黒い暗殺者

 どうしたんですか? アーサーの異変に、ジェズアルドが怪訝そうに首を傾げる。この、心の傷を広げるような感情は、彼の力のせいではないのか。ならば彼と対峙する度に感じるおぞましさは、やはり。


「……すみません、流石に大人げないですね。でも……ッ!?」


 申し訳無さそうな表情は本心なのか、それとも。アーサーが恨めしく考えていると、不意にジェズアルドの顔面が強張った。

 同時に、何かが視界の端で動いたようで。


「これは、そんな……うそ、でしょう? どうして、きみがここに……」


 目の前で厭らしく輝いていた瞳から、光が失われるのを確かに見た。形の良い唇が言葉を紡ぐも、解けてしまうかのようにか細くて、結局聞き取れないまま彼は胸を押さえて床へと倒れ込んでしまった。

 はっ、と我に帰って。アーサーが踵に力を入れ後ろへ飛ぶ。今度は問題なく動いた。ジェズアルドに何が起こった、どうして胸を押さえている。

 それが何を意味するのか、理解するよりも先に何かが足元を鋭く跳ねた。


「ッ、銃撃!?」


 ジェズアルドが発砲したのかとも思ったが、すぐにそれは違うとわかる。ジェズアルドの手に銃は無いし、最初に撃たれたのは間違いなく彼だ。発砲音がしないことから、相手の銃には消音器が取り付けられているのだろう。

 そして、恐らく目標は前方より上。


「ぐっ、何者だ!!」

「……ほう、中々の動きだ。判断も良い」


 アーサーの考えは、正しかった。自分でも、ジェズアルドのものでもない声が落ちてくる。見上げれば二階部分、壁や荷物で死角となっている部分からその男が姿を現した。黒いロングコートを翻し、そのままガラスの柵を乗り越え一階へと飛び降りる。

 長めの黒髪がさらりと揺れ、相手と目が合う。まだ若い男のようで、美麗な顔立ちは特徴的だが見覚えが無い。背はアーサーよりも若干高いものの、体格では此方の方が優っている。相手の手には、やはり消音器付きの自動拳銃。

 見覚えは……ない、と思うが。


「お前、そこの吸血鬼の仲間か?」


 男が言った。吸血鬼とは、間違いなくジェズアルドのことだろう。彼は倒れたまま、ぴくりとも動かない。顔面に血の気が無いのは元からなので、彼が息絶えたのかどうかは判断出来ない。

 ただ、断言出来ることだけが一つだけ。


「……仲間じゃない」


 確かに、はっきりと言った。仲間である筈がない。むしろ敵だ。

 しかし、男は銃を下ろそうとしない。


「その割には、随分と親密そうだったようだが?」

「いや、違う。話を――」

「なる程、今度の相手はお前か。色ボケ吸血鬼め。良い歳して、血気盛んなことだ……ならば」


 流れるような動作で、男が拳銃の弾倉を外す。まだ数発残っているであろうそれを潔く捨てると、新しいものに取り換える。

 そして、ぞっとする程に美しい微笑をアーサーに向けて。形の良い唇が短く、明瞭に、堂々と声を紡いだ。


「殺す」

「いや、待て」


 何故そうなる! 反論する間もなく、男が引き金を絞る。空気が抜けるような射出音と共に、惜しげもなく弾丸がばら撒かれる。咄嗟に傍の柱に身を隠す。


「くそっ、何がどうなっている!?」


 考えている暇はない。アーサーも銃をコートの下に携帯しているが、予備の弾倉が無い。敵の様子から見て、単純な弾数では此方が負けているだろう。

 幸いにも、彼の銃には未だに消音器が付いたまま。発砲音が抑えられていると同時に、威力もかなり弱まってしまっている筈だ。

 それなら。アーサーは判断し、柱から躍り出た。無口な銃口を睨み付け、そのまま床を強く蹴り一気に相手との距離を詰める。


「っ……!」


 弾丸が一発、アーサーの足を掠めた。足止めしようとでも考えたのだろう。だが、アーサーも両手両足は鋼鉄製。威力の弱い弾丸では傷すら付けられない。


「なっ……」


 男が驚いたように目を見開く。しめた。隙を突いて狙うは彼の銃。それを弾き、怯んだところを組み敷き自由を奪う。襲ってきた理由はわからないが、出来るだけ無用な人殺しはしたくない。


「大人しくしろ!」


 アーサーの拳は思惑通り、銃を弾き飛ばした。だが、手応えが無い。瞬時に、アーサーの一撃よりも先に男が自ら銃を手放したことを察した。


「断る」

「ッ!!」


 男の静かな声と共に、アーサーの亜麻色の前髪が数本切り落とされた。自ら躊躇なく拳銃を捨てた男の手には、いつの間にか一振りのナイフが握られていた。

 それも、艶消しが施された軍用のものだ。


「お前、随分面白い身体をしているようだな。その両腕、それから両足……軍事帝国が誇る、サイボーグというやつか」


 くすりと、男が微笑する。アーサーのこめかみから、嫌な汗が伝う。この男、恐ろしい程に戦い慣れている。かつて大統領の側近であった頃、幾つもの死線を乗り越えてきた。だが、それらが遊びだったのではないのかとさえ感じてしまう。


「図星のようだな?」

「――ちっ!!」


 今度は男が仕掛けてきた。その動作はまるで、断罪の天使か何かのように優雅で。ふわりと優雅にアーサーの前に降り立つと、漆黒のナイフを振りかざした。

 眼前の迫る切っ先を、身を捩るようにして避ける。綺麗な顔をしていながら、なんという残虐な戦い方をするのか。

 アーサーは大統領を護る為の、言わば『盾』としての戦い方を徹底的に仕込まれている。だが、男はまるで逆だ。例えるならば剣か、銃か。否、そんな生易しいものではない。


「……貴様、『暗殺者』か?」


 手段を選ばず、相手の命を奪うことだけを目的にする者。彼はアーサーの四肢が鋼鉄製であることを見破るなり、攻撃目標をアーサーの首から上、特に目へ絞った。顔面の中で眼球は特に柔らかい為、ナイフなんかで切り裂かれればすぐ駄目になる。もしも彼が一年前現れていたら、大統領を逃がす為に自分の命を諦めざるを得なかっただろう。

 しかし、幸運なことに今のアーサーには護衛対象が居ない。


「この俺がここまで手こずるとは……面白い。楽しませてくれた礼に、可能な限り苦しませて殺してやろう」

「……笑えない冗談だ」


 漆黒の切っ先を右腕で何とか受け流す。筋肉質には見えないにも関わらず、ナイフを振るう腕は凶悪なまでに強い。生身の腕であったなら、間違いなく一思いに斬り落とされていただろう。

 それでも、アーサーは怯まない。何とか、男に付け入る隙を探す。服が破れ、剥き出しになった腕とナイフが火花を散らす。

 そして、漸くその時がやってきた。


「……うう、いたた。久し振りに撃たれました、あーあ……このスーツ、気に入ってたのに。しかも、シルバーブレッドじゃないですか。うう、気持ち悪い……」


 不意に、のろのろとジェズアルドが上体を起こした。どうやら残念なことに、死んではいなかったらしい。なんてしぶとい。


「……ッ」


 男の意識が一瞬だけ、アーサーからジェズアルドへと向いた。今しかない。アーサーは男の側頭部を目がけて、渾身の力で裏拳打ちを繰り出す。

 彼程の実力者ならば、無様に避けようとはせずに片腕を盾にして身を護る筈。だが、アーサーの腕は鉄の塊。相当の威力を持つであろう一撃は男の片腕を圧し折るだろうが、そうでもしなければこの男は止められない。

 大丈夫、それでも殺しはしない。そう考えていた次の瞬間、更に予想外の事態が起こってしまった。


「……もう、流石に温厚な僕でも怒りましたよ。くん! 『命令』です、大人しくしていなさい!!」

「――えっ」


 ジェズアルドがそう叫んだ瞬間、男がぴたりと動きを止めた。ナイフを持っていない方の腕がアーサーの狙い通りに、しかし頭部を護る体勢にはなれないまま、まるで時が止まってしまったかのように。

 既に放ったアーサーの一撃は、既に止めようがなく。


「――ッ!!」


 腕を這う生々しい衝撃が、思考を真っ白に掻き消して行く。鼓膜に届く短い呻き声は、恐らく断末魔。緊張と殺気は呆気なく霧散し、焦燥と後悔が募る。


「……あーあ。ルシアくん、死んじゃいましたかね?」


 糸が切れた人形のように、力なく床へ倒れ込んだ男を見下ろしながら、ジェズアルドがのんびりとした声色で言った。

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