再会


 アルジェントの国土は円形に近い形をしており、北から数えて時計のように十二の区画に分けられる。しかし一年前から続く終末作戦によって、現在ではその半数が『廃棄区画』となり、人間や人外が住めない土地となってしまった。

 アーサーとサヤが活動の拠点としているのは、第十二区。以前は新開発地域とされ、様々な施設が建設されていたものの、現在ではその全てが中止されている。多くの骨組み状態の建物がそのままの状態で放置されており、此処も廃棄区画とされるのは時間の問題かと思われている。

 そんな場所だからか、ここには人間だけではなく人外の姿も多く見かける。それでも、この『紅い吸血鬼』だけは明らかに異質だった。


「ふふっ、流石。時間通りですよ、アーサーくん」


 お久しぶりです。埃っぽい空気の中、備え付けのベンチに腰を下した男が片手をひらりと振った。最後に別れた時と同じ笑顔。迸る血を思わせるような紅い髪に、紅い瞳。退廃的な街並みに反して、相変わらず三つ揃いのスーツ姿という小奇麗な格好をしている。

 整った顔立ちを飾るのは銀縁の眼鏡と、嫌みったらしく覗く鋭い犬歯。


「おや、サヤさんはどうしたんですか? てっきりお二人で来て頂けると思っていたのに……ひょっとして、愛想を尽かされちゃいました?」

「……貴様には関係無いだろう、ア――」

「僕はジェズアルド、ですよ?」


 念を押すように吸血鬼、ジェズアルドが言った。一年前、テュランと共にアルジェントを襲撃し、終末作戦を最後に消息がわからなくなっていた。

 元々情報が少なかったこともあり、混乱状態の中で行方を探すことも出来ず。シダレ達人外の中では国外へ出て行ったとさえ言われていたのだが。


「まあ良いです。それより、どうです? 最近、スーツを新調してみたんですけど」

「どうでも良い」

「酷い!」

「それよりも、わざわざこんな手紙で呼び出した用件は何だ?」


 コートのポケットに突っ込んでいた手紙を取り出し、相手に見せる。ご丁寧な体裁を取っているにも関わらず、中に書かれていたのは今日のこの時間にこの場所で待っているという一文だけ。

 建設途中の廃ビル。とは言っても、ここは他と違い既に外観は完成されている。ただ、内装は全く手つかずのようで、空っぽのままの棚や段ボールやあちこちに散乱していた。

 電気も通っていないようだが、外貨は窓が多い作りの為に外の光が取り込まれ易い。しかしそろそろ夕暮れ時、日が落ちたらすぐに視界は闇に閉ざされてしまうだろう。


「はあ、冷たいですねぇ。まあ、良いです。では、早速用件ですが……アーサーくん。一体いつになったら『カイン』を殺してくれるんですか?」


 微笑を消して、ジェズアルドが言った。


「僕、言いましたよね? 終末作戦は真祖の吸血鬼であるカインを殺せば綺麗さっぱり片付くんです。それなのに、この一年間で被害は増える一方じゃないですか」


 終末作戦。それは、テュランが最後に仕掛けた最悪の復讐劇。人質となっていた人間へランダムに吸血鬼の血を与えた。その結果、解放された人質は数日後に吸血鬼となり、家族や友人達を襲い始めた。

 そして、まるで疫病のように次から次へと吸血鬼化する人間が増え。結果的にアルジェントは吸血鬼化した、もしくは吸血鬼化する可能性を秘める者が国外へ流出することを防ぐべく、国境を封鎖することとなったのだ。


「きみとサヤさんを信じて、『最強の武器』まで託したっていうのに! あー、もう気持ち悪い!」

「……そこまで言うなら、自分でカインを殺せば良いだろう」


 呆れて溜め息を吐きながら、アーサー。真祖カイン。多くの吸血鬼はカインの血を受け継いでいるとされ、カインを殺せばその血を受け継ぐ全ての吸血鬼が滅ぶ。一年前と全く同じことを訴えられてしまい、その横暴さに思わず溜め息が漏れる。

 理由は定かではないが、ジェズアルドがカインを酷く嫌悪していることは明らかである。何故か、自分から動こうとはしないのだが。しかしカインにはアーサー自身も、少々仄暗い因縁がある。方を付けられるなら早く付けてしまたい。

 だが、状況は厳しかった。まず現状として、自分達の生活を確保することすら簡単ではないのだ。食糧は慢性的に不足しているし、吸血鬼化以外の疫病も流行し始めている。それから親を失くした子供の保護や、孤立した生存者の救出。目の前で助けを求める者を優先するのが精一杯で、カインのことまで手が回らないのだ。


「それは……出来ません。あんな人、顔も見たくありません」


 しかし、ジェズアルドも頑なだった。いつもは憎たらしい程に笑顔を張り付けている彼だが、今は汚物でも見るかのような苦々しい表情。ジェズアルドとこうして話をするのは二回目だが、柔和な性格の彼がこういう顔をするのはきっと珍しいことなのだろう。

 一体、どちらが彼の『本性』なのだろうか。


「はあ……仕方がない。この一年、きみの自主性を尊重しようと思って我慢していましたが……申し訳ありませんが、そろそろ強制的にカイン殺しを始めて頂きましょうか」


 ジェズアルドの声色が、底冷えするような鋭さを帯びる。しまった!! アーサーがそう思った時には、既に手遅れだった。


「動かないでください。これは、『命令』です」

「ぐっ!?」


 アーサーの身体が、身構えた状態で固まってしまう。まるで金縛りにあったかのように指先も、足も、ぴくりとも動かない。身体の動かし方がわからなくなってしまったのかと、不気味な思いに心が囚われる。

 ジェズアルドが、静かに立ち上がる。磨かれた革靴の、コツコツと小気味良い足音がやけに響く。


「ふふっ、良い子ですね……素直な子は好きですよ? 可愛いですねぇ、アーサーくん。実は、きみも結構好みなんですよねぇ。そんな鉄だらけの身体じゃなかったら、色々と美味しく頂きたいくらいなのですが」


 妖しく口角を上げて、毒々しく赤い舌先が唇を舐める。アーサーの顎を持ち上げる指先が、氷のように冷たい。吸血鬼特有の、否、違う。

 これはまるで、『死者』のよう――


「う、くっ……」

「あはは、そんなに怖がらなくても良いんですよ? ただ……僕のお願いをきみの中に植え付けるだけです。僕のことを、一秒たりとも忘れないように」

「なに、を」

「少しだけ我慢してください。苦しいのは、最初だけですので」


 逃れようと必死にもがくも、手や足は頑なに言うことを聞こうとしない。首を振ることすら叶わず、促されるままに眼鏡の奥へと視線を交わす。


「……ッ!」


 ぞっ、と背筋が甘く痺れる。嫌だ。子供のように喚きたくなるも、もう声すら出せない。息が詰まる。視界にじわりと涙が滲む。今までにも多くの吸血鬼を見てきたが、この男の瞳はその誰よりも紅い。


「いや、だ……」


 紅い色は、嫌だ。怖い。思い出してしまう、あの瞬間を。アーサーから大切なものを全て奪い取った、あの『紅』を。


「上手に出来たら、ちゃんとご褒美もあげますから。だから……アーサーくん?」

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