5 呪われた力


 “伝説を聞いたことがあるんだよ……"


 三年前のあの日、わたしの身体を覗いた男の言葉を思い出した。


 “この世が動乱するとき、天は女神を遣わす、という伝説さ。その美しい裸は戦士たちの肉体を鼓舞し、魔法使いたちの精神を高揚させ、僧侶たちの禁欲すら崩壊させると聞く。てめぇはそんな女さ……”


 そう言って立ち去ったあの男は、その伝説どおりに数十人の追っ手を殴り倒しながら逃げ続けたという。そして今、わたしの目の前で繰り広げられている光景……それは、凄惨なものだった。


 武装したひとりの戦士様が飛んだ……重そうな鎧を着けているにもかかわらず、何メートルも高々と。そのまま上段から剣を振り下ろすと、地面に立っていた敵方の戦士様の体を鎧兜ごと真っ二つに斬り裂いた。まるで噴水のように飛び散った血飛沫が、ここまで見えた。


 紺色のローブを纏ったひとりの魔法使い様が杖を天に掲げた。次の瞬間、先端から発生した稲妻が目前の敵を焼き焦がした。今度は血飛沫すらあがらない。人間とは、ああも真っ黒な炭人形に変わるのか?いや、その炭すら風に吹かれ、ぼろぼろと原形すらとどめなかった。


 白の神官服を着たひとりの僧侶様が右手を真横に振るった。すると、恐ろしいほどの地煙が巻き起こり、相手の身体を跡形もなく切り刻んだ。空気が刃に変わったのか?それとも大地の精霊の仕業か?飛び散った肉片を踏みつけ、僧侶様は天に向かって雄叫びをあげた。


 強化された戦士の肉体と魔法使いの精神、崩れ落ちた僧侶の理性……すべてが、わたしの裸を見たことでおこったのだ。混戦の中、殺し合う殿方たち……どちらが味方で、どちらが敵なのかすらわからなかった。


「これが……」


 わたしはサーシャに問いかけた。


「これが、わたしの力なのですか?こんな恐ろしいものが!」


「マリア様……」


「これは戦争などではなく虐殺ではありませんか!いかに大義があろうと、その手段がこのような残酷なものならば、果たす意味があるのですか?」


 自分の意志で関わったことである。戦争の早期終結が叶うならば、と……だが、今、わたしは後悔した。話し合いで解決できないからといって肯定される暴力など存在しない。見知らぬ人々に裸を晒し、快楽に身をゆだねたことの罪なのか?いや、ヌードモデルとは、あの絶頂を得るため殿方の流血をすする悪魔の存在なのではないか?


「なぜ、和平を結べないのです?なぜ、国も殿方たちも闘争の道を歩むのです?」


 わたしはサーシャの制服をつかみ、揺さぶった。つよく、何度も、何度も……


「ちょっと……落ち着いて下さい!」


「落ち着いてなどいられますか?人と人が殺し合っているのですよ?わたしのせいで……!」


「それは……」


「止めます、わたしが……!」


 わたしは戦場のほうへ駆けようとした。だが、サーシャが手を引き、食い止める。


「離して、サーシャさん!わたしが……!」


「待って、待ってください!危険です」


「危険?望むところですわ。こんな呪われた力を持つわたしなど、戦場で巻き込まれ、死んでしまったほうが世の中のためなのです!」


「いい加減に、なさいッ!」


 鈍い音が鳴った。サーシャが、わたしの頬を打ったのだ。


「サーシャさん……」


「あなたが行って、何ができるのです?戦闘を止められるとお思いですか?」


 痛みに頬を抑え、正気にかえったわたしに彼女は痛烈な言葉を投げかけた。今、なにをしようとしたのかしら……?なにを言ったのかしら……?


「連中の狙いは“ヌードモデル様”なのです、とにかく逃げるのです!」


 サーシャはもう一度、わたしの手を引こうとした。


「あの……ちょっと、いいですかねぇ?」


 運転手が話に割って入ってきた。


「クルマがない今、走って逃げられるもんじゃありませんぜ。隠れるべきかと」


 彼は西の方角を向いて言った。集落がある。


「城から応援が来るはずなので、それまでなら、なんとかなるんじゃねぇかと……」


 と、運転手。戦闘が行われているあたりを見ると、狼煙があがっている。緊急の合図なのだろう。護衛の兵士様たちが、今は食い止めてくれている。


「わかりました。こちらへ!」 


 サーシャは、わたしの手を強く握り、走り出した。











 近年、内乱に揺れるサツマの国では、反乱軍との主要な戦闘地域であるここオースミ半島を捨て、サツマ半島へ移住する人が増えた。家族単位だけではなく、地域集落単位での集団移住も多く、大規模な過疎化は社会問題となっている。農業漁業林業に従事する者が少なくなるから、という心配もあるが、人里が少なくなると、モンスターの生息地が増えることも懸念される。


 この集落も無人だった。主を失い、朽ち果てた家々と、ぼうぼうに伸びきって、枯れた草木たち。放棄された畑も……人はもちろん、動物一匹見当たらない。モンスターがいれば、もっと散々に破壊されているはずなので、その心配はなさそうだ。


「誰も住んでないようですぜ」


 運転手が言った。荒れ果てた道に立つと埃が風に舞った。サクラ島の降灰が混ざっているらしく、顔にザラザラとした感触が残る。目を細めた視線の先には、どこまでも廃墟が続いていた。意外と広い集落である。


「こちらへ……」


 わたしと運転手に移動を促すサーシャ。皆で数十メートルを歩くと、比較的大きな建物があった。店かなにかだったのだろうか?看板が外されたあとがある。


「この作りは“役場”ですね。どんな田舎であっても、“公務の場”というのはあるものです」


 サーシャが言った。彼女はウエストポーチから大きな鋏のようなものを取り出し、入り口のドアにまかれている鎖を切った。


「長いこと放置されているのでしょう。錆びついているので簡単です」


 サーシャは笑いながらドアを開けた。中は広い部屋で、当然、がらんとしている。大量の机や椅子は壁際にきちんと並べられており、散らかってはいない。


「無人化に伴い閉鎖した役場です。珍しいことではありませんが、こうもかたづけられていることはまれかもしれません」


 と語るサーシャは落ち着いたものである。武芸は苦手と語っていたが、やはり軍人なのだ。


 わたしとサーシャ、そして運転手の三人は奥へと入って行った。長らく密閉されていた空間は、どこかカビた匂いがする。放棄される前は住民の利用もあり、賑やかだったのだろうか?


 広い部屋の脇を抜け、わたしたちは光がささない暗い廊下に立った。奥へと続いている。


「誰もいないと不気味なもんでやんすねぇ」


 運転手が言った。小太りで人が良さそうである。オースミなまりが強い。


「そうですね」


 と語るサーシャを先頭に廊下の奥へ進むと、突き当りの壁に金属製の扉があった。彼女が取っ手をまわすと、ぎぃーっと重い音をたて、開いた。


「ここに身を隠します」


 サーシャが言った。


「なんでやんす?ここは」


 と、運転手。


「避難所です。“しぇるたー”などとも呼ばれます」


「避難でやんすか?」


「災害、戦争、モンスター対策などのため、所々に作られているのです。ここにもあったのは幸運ですが……」


 中は真っ暗で、よく見えない。先に入ったサーシャは、ウエストポーチからマッチを取り出すと、扉の横壁にあるランプに火を付けた。照らされた室内は、かなりの人数が収容できるほどに広い。


「少し、ここで待っていてください。ヌードモデル様と話があるのです」


 サーシャは運転手に言った。


「あ、あっしも避難させてくだせえ……!」


「わかっています。話が終わったら、開けますので」


 運転手を“きっ”と睨みつけると、彼女は、わたしを“しぇるたー”に引き入れ、中から扉を閉めた。


「マリア様……」


 灯りひとつの室内でふたりきりになり、サーシャは言った。


「ここでじっとしていてください。私は、ひとっ走りして助けを呼んで来ます」


 その言葉を聞き、わたしは血相を変えた。


「な、何を言っているのです?危険ですわ!」


「裏切った傭兵団の目的はマリア様です。おそらく、反乱軍に寝返ったのでしょう。マリア様のお力を欲しているのです」


「そんなことを言っているのではありません、外は戦争をしているのですよ?」


「連中は、私たちがこの集落に入るのを見ています。居場所が知れるのは時間の問題です」


「あなたは、武芸が苦手とおっしゃっていたではありませんか!」


「ご心配なく。逃げ足は、はようございます」


 サーシャは腰に佩いた剣ではなく、足に履いたブーツをとんとんと叩いて言った。


「それに、城から応援が到着するまで、さほどの時間はかかりません。もう、着いている可能性も……」


「ならば、ここに居ればいいではありませんか」


「水や食料がないのです。発見が遅れてしまうと、マリア様のお体に負担がかかります」


「それでも、それでも……」


 わたしは我慢できず、サーシャに抱きついた。


 

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