3 ヌードモデル塔 


 外に出る前に、わたしは一度、あてがわれた部屋へと連れて行かれた。そこで、数人の女性たちの手により、再び元の顔がわからないほどの濃い化粧を施され、白い服を着せられた。遠い異国の“きとん”と呼ばれるものに似ている。そして……白い“仮面”をつけさせられた。舞踏会に使うようなものとは違い、顔全体を隠せるほどの大きさで、顎の部分が、やや鋭角的になっている。視界を確保するため、目の部分だけに穴があけられているが、鼻と口がない。通気する素材で作られているそうで、息苦しさはない。


(幽霊みたい……)


 鏡に映る自分を見て思った。目だけが覗く白い仮面……内側にあるわたしの顔は緊張にこわばっているはずだが、それを隠す。目の部分はつり上がっているため、笑顔にも無表情にも見える。不気味な仮面である。


「申し訳ありません。貴女の正体は隠さねばならぬのです」


 おつきの女性に連れられ、仮面をつけたそのままの格好で部屋の外に出ると、廊下に立っていらっしゃる宰相様が言った。


「こちらこそ、無理を言った上にお待たせして……」


 わたしのほうも非礼を詫びた。


「いいえ、では行きましょう、マドモアゼル」


 宰相様はエスコートするも、手を差し出したりなどはしなかった。そういう前時代的な風習は既にない国である。











 城の最上階にあるバルコニーは、とても広かった。異国風の建築様式で作られた柱や手すりは、貴族様の持ち物だった頃の名残りなのだろう。もちろん横幅もあるのだが、奥行きもかなり深い。


「一世紀ほど前は、毎晩のように豪華なパーティーが行われていたそうです」


 宰相様が言った。その一歩後ろに、白い仮面をかぶったわたしは立っている。さらに後ろにおつきの女性と兵士様が数名……皆でバルコニーの最前へと歩いた。


 そこに広がる絶景に、わたしは息をのんだ。雲ひとつないスカイブルーの下、広がる大地は、視界と言う名の空間を圧倒的な緑で埋めつくしていた。所々に見える集落は人々が生活している証左だが、指先でつまむことができるほどに小さい。人間という存在も、それが作った家屋も、風景を構成する極々微細な一部分なのだとしたら、やはり自然とは驚異の規模を誇るのだ。我々が作り出した文化文明など、面積と比率の観点からいえば、狭小なものである。


「ここは高地にあります故……」


 景色に見惚れるわたしに気づいたのか、宰相様が言った。しかも、城の最上階である。今は10月。少し強い風が遠くから緑の香りと、やがて訪れる冬の気配を運んでくる。今でこれくらいに涼しいのなら、夜は冷えるかもしれない。


「あちらが進軍予定のアリアケです。そしてあちらが隣国のヒュウガですな」


 宰相様が各方を指差し、教えてくださった。


「サツマは、どちらですか?」


 わたしは訊いてみた。すると宰相様は左手を向いた。サクラ島が遠くに見える。わたしが住むサツマ市は、あの向こうということになる。


 このとき、なぜか、わたしは二度とサツマの地を踏むことはないのではないか、と思ってしまった。馬鹿なことを……わたしは、これからもサツマで生きるのだ。


 バルコニーの東側に立つと、視線の先に海がある。さほどの距離はないらしく、よく見える。青い空との境界線に当たる部分が、ぼんやりぼやけている。画家は、この風景をどんなタッチで表現するのかしら?上下の色を違えるのか、それとも、さかい目を白く塗るのか……


「あの、ずっと先に大陸があるのです」


 宰相様はおっしゃった。


「“あめりか”ですわね」


 と、わたし。


「よくご存知で」


「現役の学生ですので……」


「これは失礼」


「いいえ……」


「若い頃、私は留学していたのです。このニホン列島より遥かに大きく、そして進んだ国です」


 遠くを見つめ、宰相様は笑顔で言った。少しは会話が滑らかなものになってきたのかもしれない。


「サツマの政治や文化も、海外の影響を受けています。今も何人かの者が異国へ渡っているのです。そういった者たちが向こうで学び得た物は、我が国の大きな財産となります」


 その宰相様の言葉を聞いて、わたしは今ここにいない栗色の少女騎士様のことを思い出した。リリィがどんな仕事で、何処の国へ行っているのかは聞かされていない。元気でいるのだろうか?それだけが心配だった。


 大陸へつながる東側の景色も素晴らしいものだが、足下に見える光景のほうが気になった。堀の外の平地になっている場所に数えきれないほどのテントがはられている。野営の兵士様たちは、その中で寝泊まりしているのだ。所々に煙があがっており、食事をしている方もいるのかもしれない。


「国の兵士たちがほとんどですが、傭兵の集団もいます。明日の朝、進軍しますので訓練は早くに切り上げさせました」


 宰相様が説明してくださった。彼らは明日、わたしの裸を見たあと、戦地へと赴くのだ。自らの体力と戦意を燃焼させるために、生命をかけて……


 “反乱軍との和平は望めないのでしょうか?”


 などと訊ねる勇気など、わたしにはない。国家の大事、国政の安定、国庫の事情……政治を司るようなお方に具申するほどの知識も持ちあわせていない。


 兵士様たちのキャンプが密集している先に塔のような物が見えた。円筒形ではなく、縦長の四角柱である。周囲を柵で囲ってあり、立ち入り出来ないようだ。数名の槍を持った兵士様が、その柵の傍らで警守している。


「あれは“ヌードモデル塔”です」


 と、宰相様。


「ヌードモデル塔?」


 とは、わたし。


「貴女に明日、登壇していただくため、建築したものです」


 宰相様は言った。つまり明日、わたしは、あの塔の上で裸になるのだ。


「明日、“事”が終わったら車を出します。貴女がすぐにサツマへ帰ることができるよう……」


 その宰相様の言葉を遮ったのは、城下の兵士様たちの反応だった。皆が堀のそばまでおしよせて来るではないか。数え切れないほどの大勢が……


「貴女に気づいたようですな」


 宰相様は言った。わたしの素顔を隠している白い仮面ごしに見える兵士様たちの波は、本当に荒れた海のように見える。以前、統率のとれた数千人単位の兵士様の行軍を目にしたことがあるのだが、それとは違う。不規則な人の大群とは、見る者にめまいすら感じさせる。


 だが、集まった兵士様たちは、次に揃いも揃って共通の行動を見せた。なんと、皆が平伏しはじめたのだ。


 “ヌードモデル様!”


 “ヌードモデル様!”


 “ヌードモデル様!”


 “ヌードモデル様!”


 “ヌードモデル様!”


 そして、清涼な秋風が運んできたものは何千、何万という殿方たちの祈るような声……このとき、城上と城下の距離がなければ逃げ出していたかもしれない。わたしに向けられている声なのだ。皆が待っているのだ。わたしの、裸を……


「仮面で顔を隠していても、距離があってもわかるほどに、あなたには魅力があるのでしょう」


 と、薄く笑った宰相様の言葉は冗談なのだろうか?わたしは今、初めて、このお方の神経を疑った。政治の頂点に立ち、国民の期待と人生を背負うような人とは、やはり常人とは違うのかしら……なぜ、そう思ったのか?どこか冷めた笑い方だったからだ。


「明日の朝七時、あの塔にてヌードモデル様の登壇を決行します。今夜は、よくおやすみになってください、マドモアゼル」


 と言った宰相様の顔は、それまで通りに柔和なものだった……

 

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