみはルシアくんまで失ってしまうかもしれない――
あの時、ジェズアルドが告げた言葉が甦る。あの吸血鬼もまた、リヴェルを助け出すまでは力を貸してくれたが、そこまでだった。テュランを助けようとはせずに、むしろリヴェルに諦めさせようと躍起になっていたことを鮮明に覚えている。
無理もない。幼い子供を二人も連れて逃げるだなんて、その時の状況ではどう考えても不可能だった。仕方がないことだった。
だが、ルシアは知っていた。口では諦めたと言っていたが、リヴェルはテュランを求めていたことを。血と魂を分けた、己の片割れとも呼べる存在。関係無いと言われただけで、簡単に切り捨てられるような関係では無かったのだろう。
リヴェルからテュランを取り上げるべきではなかった。ルシアは無理矢理にでもテュランをあの施設から奪い取って、リヴェルと共に三人で逃げるべきだった。そうすれば、こんな悲劇は起こらなかったのに。
「考えても仕方のないことだな……ん?」
後悔は尽きないが、それは考えても仕方がないことだ。ルシアは気持ちに整理をつけ、せめてもの弔いにテュランの資料はこのまま処分してしまおうかと考えた、その時だった。
ルシアの紅い瞳が、資料に記されたとある一文に視線を注ぐ。今までに何人の人間が、この資料に目を通してきたかはわからないが。彼にはわかった。
リヴェルの兄であるルシアだからこそ、その違和感に気がついたのだ。
「これは、どういうことだ? 何故、テュランが……」
どくどくと、全身に血が巡る感覚が生々しく感じられる。まさか、有り得ない。ルシアの思考と、資料に記された記録が重ならない。
「……どうして」
声が震える。暗殺者として、常に感情を押さえ付ける術を身につけているルシアだが今は平常心を保てなかった。胸を侵すこの感情は、一体何と呼べば良いのだろうか。
絶望と呼ぶには酷くあやふやで、驚愕とするにはあまりにも冷たい。ルシアは不意に襲いかかった衝撃を受け止めきれずに、そのまま心が落ち着くのを待つしか無かった。
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