記憶の欠落
シダレの言葉に、アーサーはなる程と思った。確かにリヴェルはテュランと顔立ちはそっくりだが、本人が言うように髪と眼の色が異なる。普通ならば、そこまで似ているとは思わないだろう。
でも、この双子は本当にそっくりだ。それは、リヴェルが纏う雰囲気にある。無邪気で、実年齢よりも少々幼い印象を持つリヴェル。しれは、暢気で気まぐれな猫そのものであるが。
時折、ほんの刹那の間だけ。鋭い刃のような冷たい狂気が露となる時がある。それが、テュランそのものなのだ。
「リーダーの記憶を持っているから、なんすかね? でも、不思議っすねー。リーダーじゃないのに、リーダーの記憶があるなんて……でも、どれくらい覚えているものなんすか?」
「リヴェル、シダレのことで何か覚えていることはあるか?」
「ん? んー……あ、そういえば」
ぽん、とリヴェルが手を打つ。
「大学病院で会った時に、テュランがシダレの変身する能力が気になったらしくてさ。丁度、試験薬の実験用に飼われていたモルモットが何匹か近くに居たから、それにもなれるのかってテュランが訊いて。モチロンっす! って言って変身したシダレを、テュランが一匹で寂しそうにしてたモルモットの檻に入れちゃって――」
「あー!! 待って待って、その話ちょっと待ったー!」
突然、大声で喚き始めるシダレ。どうやら、リヴェルが話している内容は本当らしい。
何だか、嬉々として話を続ける表情が今までで一番テュランと酷似しているような気がする。
「アハハ! その一匹のモルモット、オスだったんだケド。シダレをメスだと思ったんだろーな。急に目の色変えて、シダレのコトを襲っちゃってー。テュランはてっきりじゃれあってるだけだと思ってたから、助けるの遅れちゃって……気がついた時には、手遅れでした!」
「うう、ひどいっす。あんまりっす……初めてはアーサーの旦那に捧げたかったのに」
「これは酷い。想像以上に酷い」
「朝から何の話をしているの……」
エプロンを外したサヤが、呆れ顔で隣に座る。それをきっかけにリヴェルの頭は再び朝食へと切り替わったらしく、素直に手を合わせてからバターロールを齧り始めた。
「はあー……でも、リヴェルさんは本当にリーダーの記憶を持っているんすね。なんか、不思議な感じっす」
すっかり打ちひしがれたシダレもまた、気を取り直したようで。荷物を脇に降ろして、野菜スープをスプーンで口に運ぶ。ちなみに今日の戦利品は石鹸やタオルなどの生活用品らしい。
「いつもありがとう、シダレ。丁度石鹸が欲しいと思っていたところだったのよ」
「いえいえ、お役に立てて何よりっす! 他にも何か必要なら、出来るだけ探してきますよ?」
シダレの申し出に、サヤが考え込む。でも、どうにも視線につられて思考も自然と目の前に居るリヴェルに向いてしまうようで。
「そうね……あ、リヴェル。口に食べカスが付いてるわよ?」
「んー? あ、ホントだ。ありがとう、おねえちゃん!」
口端に食べカスを付けていたリヴェルに、サヤが自分の口元を指差して教えてやる。本当に幼子のようなリヴェルに呆れるが、サヤはそうでも無いらしい。実際、リヴェルが来てからサヤの表情は少し明るくなった。
無理もない。ずっと空いていた席が、やっと埋まったのだから。
「おねえちゃんの料理は何でも美味いなー? あー、超幸せー」
「ふふっ、ありがとう。スープならもう少しあるから、おかわりが必要なら言ってね?」
「ホント!? やった、じゃあ頂きます!」
「……なんか、サヤの姐さん……凄くご機嫌ですね?」
何故か、アーサーの向かいに居るシダレがひそひそと声を潜める。今更言われなくても、わかっている。
「もしかして、姐さん……リヴェルさんをリーダーだと思っているんですかね?」
「いや……多分、違う」
シダレの問い掛けに、アーサーが首を横に振る。最初はアーサーも同じことを考えていた。でも、恐らく違う。
「多分、リヴェルが自分の料理を美味しそうに食べてくれるのが嬉しいんだろう……一年前のテュランは、ほとんど食事が摂れなかったからな」
アーサーが答えながら、一年前のテュランを思い出す。あの頃は、食事どころか水さえも拒否していたテュランに警戒されているだけかと考えていたが。更なる残酷な事実を、彼の死亡解剖で知ってしまったのだ。
テュランは既に、起き上がることさえ困難な程に内臓機能が衰弱していた。ということは、食事を食べたくても食べられなかったということだ。そんな状態でも、彼は憎悪に狂い復讐劇を続けた。真実を知って、彼女は誰よりも自分を責めた。
だから、テュランの弟であるリヴェルが普通に食事を摂ってくれることに安堵しているのだろう。
寧ろ、リヴェルの食事量は平均よりも少々多いくらいだ。健康そのもの、なのだろう。
「なるほど……でも、わかる気がします。リーダーの少食は皆、心配してましたから」
「そうなのか?」
「はい。そもそもリーダーは食事自体にそれほど興味もなかったようで、栄養補助食品のゼリーとかクッキーとか、そういうのばっかり選んでいたみたいで。特にヴァニラさんなんてずっとそのことで悩んでて、しまいには無理矢理リーダーの口に食べ物を詰め込んでたくらいっすよ! いやー、あれは結構衝撃的な……あ!」
言いかけて、シダレがハッと口を噤んだ。アーサーとサヤは意識せずとも、リヴェルの様子を窺ってしまう。
ヴァニラ。テュランの恋人でありながら、憎悪に狂った彼が復讐の為に自ら撃ち殺した人狼の少女。たとえ自分自身の記憶でなくとも、自らの手で恋人を撃ち殺したなんて記憶は決して良い思い出などではない筈。人によっては、あまりの凄惨さに発狂してもおかしくない。
迂闊だった。だが、もう遅い。リヴェルは突き付けられた過去に、大切な存在の名前を、何度も何度も声に出して呼んだ。
「ヴァニ、ラ……ヴァニラ?」
サヤの表情が強張った。アーサー自身、己の鼓動が早まっていく様が生々しく伝わってくる。ヴァニラという少女の存在に、テュランの恋人が迎えた最後に、リヴェルは何を思うのか。想像なんか、出来るわけがない。
しかし、次の瞬間。想像していなかった衝撃が、アーサーの思考を無理矢理に停止させた。
「えーっと……ヴァニラって、誰?」
「…………は?」
それは、どこまでも自然な反応だった。リヴェルは幼い頃にアルジェントから逃亡して以来、一度もこの国に戻ってきたことが無い。だから、ヴァニラのことを名前すら知らないというのは何もおかしくはない。
だが、彼にはテュランの記憶がある。アーサーとサヤ、そしてシダレ。更にはユーゴ達のことまで。テュランが接触した者のことは当然リヴェルも知っているものだと思っていた。
「え……ヴァニラさんですよ。人狼の、リーダーよりも年下でめちゃくちゃ可愛くてスタイル抜群の、リーダーの彼女っすよ!」
「え、えええ!? か、彼女が居たのか? テュランに? マジで!?」
驚愕のあまりに、手に持っていたコップを落としそうになるリヴェル。彼の様子に、何かを誤魔化している素振りは見られない。
本当に、リヴェルはヴァニラのことを知らないようだ。
「……えっと、リヴェルさん。何でおれっちのことは覚えているのに、ヴァニラさんのことは覚えていないんですか?」
「いや、オレに聞かれても……テュランに彼女が居たっていうのも初耳だし」
「いっつも一緒だったじゃないですか! リーダーのことを誰よりも心配していて、何をする時でも二人は仲良くて……一年前の戦いの時は、ジェズアルドさんとリーダー、ヴァニラさんの三人が中心だったのに!!」
「えー? ジェズもその、ヴァニラっていう人のこと知っているのか?」
オレはてっきり、とリヴェルが困惑を露に言葉を紡ぐ。
彼の口から続けられた真実に、アーサーの思考は混乱一色に塗り潰されてしまった。
「一年前のコトは全部、テュランとジェズの二人が企てたコトだと思ってたんだケド?」
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