6 さよならサーシャ
「マ、マリア様……」
わたしを抱きとめたサーシャの声が、少しうわずったように聴こえたのは気のせいかしら?
「どうしたのです、マリア様?大丈夫ですよ、必ず助かります」
「そうではないのです。なぜ、だれもかれも自ら危険をおかそうとするのですか?戦場の兵士様たちのように……」
背はサーシャのほうが高い。わたしは彼女に寄りかかるような形になり、泣きながら言った。
「私も軍人、広報付きであっても騎士のはしくれです」
「リリィさんだってそうだったわ。わたしなどのために傷ついて……」
「それが我々の“仕事”なのです。中尉も私と同じです」
サーシャは、わたしを抱きしめながら言った。この人は、ほんの少しだけ香水をつけている。それは女として譲れない部分なのかもしれない。そのことを考えると、余計に不憫になった。
「ですが、単純に仕事と割り切ったことではないのかもしれません。中尉もそうだったのだと思います」
「どういうことですの?」
「彼女も私も、マリア様のことが好きなのです。だから……」
そう言われ、わたしは少し赤くなってしまった。
「国の宝であるマリア様に対し大変に無礼な言い方ですが、良い友人ができたような気がしていました。私のような者を、いつももてなしていただき、感謝に堪えません」
「なぜ、そんな今生の別れのようなことを……逃げ足には自信があると言っていたではありませんか?」
「ああ、そうですね」
サーシャは頭をかいた。
「お別れではありません。いずれまた、ヌードモデル様として“登壇”していただかなければなりません。私は何度でもマリア様を説得しに現れますよ」
そう言って、わたしから離れた彼女は、取り出した白いハンカチで涙を拭いてくれた。優しい感触だった。
「ここは頑丈な部屋ですから、賊が来ても、ちょっとやそっとのことでは開きません。すぐに迎えに参ります」
サーシャは金属製の扉を開けた。ぎいっという音とともに、心配そうな運転手の顔があらわれた。
「終わりやしたか?」
彼は言った。
「応援を呼んで来ます。万が一のことがあった場合は、素直に投降してください」
と、サーシャ。
「そんな……殺されてしまいやすよ!」
「非戦闘員に危害を加えることはあり得ません。傭兵団がそのようなことをしたら、人道的な信用を失い、仕事がなくなりますから」
「そんなもんですかねえ……」
「連中の狙いはヌードモデル様です。内から鍵をかけ、決して、この場を動かぬように。必ず応援を連れてきます」
「あっしが捕まった場合、お国は対処してくれやすか?」
「優先的に捕虜交換の対象となるよう、便宜を図ります」
サーシャは最後に、もう一度、わたしを見た。
「すぐに戻って参ります。しばしのご辛抱を……」
そう言い残し、彼女は駆け出した。最後まで笑顔だったが、不安はぬぐいされるものではなかった。
運転手は扉を閉めると、がちゃりと鍵をかけた。ただでさえどんよりとした空気が、密室になると余計に重く感じられる。灯りはランプひとつだけ。わりかし広い部屋である。
「ヌードモデル様、座ってくだせえ」
なにもすることなく、ただ立っているわたしに、あぐらをかきながら運転手は言った。
「体力を温存するには、座っとくのが一番でっせ」
彼の言うとおりだろう。わたしは壁にもたれるようにして、地べたに座った。これまでの疲れが、どっと足腰にくる。早朝、ヌードモデルとして登壇し、今は隠れている身だ。
広い空間とはいえ、殿方とふたりきりというのは、なんとも気まずいものである。話すこともなく、何かをするわけでもなく数分が過ぎた。
「あの人、囮にでもなる気でやんすかねぇ……?」
静寂を破ったのは運転手のほうである。
「どういうことですの?」
わたしは訊いた。
「応援が城からここまで来るのにそんなに時間はかかりやせん。涼しいですし、水や食料がなくともさほどの問題はないんですがねぇ」
「まさか……」
「ああ、すんまへん。この扉は、たてつけがイマイチらしく、おふたりの声が聴こえちまったんでさぁ」
「囮とは……?」
「どうせこの集落にいることは、わかるはずでやんすから、応援が来た頃合いを見計らって出ていきゃいいわけですがねぇ。まぁ、それは裏切った連中も同様なんで、時間を稼ぐ気なのかもしれやせん」
「そんな……」
「それか、自分だけ助かろうと思って逃げだしたか……」
「彼女は、そんな人じゃありません!」
「すいやせん、口が過ぎやした……」
わたしは立ち上がった。
「どこへ行く気でやんす?」
「決まってます。サーシャさんを止めるのです!」
「あんたが行っても、かえって足手まといになるだけでやんすよ」
「あぁ………」
それを聞き、わたしは頭を抱えた。
「悪いのは、わたしなのです……」
そして言った。殿方たちの視線の快楽にひたり、絶頂を感じたこの身体を恥じた。その先にあったものが、今の状況なのだ。
「こんなことなるなんて……やはり、引き受けなければよかったんだわ。わたしがここに来なければ……こんなことには……」
サーシャの件と、そしてさきほどの戦いのことも。わたしの裸を見て力を得た兵士様たちの獣のような強さ……あれは、とても国や大義を守るための戦いとは思えなかった。間接的に戦争に関わってきたせいで、今まで見えなかった闇である。
「なぜ、戦争などおこるのでしょう?なぜ、殺し合わなければならないならないのでしょう?」
わたしは涙を流した。
「そうでやんすね、やはり戦争は悲しくて良くないことでやんすよ……」
運転手は天井を見上げて言った。
「あっしの息子はねぇ、戦死したんでやんすよ……歳はそう、今のあなたぐらいでしたかねぇ……」
「そ、そうだったのですか……」
「へぇ、そうなんでやす」
彼はポケットから嗅ぎ煙草を取り出し、ひと吸いしたあと、こう続けた。
「革命の思想ってやつに取り憑かれちまったんでさぁ……あんたらが反乱軍と呼ぶ勢力に与して、あんたが関わった三年前の“アリアケ攻防戦”で……」
その言葉を聞き、わたしの背筋は凍った……
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