4 仮面のマリア


 

 その日の夕食は豪勢なものだった。人前で裸を晒す前日に、こんなに食べて大丈夫かしら?と思ったが、出された物に手を付けないわけにもいかず。結局、たくさん食べてしまった。もっとも、明日のことは考慮されていたそうで、見た目の立派さに反して、お腹が出ないよう材料と調理法が工夫された食事だったとのことだ。そのせいか、食後の倦怠感のようなものはなかった。


 わたしにあてがわれた部屋はバルコニー同様、最上階にあり、大変に立派だった。天井の真ん中に大きなシャンデリアがぶら下がっており明るい。今夜は、わたしひとりだけが泊まるのにもかかわらず、高級なソファーやチェアーが複数あり、天蓋までついたベッドや、その他の家具類も豪華なものである。壁の色は白で統一されており、そこに風景画と肖像画が数点、飾られている。かつて、ここを所有していたという貴族様の物だろうか?それとも、わたしをもてなすために、わざわざ用意した物なのかしら?


 あまりにもあっさりと部屋に通され、おつきの女性たちも、さっさと退室したため、ひとりになったわたしは、どうにも明日、脱ぐのだという実感がわかなかった。朝の七時に決行と言われたが、準備はもっと前から始まるため、早めに休まなければならない。とはいえ、それまでにやることがないせいか、少々、時間を持て余し気味だった。


 わたしは、お借りしている白い仮面を手に取った。それを被り、窓のカーテンを少し開けてみた。外を覗くときは顔を隠すよう言われているのだ。おつきの女性たちは国の直属で、口の堅さは信用出来るらしいのだが、外の兵士様たちはそうでもないらしい。傭兵の方もいれば、双眼鏡でわたしの部屋を探り当てようとする方もいるかもしれないとのことだった。わたし自身、正体を知られると困るので、仰せに従った。


 この白い仮面は目の部分だけがあいているのだが、視界は良好である。外は既に暗いが、城下の大地はとても明るい。兵士様たちのキャンプが灯っているからだ。幾百、幾千もの光が不規則かつ広範囲に輝く様は、以前、写真で見た異国の街の夜景に似ていた。あれは“ひこうき”という空飛ぶ乗り物で撮られたものだったかしら?


「綺麗……」


 と、仮面の奥で思わずひとりごと。あまりにも大量の光源は、遠目に見るとまるで天地が逆転したかのような錯覚すらもたらす。大地が明るいせいなのか雲がかかっているせいなのかはわからないが、空に星は見えない。城下こそが今宵の星空だった。人工の光であることなど、なんの興醒めになろうか?


 だが、その光を生み出している人々とは、明日進軍する兵士様たちなのである。皆が生きて帰れないのならば、ここから見える光の一部は消える直前の命の灯火が実体化したものなのか?彼らを元気づけるために裸を晒すことになるわたしの想いは複雑にもなっていた。


 わたしは、こんなに良い部屋と食事を提供されているのに、外の兵士様たちは野営をしている。結構、寒いのだろうが、風邪などひいたりしないのかしら?温かいスープにありつけたのかしら?などと心配しつつ、申し訳なくもあった。


(リリィさんは、どうしているのかしら……?)


 ふと、栗色の髪の少女騎士様のことを思い出した。彼女が今いるであろう異国では、まがい物ではない真の星空が見えているのだろうか?彼女は、ヌードモデルとして再び裸を晒すことになるわたしの“決断”を知ったら、なんと声をかけてくれるのだろう?


「もう、二度と会うことはないのかしらね……」


 またも、ひとりごとが口から出た。不思議な力を持つとはいえ、わたしは普通の女である。リリィは騎士。生きる世界が違いすぎたのだ。生涯のつきあいになることなどあり得かった以上、遠くから彼女の無事を祈る。それだけが、わたしに出来ることだった。


 カーテンを閉め、いまだ煌々としている大地の光群に別れを告げた。その後、わたしは仮面を外すと、ネグリジェに着替えることにした。


 着替えのさなか、自分の身体を見た。三年前、はじめてヌードモデルとして裸を晒したときとは随分、体形が違っている。胸はとても大きくなり、お尻も立派に育った。以前に比べれば、ウエストも豊かになったような気がする。より肉感的になったわたしの裸は、あのころとは全然別物になっていた。


(こんなに見た目が違っていても、前と同じ“効果”があるのかしら……?)


 戦士たちの肉体を鼓舞し、魔法使いたちの精神を高揚させ、僧侶たちの禁欲すら崩壊させる……そんなヌードモデルの力とは、見た殿方の視覚から得られるものなのだろうが、外見が変わってしまって大丈夫なのかしら?わたしはふと、思った。三年前と違わないのは、肌の色くらいのものである。血が通っていないのではないかと疑うくらいに真っ白い。


 ネグリジェに着替えたわたしは、壁にかかっている鏡に自分の顔を映してみた。ヘアスタイルはあまり変わらない。肩のあたりまで伸ばした癖の強い金髪である。海の色に似た青い瞳も以前と同じ。全体的な顔立ちはどうかしら?毎日見る自分の外見上の変化など気づきにくいものだが、すこし大人っぽくなったような気もする。あのころは少女だった。今は大学生。もう、子供ではない。


「明日は早いわ。おやすみなさい、マリア……」


 わたしは鏡の中の自分に言い、シャンデリアの灯を落とした。











 天蓋つきのベッドに入ったわたしは、なかなか寝つけなかった。普段、起きている時間だからではない。明日早朝、再びヌードモデルとして大勢の殿方の前で裸を晒すことを思うと、怖くなったのだ。あの前後に感じる羞恥に、また怯えることになる……


 目が冴えているわけではない。長旅の疲れもあり、一時的に意識が睡眠の世界へ飛びそうにはなるのだ。だが、すぐに明日のことが頭の中に浮かび上がり、眠ることができない。何度寝返りをうっても、何度、体勢を変えても同じだった。


(こわい……帰りたい……)


 そう思いはじめた。人生の中で自分の背中に羽がないことを、これほど後悔した夜はなかった。このまま窓を開け放ち、サツマへと飛んで逃げたかった。だが、そんなことはできない。わたしは鳥ではなかった。


(お祖父様……お祖父様……今なら、わたしを迎えに来てくださっても恨んだりなどしません……)


 それが本気かどうかは自分でもわからなかった。だが、数時間後に訪れる“そのとき”は刻々と近づいてきている。逃げ道はない。外で野営をしている兵士様たちが、わたしの裸を心待ちにしている以上、いまさら断ることもできない。いやでも脱ぐしかない。 


 とうとう、わたしは起き上がり、シャンデリアをつけてしまった。どこか朦朧とした意識の中、光に眩む目で、きょろきょろと部屋を見回してみた。ここに生命を絶つ手段がないことに安心すると、ベッドに座りこんだ。


 実は入城する際に、洋服を含めた私物を取り上げられていた。部屋の中に刃物などはなく、豪華なチェアーの上に立っても手が届かないほどに天井は高い。窓は鍵がかけられており、開かないようになっていた。


(まさか、わたしの自殺を防ぐためではないわよね……?)


 そう思った。間違いではないのかもしれない。ひょっとしたら、どこかに覗き穴があって、今も誰かが見張っているのではないだろうか?もし、わたしに不審な行動があったら、おつきの女性たちや兵士様たちが、ぞろぞろと入ってくるのかもしれない。


(直前になって、不安になってしまうなんて……)


 頭を抱えた。あの羞恥心は心の傷となって、一生、わたしの中に巣食うのかもしれない。やっぱりこわい……あんな思い、したくない……











 “こんこん”


 丁寧なノックの音がした。こんなドアの叩き方をする少女を、ひとりだけ知っている。


(誰かしら……?)


 わたしは顔を上げた。


 “こんこん”


 もう一度、音がした……


「はい……」


 わたしは返事をしてしまった。ゆっくりとドアが開いた……


 ノックの主であるその人は、栗色の髪をひっつめていた。夏の木の葉に似たグリーンの襟付きシャツとタイトな黒ズボンを着けた身体は小柄で華奢。初めて会ったとき、騎士様などではなく、劇団で舞台女優でも目指せばよかったのに、と思わせたほどの美少女。腰に佩いた長剣は、かつて窮地に立ったわたしを救ってくれたものだ。


「ああ……ああ……」


 “彼女”を見たわたしは、声にならない声をあげた。多分この世で、もっとも会いたかった人……異国に渡ったはずの、大切なお友達……信じられないことに、目の前にいる。


「リリィ……リリィさんなのね……?」


 そう言ったわたしの心が、もう熱かった。リリィは、ほんの少しの微笑を浮かべ、頷いた。

 

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