手紙
「ま、確かにこういう噂は絶えないんすよねー。リーダーは国外へ逃げたとか、ヴァニラさんはまだ生きているとか。信じているヤツもいますけど、おれっちにとってはバカバカしいっていうか」
「……『アイツ』の噂は無いのか?」
「アイツって?」
「いや、何でもない」
不思議そうな目を向けてくるシダレに、アーサーは誤魔化すようにトーストを齧る。自然を装ってサヤの方を窺うと、彼女も別段気にする様子は見られない。
このニュースには信憑が無い。メディアの創作でしかなく、これから専門家だの何だのと好き勝手に討論するのだろう。このニュースが終わるまで、何か適当な話題は無いだろうか。
だが、何やら様子がおかしい。
『……実は昨夜、当局宛に匿名でとある書類は郵送されてきました。番組では協議を重ねた結果、皆様にいち早く公開させて頂くことを決意しました。それが、こちらです』
そう言って、アナウンサーが古びた分厚い書類束をカメラに映るように持った。所々汚れが目立ち、インクも変色しているようだ。流石に字を読み取ることは出来ない。
だが、アーサーには見覚えがある印がはっきりと見えた。
『これはアルジェント国立生物研究所に所属していた、『シェケル』という雌のワータイガーのカルテです』
「っ、シェケルだと!?」
噎せ込みそうになるのを、何とか堪える。アーサーの隣に居るサヤもまた、食事の手を完全に止めていた。
シダレだけは、何のことかわからないらしく。
「シェケル? 誰ですか、それ。旦那達の知り合い――」
「ごめんなさい、シダレ。少し静かに」
サヤがシダレの言葉を無理矢理に切る。彼の疑問は、画面の中のアナウンサーがすぐに答えた。
『研究所に保管されていた資料は、先の火災により殆どが消失されてしまいました。このシェケル……テュランの『母親』の資料もまた、火災により失われたものとされていましたが、我々はこの書類を本物であると断定します』
そして、とアナウンサーが続ける。心なしか、彼女の顔が青ざめているよう。
『この資料によれば、シェケルは生涯に二人の仔を出産しているとされています。一人はテュラン、そして『リヴェル』。この二人の出生日は同一であり、他の記載内容からもテュランは一卵性双生児、つまり『双子』であったと推測されます』
「へ? そうなんすか?」
素っ頓狂な声を上げたのは、シダレだ。彼だけは手を止めることなくミックスフルーツを口に運んでいるが、すっかり意識はテレビに釘付けになっている。
「ふーん、知らなかったっす。お二人は知ってましたか?」
「いや、俺は……初耳だ」
「……私も」
テュラン。一年前、このアルジェントを襲撃し何万人もの人間を屠った殺戮者。自らの恋人までもをその手で撃ち殺した彼は、今では人間だけではなく彼を慕っていたシダレのような人外にとっても恐怖の象徴となっていた。
しかし、彼を狂気に走らせたのは間違いなく人間のせいだ。彼は国立の研究所で生まれ育ち、貴重なワータイガーであることを理由に様々な実験や研究の対象となってしまった。その大半は凡そ実験とは呼べない暴行であり、身体だけではなく心も玩具のように弄ばれたのだ。
そして、刻まれた痛みは憎悪を生み、苦しみは復讐の後押しとなった。やがて、同じような理由で差別を受けていた人外を率いて、人間達を襲いあらゆる手段で国を破壊し尽くしたのだ。
『双子、ですか……一卵性双生児ならば性別だけでなく、見た目もそっくりである可能性がありますね』
カメラのアングルが、初老の男に切り替わる。たまにニュースなどで見る、生物学の権威ある教授だ。
『と、言うと?』
『テュランは凄まじく知能が高い人外です。あくまで仮説ですが、その双子の片割れを自分の身代わりにすることも出来ます。または、テュランは最初から『二人』であったなど』
『……つまり、それは』
テュランは生きている――
『と、言う意味でしょうか』
『ここ数か月で力を伸ばしている、宗教団体……『真祖教団』の裏側には強力な指導者が居るという説もありますし、可能性は――』
それ以上は、流石に我慢の限界だった。アーサーは椅子から立ち上がると、つかつかと歩み寄りテレビの電源を消した。
なんて、胸糞の悪い。
「……くだらない。どうせ、いつものような創作話だ。あの資料も、捏造したものに違いない」
「そ、そうっすよねー! 姐さん、姐さん。気にしなくて良いっすよ?」
大丈夫、と繰り返すサヤ。しかし、彼女の双眸は悲しげに目の前の空席を見つめている。ああ、またか。アーサーは悟った。
ダイニングにあるテーブルは四人掛けで、二人だけの時は良いが今日のようにシダレが居るとどうしてもサヤの前の席が空席になりがちで。
すると、サヤは誰も居ない目の前の席を、寂しそうに見つめるのだ。
「大丈夫……ちゃんと、自分の中で決着つけたもの」
そう言って、サヤはトーストの端を小さく齧る。彼女がそう言うなら、アーサーには何も言えなくなってしまう。
テュランは、死んだのだ。アーサーと、サヤの目の前で。地上八十メートルの高さから、自らその身を投げ出した。あれが、彼以外の誰かである筈がない。
「……そうか」
彼女が大丈夫と繰り返す時程、大丈夫でないことはわかっている。何か、言わなければいけないと思ったのだが。結局は何も思いつかずに、大人しく席に戻るしかなくて。身悶えるような悔しさに耐えていると、何故か出て行った筈のシダレが気まずそうな顔で戻ってきた。
「あ、あのー……旦那ァ、玄関のドアに手紙が挟まってましたけど」
「手紙?」
シダレがすごすごと寄ってきて、アーサーに一通の手紙を差し出した。ご丁寧なことにしっかり封筒にまで入れられており、赤色の蝋で封までしてある。
「差出人の名前は書いてあるか?」
「書いてはあるんですが、そのー……」
何だか煮え切らない様子のシダレ。先程のことを気にしているのだろうか。アーサーは悶々としながら、手紙を受け取る。
次の瞬間、シダレの気まずそうな表情の意味を正確に理解した。
「……はあ?」
――君たちの大好きなジェズアルドより。
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