真祖の吸血鬼
消え入りそうな声で、男が応える。そうして、右の人差し指を己の尖った犬歯で躊躇なく噛み破った。止め処なく溢れる紅い雫を、ヴァニラに差し出す。
「……どうぞ、ヴァニラさん」
「――!!」
突き付けられた紅に目を輝かせ、ヴァニラが躊躇なく男の指を咥える。下品な水音を立てながらむしゃぶりつく姿は卑猥というより、まるで母親の乳を求める赤子のようだ。
男の方は雫を数滴だけ与えるだけのつもりだったようで、これまた珍しく眉間に皴を寄せている。
「うぐっ、ん……うう、ふぅ……」
「うふふ……ねえ、女の子に指を咥えられるのを見てどう? 興奮する?」
「……気持ち良くはありません」
素っ気ない返事。どうやら意味はわかっているらしい。仏頂面の男をからかう為の貴重なネタを手に入れられ、ディアヌは優越感さえ覚える。
「う、うぐ……うう、ん」
暫くして漸く落ち着いたのか、男がヴァニラの口から指を引き抜く。ヴァニラの方は物足りなさそうにしているが、ディアヌの我慢が限界だった。
「ねえ、ヴァニラちゃん。『テュラン』は見つかった?」
「テュラン……?」
「約束したじゃない。テュランを見つけて頂戴って。私ね、彼にちょっと用があるの。他の人間みたいに、野蛮なことはしないわ。少しだけ、五分だけお話させて貰えればそれで良いの。その後で、テュランをあなたに返してあげる」
ぴくりと、ヴァニラが肩を跳ねさせる。その虚ろな瞳が、明らかに光を取り戻したのを女は見逃さなかった。
人間だろうと、人外だろうと。女という性には、どうしても抗えないようだ。
「……ねえ、ヴァニラちゃん? テュランに会いたいと思わない? 大好きな恋人に、会いたいでしょう?」
「あ、いたい……会いたいよ、テュラン……」
好きな人への気持ちを、会いたいという渇望をこれでもかと煽る。これまでの人生、駆け引きなど数え切れない程こなしてきた。
年端もいかない少女を思いのままに操るなんて、瞬きと同じくらいに容易い。
「それなら、私のお願いをきちんと聞いて頂戴。そうすれば、テュランをあなたに『返して』あげるから」
「……うん。わかった」
こくんと頷いて、ヴァニラが立ち上がる。ふらふらと、今にも倒れてしまいそうな様子だが。服に付いた埃や汚れを気にする素振りも見せない。
恐らく、もう彼女の中から洒落っ気なんてものは無くなってしまったのだろう。
「テュランを見つけたら……前に約束した場所、覚えてる? そこに来て。本当は連れてきてくれたら凄く助かるんだけど……そこまでは強要しないわ。存在と、見かけた場所さえ確認出来れば良いから」
「うん……」
「もちろん、彼も人間達に見つからないよう変装しているかもしれないから慎重にね? 髪の色とか、服装とか違うかもしれないけど……それくらいなら、彼の恋人であるヴァニラちゃんならすぐにわかるわよね」
「だい、じょうぶ」
「良い娘ね、ヴァニラちゃん。あなたには期待しているわ」
そう言って、再び夜のゴーストタウンへと消えるヴァニラ。その小さな姿が闇に紛れて見えなくなった頃、ようやくディアヌが溜まるに溜まった重い息を吐き出した。
「……はあ。あれでも、グールの中ではマシな方だなんて。もう少しどうにかならなかったの?」
「申し訳ありません。ですが……彼女は死亡した際に肉体の損傷が激しかった為に、受け答えが出来るだけ奇跡的かと」
「これ以上悪食が進むようなら、処分しちゃう方が良いかもね。全く、テュランの方をグール化出来れば話は早かったのに」
ディアヌが悔しげに眉根を寄せる。思い通りにならない企みに、苛立ちで満たされた胸を掻き毟りたくなってくる。
「テュランの方は、更に損傷が激しく……グール化は不可能だったかと思われます」
男が淡々と答える。もう何度も繰り返した問答だ。ディアヌも実際に見た。テュランの死因は高所からの墜落によるもので、その亡骸は原型すら留められていなかった。グールになれる最低条件すら満たせていなかったのだ。
それでも、惜しいことだ。ディアヌの企みを成す為には、どうしてもテュランが持つ『情報』が必要なのに。
「ところで、どうして彼女にはテュランを探せ……と言ったのですか?」
「あの娘にリヴェル……テュランの行き別れた双子の弟を探して、なんて複雑な命令が理解出来ると思う? ヴァニラはテュランがとっくに死んだことさえわからないのよ」
それならば、彼女には愛する恋人を探して来いとだけ言えば十分だ。元々、ヴァニラにはそんなに期待していない。
彼女はただの『実験体』でしかないのだから。
「ねえ、ところで……あなたは、ジェズアルドという吸血鬼を知っているの?」
立ち上がり、黒衣の埃を払う男に問い掛ける。さらりと、腰まで伸びた紅い髪が揺れる。
「ジェズアルド……知りません」
「そう? だって、あの娘……ずっとあなたのことをジェズさんって呼ぶじゃない。それだけ、あなたとジェズアルドが似ているんじゃないの?」
一年前、テュランやヴァニラと共にこのアルジェントを地獄のどん底に陥れた謎多き吸血鬼。ディアヌは自身の目でジェズアルドを見たことは無いが、一部では純血の吸血鬼であると言われている。
「ねえ、カイン。あなたがジェズアルドに間違われる理由って……何でかしらね?」
「……吸血鬼の中には、紅い髪や瞳を持つ者も少なくありません。容姿が似ているだけで、ヴァニラさんにはどちらも同じに見えているのでしょう」
「面白みの無い答えねぇ」
まあ、良いわ。ディアヌが男、カインを見やる。
「用が済んだのだから、さっさと戻りましょう。『真祖カイン』が居るお陰で、グールに襲われる恐れは無いけれど……こんな薄気味悪い場所に長居したくないわ」
「……はい、ディアヌ様」
そうして、ディアヌは来た道を引き返す。埃っぽく、どこか鉄錆臭い風が彼女のブロンドの髪を撫で付ける。よくこんな国を押し付けてくれたものだ、とディアヌは重々しく嘆息した。
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