悪夢
※
目を開けた時には既に、銃口が眼前に突き付けられていた。いつでも引き金を絞れるように置かれた引き金。起き上がるどころか、抵抗する素振りを見せるだけでも彼はアーサーを撃つだろう。
躊躇なく、どこまでも非情に。
「……オハヨー。アンタって、本当に寝起きが悪いんだな? アッハハ! 俺が死んだからって平和ボケかよ、ヒーロー?」
狂気に染まった金色の瞳。彼の手には、大口径のリボルバー。声を出すどころか、呼吸をすることすらまともに出来ない。どうして、自分はここまで恐怖を感じているのだろう。
これは、紛れもなく『夢』である筈なのに。
「どう、して」
やっと絞り出せた声も、滑稽な程に震えている。くすくすと、彼が口角を上げて嗤う。
「クククッ……なあ、ヒーロー。人格ってさ、どうやって出来上がっていると思う?」
彼が銃を突き付けたまま、小首を傾げてアーサーに問う。彼の動作に合わせて、金色の髪が揺れる。唐突な問い掛けに、アーサーは答えられなかった。理解すら、出来ていないのだ。
これは夢だ。彼は死んだのだから。そう自分自身に言い聞かせて、平静を保とうとする。でも、幻想である筈の彼がいとも簡単にアーサーの心を揺さぶる。
「俺は、一年前に死んだ。でも、アンタの傍には俺の記憶を持つ『コイツ』が居る。もしも、人格が記憶で形成されるのなら……コイツの人格を消せば、この双子の弟は『俺』になれるんじゃね?」
「なっ……!」
「アハ! このダンピールの身体が手に入ったら、もっともっと大勢の人間を殺せるな? ジェズは俺の仲間だし、あの綺麗なお兄ちゃんも何だかんだ味方してくれそうだな。あとは……おねえちゃんも」
銃口が、アーサーの額に押し付けられる。不気味な程に冷たい感触に、背筋が凍り付くよう。
「アンタさえ居なければ、おねえちゃんはきっと俺の元に戻って来てくれる。アンタもそう思っているんだろ? 俺を助けられなかったコトを、一年間も後悔し続けてさ。俺におねえちゃんを盗られたくなかったんだろ?」
「テュラン……俺はそんな、ちが――」
「アンタなんか、ヒーローでも何でもねえよ」
嗤いながら、呪いの言葉を紡いで。彼――世界最悪の殺戮者は、引き金を絞った。
「サヨウナラ、ヒーロー気取りの愚か者」
「まっ、待て――」
痛みは、無かった。代わりに感じたのは、冷たさだった。それも、飛び跳ねる程に冷やされている。そういえば、昨夜の彼は何かをコソコソと冷蔵庫に隠していたようだが。
全部、悟った。
「あはははははは! どう、どう? 今日はちゃんと起きられたか、ヒーロー? 起きたよな? ちゃんと目が開いてるもんな!」
そこに居たのは、アルジェントを地獄に陥れた復讐者ではなかった。ベッドの縁をバンバンと叩きながら、大笑いする少年。もとい、悪戯好きな子猫だ。
その手に持っているのはリボルバーではなく、安っぽいプラスチック製の水鉄砲である。一体どこで手に入れてきたのか、それとも私物か。詳細は不明だが。彼がそれを発砲したのは間違いない。
髪や顔だけではなく、シャツやシーツまでぐっしょりと濡れているのが逃れられない証拠である。のっそりと上半身を起こし、ぽたぽたと水が滴る前髪を掻き上げた。
「いやー、アンタって、本当に寝起きが悪いんだな? アッハハ! 間抜けた声出しちゃってー」
超ウケる! 何がそんなに楽しいのか、きゃっきゃとはしゃぐ猫に手を伸ばす。もしも彼が本当にテュランだったのなら、逃げるなり応戦したりするだろう。
でも、目の前に居る彼は、アーサーに手首をしっかり掴まれるまで自身に迫る危険を察知出来ないようで。
「え……あ、あのー……ヒーロー?」
「……何か俺に、言うことはないか?」
にっこりと笑って、アーサーが問い掛ける。捕まってしまったという自覚すらもないのか、暫く目を瞑ってうんうんと唸りながら悩む。
そして、何か閃いたのかパッと目蓋を開いて。自信満々と言った表情で、言った。
「えーっと、んー……あっ! わかった! オハヨウゴザイマス、だろ?」
「ごめんなさい、だろうが!!」
空いている方の手を堅く握り締め。次の瞬間、躾のなっていない猫の悲鳴が家中に響き渡った。
「うー……超痛い……たん瘤出来た」
「良かったな、兄貴とお揃いになって」
アーサーの鉄拳制裁を受けた頭を擦りながら、リヴェルが涙声で呻く。彼もルシア同様、凄まじく丈夫な身体をしているようで。文字通り鉄の腕を持つアーサーの一撃を受けても、たん瘤程度で済むらしい。
改めて、ダンピールという存在に恐ろしさを覚えるものの。今のところ、実害は無い上にこの自由奔放な猫の躾に手加減は要らないという、アーサーにとっては寧ろ有利な条件でしかなかった。
「おはよう、二人とも。……凄い悲鳴が聞こえたけど、大丈夫?」
いつものようにダイニングへ向かえば、サヤがフライパンを片手に問い掛けてくる。最も、リヴェルが居候になってから既に三日目。これまでにリヴェルがしでかした悪戯は既に十数回。
元々、リヴェルの声はよく通る。家中に響いているので、最初こそ心配そうにしていたサヤもついに呆れを通り越しているようで。
「大丈夫だ、問題ない」
「お姉ちゃん……一番良い薬をください」
「はいはい。薬を使う程でも無いでしょう?」
リヴェルの泣き言を受け流して。サヤがリヴェルの頭に濡れタオルをポンと乗せた。不満げではあるが、静かになったところを見ると冷やすだけでも大分マシなようで。
「全く……ルシアはどれだけお前のことを甘やかしていたんだ?」
今は此処に居ない彼の兄を恨む。ジェズアルドも揃って、リヴェルはテュランとは違って大人しい良い子だからと言っていたが。決してそんなことはないようにしか思えない。
「んー? なんかなー、ヒーロー見てると色々悪戯したくなるんだよなー。あっ! テュランの怨念がそうさせてるのかも!」
「勘弁してくれ」
「ふふっ、すっかり懐かれたみたいねアーサー」
クスクスとサヤに笑われてしまえば、言い返すことも出来ず。リヴェルも既に頭の中はたん瘤から朝食へと切り替わっているのか、妙な鼻歌と共に席についていた。気まぐれな猫にはこれ以上何を言っても無意味か。躾は諦めて、アーサーも座ろうと椅子を引いた時だった。
インターホンが鳴って、いつもの耳慣れた声が飛んでくる。
「おっはよーございますっ、旦那に姐さん! あれ、今日はお客さんが居るんす、ね……」
予め鍵を開けておいた玄関から、両手に荷物が一杯に入った紙袋を抱えてシダレがやってきた。そして、いつものようにアーサーとサヤに挨拶してから、ようやくリヴェルの存在に気が付いたようで。
一瞬の、沈黙。そして、驚愕。
「え、えええええ!? りりり、リーダー!! リーダーですよね!? いいいい生き返ったー!?」
「へ?」
紙袋を取り落とさん勢いで、シダレがリヴェルに駆け寄る。そういえば、リヴェルが居候になってからシダレが来たのは今日が初めてだった。
もちろん、リヴェルとシダレは初対面である筈。だが、リヴェルは少しだけ考え込むと、すぐにシダレを見上げて嬉しそうに笑った。
「えっと……あ、シダレ! シダレだろ、アンタ。アハハ! 全然変わってねー!」
「え……あ、あれ。リーダー……大分雰囲気、変わりましたね?」
「シダレ、落ち着け。彼はテュランじゃない」
すっかり混乱してしまっているシダレを座らせて、リヴェルのことを説明する。話を聞きながらも中々納得出来ないのか、シダレがじろじろと穴が空くのではないかと思ってしまう程に、リヴェルを観察し始める。
「へえー……あなたがリーダーの双子の弟さんなんすね。うわー、本当にそっくりっすね」
「えー、そんなに似てるのか? 髪と瞳の色が違うケド」
「うーん、見た目もそうなんすけど……何でしょうね。雰囲気っていうか、周りにある空気がリーダーっぽい気がします」
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