一章 堕天使降臨
幸せな幻覚
カーテンの隙間から、うっすらと朝日が差し込んで来る。深い眠りから意識が緩やかに引き上げられるような感覚。しかしその途中で、どうにもこうにも精神が抗ってしまう。
目蓋はまるで鉛のように重く、身体が言うことを聞かない。何故だろうか。いつの間にかそういう呪いにかかってしまったのか。
そうであるならば、残念ながら解呪の方法を知らない為にこのままで耐えるしかない無い。
「うう、ううん……」
「アーサー、まだ寝ているの? もう朝よ?」
不意に、アーサーの頭上から優しい声が降ってきた。最悪だ、聞こえなかったことにしよう。毛布を被り直して悪足掻きをき決め込むと、暖かな手がそっと肩を撫でた。
あと五分で起きるから、放っておいてくれ。口を開いて声を出すのも億劫だったから、相手に伝わるように念を送ってみる。当たり前だが、一文字も伝わらなかったようで。
「ふふっ、仕方ないわねぇ。アーサーってば……いつものをしてあげないと起きない、甘えん坊さんなんだから」
ぎしっ、と古びたパイプベッドが軋む。アーサーは抗議の意味で低く唸るも、声の持ち主は全く恥じらいも無く腰に跨ると顔に被った毛布を剥いだ。
さらりと、長い黒髪が頬を撫でる。腹の底で湧き上がる苛立ち。どうにかして薄目を開け、アーサーは自分の上に乗る人物を睨んだ。
威嚇のつもりだったが、相手は腹立たしいことに頬を染め、目まで瞑っている。
「おはようの、キッ――うぼぁッ!?」
「うるさい、消えろ」
獣が唸るような声と共に、渾身の頭突きをお見舞いする。骨同士がぶつかり、衝撃に脳が揺さぶられる。情けない悲鳴を上げながら、相手がベッドから転がるようにして落ちた。
その瞬間、どろんと立ち昇る白い煙と共に、ひらりと一枚の葉っぱが舞うようにして落ちた。
「いっ、ああああ……あああ……」
床で悶絶しながら、ごろごろと転がる滑稽な姿を見守りつつ。むくりと、身体を起こすアーサー。乱れた亜麻色の髪を掻きつつ、欠伸を一つ零す。普段の彼は指先まで洗練された動作で気品の良い男だが、寝起きの時ばかりはどうしても気持ち良く起きることが出来ない。
それは、眼下の『彼』もよく思い知っている筈だが。
「うぐぅ……あ、アーサーの旦那ァ……朝からキツイっす。頭かち割れる……ちょっとした可愛いイタズラじゃないですかぁ」
赤くなった額を両手で擦りながら、男が涙声で訴える。明るい茶色の髪に、普段から垂れ気味の『狐耳』が更にぺたんと寝てしまっている。
「旦那は朝が弱いって聞いたから、おれっちが気を利かせて姐さんの姿で優しく起こしてあげようと思ったのに……寝起きの旦那超こえーよ」
「彼女があんなふざけたことをする筈がないだろうが。全く……俺が不機嫌なのは誰のせいだと思っている。シダレ、お前も朝っぱらから男に迫られたら不愉快だろ?」
よろよろと、身体を起こすシダレを見下ろしながらアーサー。しかし、何とか痛みをやり過ごしたらしい狐は、何故だか頬を赤くしながらチラチラとこちらを見やる。
「え、えっとー……おれっちノーマルだけど……旦那が相手なら掘られてもい――」
「殴られるのと蹴られるの、どちらが良い?」
アーサーがゆっくりと両手を握り締める。彼の両腕と両足は、幼い頃の事故により付け根から喪失してしまっている。その代わりに装着されているのが、鋼鉄製の義手と義足だ。それも、凡そ日常生活では不必要な程の強度と性能を誇る。
軽く小突かれるだけでも、相当痛いことだろう。
「あ、あー! そうそう、サヤの姐さんがもうすぐ朝メシ出来るって言ってましたよー? ちゃんと伝えましたからね、早めに来てくださいねっ」
では! バタバタと慌ただしく、部屋を出て行くシダレ。自分以外に誰も居なくなった部屋で一人、アーサーは気怠い身体を叱咤しながらベッドから降りた。
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