第5話
残念ながら幸太郎の家に酒は置いていなかったが、囲炉裏を囲むようにして座った幸太郎以外の三人はまるで酔っているかのように大きな声を挙げて騒いでいた。
というのも、彼らはある意味自分たちの人生の岐路とも言えることについて話していたからであった。
「だから、言っただろ? 絶対、涼は幸太郎狙ってくるって」
そんなあからさまな竜助の言葉に香はすぐに反論した。
「そんなことないよ! だって涼と私、友達だもん!」
彼女はさっきから竜助にさまざまなことを吹きこまれると、その度にぷりぷりと怒り顔で怒っていた。竜助はその反応こそが面白くてあることないこと言っているのだが、香はまったく気付いていないようだ。そこにまた宗介が加わる。
「いや、俺もそう思うよ。涼はああ見えてかなり我が強いからな。押す時は一目散に押すぞ~。もうその勢いは凄いぞ~」
おそらく宗介も適当なことを言っているだけだと思うが、香は宗介の言葉に思い当たるところがあるらしい。少しだけ不安げな顔をした香は、向き直って幸太郎の方に顔を向けた。
「ね。幸太郎はどう思うの?」
まさか本人に話を振ってくるとは思わない幸太郎は、どっちに味方すべきか考え、結局「どうなんだろうね」と曖昧に濁してみせる。しかし、すぐにそれが自分の悪い癖だと反省すると、彼は竜助たちの方をちらりと見てからこう呟いた。
「あ、でもこの前偶然道端で出くわした時、涼の方から話しかけられたな」
その幸太郎の一言に香は平静を装いながらも、確かに顔色を変えた。竜助と宗介はそんな彼女の様子を見て、くくっと忍び笑いを漏らす。まあ、実際のところ、幸太郎は涼と最近過ごしやすくなったとか、そういう取り留めのない話をしたにすぎない。
とはいえ、この調子ではあとで香に謝らないといけないだろう。
幸太郎は笑みを浮かべたその表情の裏でこっそりと思った。
さきほどから彼らが話しているのは、全ての田の収穫が終わった後に行われる秋祭りについてのことだ。これはこの村の古くからの風習であり、毎年恒例の催しでもある。
その日は村の中心にある広場に大きな鍋を三つほど置き、村人皆が持ち寄った食材で鍋を囲んで騒ぐのがいつもの流れだ。お題目としては「今年の収穫に感謝を」という話だが、大勢が集まって一緒に同じ食事をすることでお互いの意思疎通を図ろうというのも狙いの一つにある。だからこそこの祭りは強制参加でもあった。
しかし彼らが話しているのはさらにその後のこと。皆が食事を取り終わった後のことだ。
ある時刻になると子供やある一定の年齢以上の大人は自宅へと帰り、それ以外の男女は食事が終わった後村の広場にそのまま残る。つまり、広場には村の適齢期の男女が多数残ることになるのだ。そしてその後何が行われるかといえば――もちろん今年の五穀豊穣に感謝し、来年も同じように豊作であるよう祈る儀式に他ならない。
集まった男女の中から互いの意思を確認した者同士が次々とつがいで広場から離れていき、彼らは思い思いの場所で誰にも邪魔されることなく、二人きりで時間を過ごす。すなわち、睦言を交わしながら乳繰り合うのである。これはやはり儀式と言うよりは、それにかこつけた夜の催し物と言う方がしっくりくるだろうか。
ただ幸太郎自身はあまりこういうことを男女で話すのはどうかと思っていた。だから彼は消極的にしか会話には参加していないが、なぜか香は積極的にこの話題に乗っている。彼女が特別なのか、もしくはこの村でそんなことを気にしているのは自分だけなのか。幸太郎にはよく分からなかった。
そうしてしばらくの間竜助と宗介が香をからかったところで、ようやく彼女は自分が馬鹿にされていると気付いたらしい。その途端、「ああ、もう!」と席から立ち上がった彼女はぷいと顔を背けると、幸太郎にも挨拶せずに家から出て行った。だいぶ怒ってしまったようだ。
しかし、彼女にしてもこのままただ負けて帰るのは癪だと思ったのだろう。
一度回れ右して戻ってきた彼女は、竜助と宗介の背中を一度ずつ蹴ってからまた改めて出ていった。かなり力が入っていたようで、二人は痛ててと、背中をさする。だが、さんざん彼女をからかった後で余裕のあった二人にはそれも効いていないようであった。
彼らはよほど彼女の様子が面白かったらしく、彼女がいなくなった後もしばらくの間笑い続けていた。
「いやー、しかし祭り楽しみだよな。俺初めてだもんなー」
ようやく落ち着いた頃に、竜助はひどく浮かれた顔で言った。その隣では宗介もうんうんと頷いている。彼にもその経験があり、竜助の気持ちは良く分かるのだろう。
「まあ、しきたりとはいえ面倒だよな。一人前と認めてもらわないと祭りに参加できないなんて」
宗介が言うと、竜助は「まったくだ」と言って笑った。ただその様子からして、今となってはもうしきたりなどどうでもいいようである。
この夜の催し物に参加するには適齢であるのに加え、一応の参加基準があった。それは男女共に、周囲から一人前と認められることである。つまり、男の場合は狩りを成し遂げたかどうかで判断されるし、女の場合は安心して子供を産めるような体になったかどうかで判断される。
ということで、今年の夏、猪を捕まえた竜助はようやくその参加資格を得たのだ。だからこそ彼が猪を捕まえた当時、やんややんやと彼の父親たちが騒いでいた。
「そうだよな。この三人の中じゃあ、去年は竜助だけが参加できなかったもんな。俺みたいに上手くやらねえから」
宗介が笑いながらそう軽口を叩くと、すぐに竜助が宗介の肩をばしりとはたく。もちろん力はそれほどこめられておらず、ただじゃれているだけである。
「お前は大人たちの狩りの後ろに付いていっただけだろ。それで上手いこと猪捕まえたことにしやがって。要領がいいだけじゃねえか」
「はは。褒め言葉だと受け取っとくよ」
宗介は軽く竜助の言葉を流すと、幸太郎の方を向いてにやにやしてみせた。それに対し、幸太郎はあいまいに頷いてみせる。
実際、宗介が要領が良いのを幸太郎は知っていた。狩りに行くという大人たちに舌先三寸で彼が取り入る様子をたまたま幸太郎は近くで見ていたのだ。
そしてなんとも運の良いことにその狩りの最中に彼は猪を捕まえることができたのである。もちろん本当に捕まえたのは彼ではなく、彼の周囲の大人たちであったが、やはり彼はその口先でもって自分も猪を捕まえるのに貢献したと認めさせた。その口の上手さだけからしても、彼は一人前と言っていいだろう。
「そういえば、宗介って去年は相手誰だったんだ?」
「ん、俺の相手か? って馬鹿。こんな真昼間からは言えねえよ」
からかい半分で幸太郎がした質問に宗介はからからと笑って答えた。
「んー? なんだよ、言えよ。気になるじゃねえか」
さらに竜助が問いただしたが、彼は何も答えずにただ笑っている。それで幸太郎には宗介の考えていることが分かった。
この催しはお互い同意した者同士が行う極めて自由度の高い催しなのだが、実は男が初めて参加する場合だけは少し勝手が違う。すなわち、最初の
その理由は様々だが、今後その男が恥をかかないよう知識を教えこむ必要があるから、というのがその一番の理由とされている。
そして、宗介はあまり言いたくない相手に当たったのだろう。もしくは彼がよほど失敗したか。村の男は多くがその場が初めてのことになるはずだから、そう珍しいことではない(と思う)が。
幸太郎がそんなことを考えていると、宗介が今度は彼に尋ねた。
「じゃあ、お前はどうなんだよ。相手、言えるのか?」
意趣返しのように言う宗介に、にやついた竜助も加わる。
「あ、そうだ。お前も去年だったもんな。じゃあ、まずは幸太郎から教えろよ」
一瞬にしてまずい状況に陥った幸太郎は、とりあえずあははと笑ってみせた。それで宗介は委細承知と分かったような顔をしたが、竜助はそうはいかない。その後も追いすがってくる竜助をなだめすかしながら幸太郎は二人としばらくの間、会話を続けていた。
□
「これはこれは、わざわざ遠方からご足労いただきましてありがとうございます。このような天気でしたが濡れませんでしたか? もし寒いようでしたらこちら、お口に合えばいいのですが」
そう言って一彦は部屋に上げた彼こと、成なりのノ介すけに酒を勧めた。成ノ介はいやいやと顔の前で手を振り一度断ったが、しきりに一彦が勧めてくるので仕方なくほんの一口、盃に口を付ける。
「お時間があるなら食事もどうでしょう? このような山に囲まれた土地ですのでさすがに海の物は出せませんが、意外に山菜もおつなものでございますよ」
いささか強面の一彦が丁寧な言葉を遣っているのが少し面白いのか、成ノ介は小さく笑ってから言った。
「ん。いやいや。お心遣いはありがたいが、こちらはまだ仕事中なのだ。このまま飲み食いして酔っ払ってしまっては帰り道で馬から転げ落ちてしまう」
そう言って成ノ介が大きく笑うと、一彦も「ああそれは」と申し訳なさそうに呟いた。
「ああ、いや、別に気にしなくていいのだ。さっきも言ったように、歓待しようという一彦殿の心持ちは私もよく分かった。ありがたいことだ。なので今日は酒ではなく、茶を頂いてもいいだろうか?」
成ノ介が言うとすぐに一彦は頷き、奥に控えているはずのお初に向かって「お茶を頼む」と声をかけた。すると直ちに返事が聞こえ、廊下を去っていく足音が聞こえる。慌ててお湯を沸かしに行ったようだ。
「それで一彦殿。来る途中、今年の稲の様子を横目に見せてもらったが、だいぶ実りも良いようだな。収穫は滞り無く進んでいるか?」
「ええ、それはもうおかげ様で。今日はこの天気なのであれですが普段は特段滞りも無く。村の者たちも豊作を喜んでおります」
「うむ。それは良かった。今年は天候も悪くなかったし、質も良いものが取れるだろう。まず、目出度いことだ」
そう言って、成ノ介はまた笑う。つられて一彦も笑うと、それを待っていたかのように成ノ介は切り出した。
「それでだな。一彦殿。昨年の私とした約束を覚えているか?」
一彦は少し雰囲気の変わった様子の成ノ介に少し違和感を覚えながら、「もちろんです」と言って頷く。
「今年と来年は税を課さない、という約束のことでしょうか」
「ああ、そうだ。昨年私は確かにそう言った」
成ノ介は一度そこで話を区切ってから、しばし顔をしかめる。しかし彼はすぐに表情を戻すと、一彦に向かって硬い声で言った。
「私としても自分の言ったことを反故にするのは心苦しいのだが……、すまないがその約束は撤回させてもらいたい」
一彦は目の前にいる男からの思いもよらぬ言葉に、鈍器で頭を殴られたような衝撃を受けた。
「あ……。いや、成ノ介様? それでは、お話がだいぶ違うのでは?」
額にしわを寄せながら一彦が問う。
「だから済まぬと言っている。昨年の時とはかなり状況が変わったのだ。我が殿は今、少しでも兵と兵糧を必要としているのでな」
一彦はさらなる成ノ介の言葉に背筋が冷たくなるのを感じた。聞きたくなかった単語が成ノ介の言葉に含まれていたからだ。
「それでは、まさか。兵糧だけではなく、兵も、ですか?」
「そうだ。察したか。重ね重ね済まぬが、この村からも兵をいくらか出してもらう。それもなるべく早くにだ。少なくとも冬の間にいくらかでも使えるようにしておきたいのでな。それで、この村に兵として働けそうな者は幾人いるのだ? なるべく次男や三男で若いほうがいいが」
その成ノ介の質問に、一彦はすぐに答えることができなかった。異様な速さで進んでいく話に彼は戸惑っていたのだ。
「一彦殿?」
もう一度成ノ介が問うと、ようやく一彦は我に返る。そして、成ノ介の目を見返しながらもいささか声を震わせて彼は言った。
「申し訳ありませんが確認してみないことには……すぐにはお答えできません」
成ノ介は必死に絞り出したらしい一彦の言葉に頷いてみせた。
「分かった。しかし私はほかの村も回らねばならぬのでな。何度もこの村に来るわけにもいかないのだ。だからこの村からは、十……いや五人で良い。今年の収穫を終えたら城の方に向かわせてくれ。訪ねていけばいいようにしておく」
村の規模から一応計算はしていたらしい。
しかし、一彦が想定していたよりもだいぶ少ない数を成ノ介は挙げた。
「税の徴収に関しては、おそらく例年通りの方法になるだろう。ただ約束をこちらが一方的に違えているのだから、割合は四・六にする。今年に関してはそちらが六だ」
一彦は成ノ介の条件が最大限譲歩されているとは分かった。あちらも無理は承知しているようだとは感じつつも、だからといってすぐに頷くこともできなかった。
しかしいつまでも返答を渋ることはできず、またここで頷かなければ条件はさらに悪くなってしまう。逡巡のあと、最終的に一彦は苦しそうに頷いた。
「そうか。ならば良かった」
成ノ介は一彦に向かってそう声をかけた。偽らざる彼の本音だった。
彼としてもここで断られれば高圧的な手段に出るしかない。さすがにそこまでは彼もしたくはないのだ。わずか数年の付き合いではあるが、これまで成ノ介と一彦はとても良い関係を続けていた。これから先のことについては、途端に不明瞭になってしまったが。
「私の伝えるべきことはこれで終わりだ。……奥方の淹れた茶を飲んだらすぐに帰ることにしよう」
すでに外の雨は強くなり始めていたが、成ノ介ははっきりとした声でそう言った。一方、一彦も特段彼を止める素振りは見せなかった。
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