2 天女になったマリア


 

 おつきの女性に促されて、わたしは“えれべーたー”の外に出た。ここは塔内の廊下のようである。


「よく、眠れましたかな?マドモアゼル」


 宰相様が訊いてきた。


「はい……」


 わたしは答えた。人生の大事の前の晩にしては、よく眠れたほうであろう。


「とても、お美しいですよ。まさに、女神の化身ですな」


 この濃い化粧姿を見ての宰相様のお言葉は、お世辞だろうか?わたしは適切な返答に困り、うつむいてしまった。


 宰相様に連れられて、わたしは自分の控え室へと案内された。城であてがわれた部屋に比べれば狭いが、それでも内装は整えられている。立派なチェアーや、その他家具類が目に入った。


「申し訳ありません、マドモアゼル。いかんせん今日のために急遽、建築された塔ですので、粗末な部屋しか用意できなかったのです」


 と、宰相様。粗末とは思わなかったのだが、偉い人の感覚とは、我々庶民とは異なるものなのかもしれない。ただ、この方は倹約家とも伝わっている。単なる謙遜なのかしら?


「まだ少し時間がありますので、ごゆっくりなさってください。では……」


 宰相様は立ち去ろうとした。


「あの……?」


 わたしは、おそれ多くも呼び止めてしまった。


「なにか?」


「わたしは、何をすればよいのでしょう?」


 という質問は意外だったのかもしれない。宰相様も少々、面食らったようだ。だが……


「以前と同じです」


 そう言って笑った。まさか“服を脱ぐのです”などと言うとはさすがに思わなかったが、宰相様は適切な返答に迷われたのかもしれない。











 わたしが登壇するために作られたのが、このヌードモデル塔である。円筒形ではなく四角柱で、四、五階建てほど。高さ五メートルの壁でまわりを囲まれており、殿方たちは、その外からわたしの裸を目にすることになる。護衛の兵士様もいらっしゃるが、壁を乗り越えることは不可能であるという。なぜなら茨のトゲに似た金属製の線が全体に張り巡らされているからだ。


 もっとも、この塔は今回のためだけに使われるものではない。予定では今後、物見目的に利用されることとなるらしいが、反乱鎮圧後は、改装されて観光名所になる計画まであるという。わたし……つまりヌードモデルが脱いだ塔として。


 これらの話はおつきの女性から聞かされた。部屋に入ってのち、座らされたわたしは、例の天女のような衣装を着せられたあと、化粧とヘアセットの細かい調整を受け、現在、待機中である。そろそろ“そのとき”がやって来るのだ……


「マリア様……」


 座して待つわたしに、遅れて入塔したサーシャが話しかけてきた。予定では、すべてが終わったあと、彼女とともにサツマへと帰ることになっている。


「なんですの?」


 と、わたし。少し、ぶっきらぼうな返事だったかもしれない。登壇を前にして、ナーバスになっているのだ。前回もそうだった。あのとき心配してついていてくれたリリィは気をつかい、苦労したのだろう。


「あと、二十分ほどですね」


 とは、サーシャ。わたしが脱ぐのは七時。前回は宰相様の演説のあとだったが、今回はそれがない。かわりに、とある“演出”があるという。


「大勢の兵たちが、下でマリア様を待っていますよ」


「わたしを不安にさせてどうするのです?」


 なぜか吹き出してしまった。三年前に比べると、幾分、落ち着いている。リリィの夢を見たからか?それともサーシャが笑わせてくれたからか?実際、彼女の言葉は少しおちゃらけ気味だった。


「その衣装の着心地は、いかがです?」


 サーシャが訊いてきた。


「すーすーしますわ」


 わたしは答えた。この天女の衣装は生地がやけに薄い。そのくせ、ちょっとやそっとのことで破れることはないという。だから座ることが出来るわけだが、今回は女性が左右に立ち、脱がしてくれる手筈になっている。わたし自身は、裸を晒すだけでよい。


 それにしても、露出が多い。羽に見立てた結ぶ前のリボンのような数本のひらひらとした物はピンクと水色の二色。これは背中と腰の後ろ側から伸びている。首の半分から下はブラジャーに形が似るが、胸は大胆にも開いている。下はパンティのような物の上から、ものすごく短いスカート風の布を穿かされており、太腿はほぼ丸見え。というか、そのスカート部分が半透明なため、中も見えてしまっている。全体的には白を基調としており、お腹には何もない。見た目は下着とほとんど変わらないのだがフィット感は強く、タイトな肌ざわりだ。ところが、これがうまく脱げるように出来ているというのだから驚きである。


 ドアがノックされた。いよいよである。


「行ってきます」


 わたしは言った。


「気をつけて、お歩きください」


 と、サーシャ。“頑張ってください”とは言わなかった。なぜかしら?過度な重圧を避けるためかもしれない。わたしはおつきの女性に案内され、部屋を出た。


 女性たちに囲まれ、ゆっくりと低い階段を登った。そこに鉄製の扉があった。この向こうが屋上……わたしが登壇する場……


 現在、“前座”が行われているはずである。いや、前座とは失礼かしら?進軍する兵士様たちのご武運を祈願するため、舞姫たちの演舞が披露されているらしい。分厚い壁と扉の向こうから歓声や音楽が聴こえてくることはなかった。そちらのほうが都合が良い。直前のこの時間が一番嫌なのだ。もっとも、わたしの登壇こそが主目的である以上、前座という言い方に間違いはないのかもしれない。あくまでも、わたしが主役の日。ヌードモデルたる、わたしの三年ぶりの“晴れ舞台”……


 おつきの女性のひとりが合図した。すると扉が開けられた。今は十月の朝。塔内に侵入してきた向かい風は冷たい。前回も同じ時期だった。本当に三年ぶりである。


 何千何万もの兵士様たちの歓声の中、四人の舞姫が後方に下がった。彼女たちの服は石油産出国の民族衣装に似ており、顔は目のあたり以外隠れている。続けて屋上の最前列の溝から数十センチほどの高さの火柱があがった。魔法の火らしく、熱くはないそうだ。


(リリィさん……)


 すでにのぼっている朝日を見ながら、彼女の顔を思いうかべた。


(わたしの“決断”、あなたはほめてくれるかしら?それとも……)


 大切なわたしの“お友達”……異国で見ているであろう太陽は同じものである。幻想であっても、ゆうべ会えたことを神様に感謝した。そして今日、わたしは“女神”になる……


 後方に下がった舞姫たちの間を抜け、わたしは屋上を歩きはじめた。さほどの広さはないため、すぐに城下の大地が見えはじめた。


 “ヌードモデル様!!”


 “ヌードモデル様!!”


 “ヌードモデル様!!”


 “ヌードモデル様!!”


 “ヌードモデル様!!”


 歓声を上げる何千、何万もの殿方たちが見えた。皆がわたしの裸を待っている。その美しい身体で戦士たちの肉体を鼓舞し、魔法使いたちの精神を高揚させ、僧侶たちの禁欲すら崩壊させる……そう、わたしはヌードモデル……


 屋上の最前列にあがっている火柱の丁度中央に、人ひとりが入れる隙間がある。そこに立つよう指示されていた。わたしは一歩、また一歩と近づく……冷たい空気を切り裂くような歓声は前へ進むごとに……視界に入る殿方たちの数に比例するように大きくなってゆく……


 最前列は本当に熱くなかった。炎の間に立つわたしの姿は火あぶりにされる直前の魔女に見えやしないだろうか?嫌でも引き受けた以上、炎の精霊を従える女神に見えてほしかった。それが女心というものだ。


 “ヌードモデル様!!”


 “ヌードモデル様!!”


 “ヌードモデル様!!”


 “ヌードモデル様!!”


 “ヌードモデル様!!”


 天女の衣装を着たわたしを讃える何千何万もの声……だが、わたしは彼らを見なかった。朝の広い空を流れるちぎれ雲を数えることにした。そうすれば、少しは緊張しなくてすむだろう。さいわい、たくさん浮かんでいる。


 わたしは手のひらを上に向け、かるく腕を開いた。その姿勢でいてくれれば、あとは何もしなくていいと言われていた。両踵は揃えている。


 さきほどの舞姫のうちふたりが、くるくると踊りながらわたしの両脇に立った。それと共に歓声がやむ。“そのとき”が訪れることを知って、殿方たちは息を止めたのか?今、時までも止まっているような気がした。


 ふたりの舞姫は左右から、わたしが着ている天女の衣装の両肩と羽に見立てた部分に手をかけると、かるく引っぱった。すると不思議なことに、衣装全体が縦に裂けはじめたのだ。胸を覆っていた布も、股間を隠していたパンティみたいなものさえも……


 “ぱさり……”


 天女の羽が風にのって、どこかへ飛んでゆく……舞姫たちが離れたとき、そこにいたのは、ありのままのわたし……何も身につけていないヌードモデル……朝露漂う秋の冷たい空気と、それを蒸発させてしまうのではないかと思えるほどの無数の殿方の熱視線の中、わたしは裸を晒した……

 

 

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