8 マリアの涙
(みんなが……わたしを待っている……ヌードモデルを……)
居間のテーブルに広げた朝刊の前で、わたしは渋難に暮れていた。昨日、街で目にした負傷兵やヌードモデルを待望する人たちの姿が、まだ目に焼きついたまま離れないが、こういった新聞にも最近、関連事が書かれている。ヌードモデル教のことなどもとりあげられているが、わたしを心底参らせているのは、それだけではない。
『反乱軍、オースミ半島にてサツマ国軍幹部六名を公開処刑』
朝刊には、そのように書かれていた。
“昨日、午後一時、反乱軍より各国の報道陣に対して、サツマ国軍幹部六名の公開処刑が執行されたと発表があった。反乱軍は、サツマ国側より申出されていた捕虜交換の要請に応じぬ構えを常々見せており、今回、かねてからの宣言に従った形による刑執行となった。”
記事には、処刑された幹部たちの名前が書かれている。局地戦で敗北した部隊に所属していた方々であるらしく、そのうち三名は将官様だった。
“執り行われた処刑は人道に従ったものであり、捕虜の取り扱いについても人権に沿ったものであるとの発表がなされた。各国媒体は、示威目的としての刑執行であったと報じている。”
続けて、政治にたずさわる方々からの言葉が書かれていた。その中に、このようなものがあった。
“非道な振る舞いに対し、遺憾の意を示すとともに、大義なき戦争行為に明け暮れる反乱の徒どもに、天神の雷槌あらんことを心より祈ります。”
(わたしの“力”が、必要なのかしら……)
なぜ、そう思ったのか?市井の人間にすぎぬ身でありながら、報道の内容を見聞きし、その上で国の将来を憂う心があるからだろうか?ヌードモデルを待望する人たちを何度か目の当たりにしたからか?それとも、内乱の継続は自身の生活も脅かすものであると察知したからか?大勢の殿方の前で裸を晒そうと覚悟する自己の内心が、このときわからなくなっていた。
(リリィさん……あなた、どう思うのかしら……?)
他国へと渡った栗色の髪の少女騎士様のことを閉じた目に浮かべた。突然の別れから数ヶ月、彼女からは一報すらない。無沙汰は無事の便り……そう思いたかった。これからの人生の中で二度と会うことはないのかもしれない。
“コンコン”
玄関を叩く音がした。噂をすれば影……などと、ちょっと期待もしたが、ノックの音が違う。ドアののぞき窓の向こうに立っていたのはサーシャだった。
「なにか心配ごとでもおありなのでしょうか?」
それは玄関で、挨拶に次ぐサーシャの問いかけだった。
「なぜ、ですの?」
わたしは訊いた。
「調子が、よろしくないように見受けられます」
「そう……不安にさせて、ごめんなさい……」
どうにも、わたしの姿はやつれて見えたようだ。実は昨夜から何も口にしていない。街で見た負傷兵や息子さんを失ったご婦人、ヌードモデル教の人たちのことを思うと、なにかをしようという気にもならなかった。皆がわたしに“裸を晒せ”と言っているのだ。
「ところで、今日は学校のはずですが?」
と、サーシャ。出かける気配のないわたしを見て、疑問に思ったようである。
「今日は、休もうかと思っているのです……」
とは、わたし。
「どうなさったのです?いつものマリア様らしくありません」
「“らしく”?わたし“らしい”って、どんな感じなのかしら?」
そのわたしの言葉に、サーシャは開きかけていた唇を閉じた。少し棘がある口調だった。
「ごめんなさい……お茶でも淹れます。おあがりになって……」
と言い、わたしはサーシャを家へとあげた。
「ああ、新聞を読まれたのですね」
居間のテーブルに広げっぱなしにしていた、さきほどの朝刊を見てサーシャは言った。わたしは答えず、紅茶を淹れる準備をした。
「大変ですのね……」
沸かした湯を入れたティーポットをテーブルの上に置いたあと、棚からカップを取り出しながら、わたしは言った。その朝刊の記事のことである。
「まぁ、戦争ですので……」
サーシャは頭をかきかき、笑いながらそう言った。彼女はいつも、こんな感じだが、軍人とは人の生き死にに鈍感なのではないかと、このときは疑いもした。
数分たち、カップに紅茶を注いだ。手がふるえているが、なんとかこぼさずにすんだ。サーシャに差し出し、砂糖をすすめた。
「あぁ、では、いただきます」
サーシャはスプーン一杯の砂糖を入れ、かき混ぜるとカップに口をつけた。紅茶の良い香りが漂うが、わたしはあまり飲む気にならず、ぼうっと目の前のひとを見つめていた。
「気に病むことはありません」
カップを置き、サーシャは言った。
「軍人にとって、戦死もまた名誉。将官がたは、国に殉じたのです」
「なぜ、わたしが気に病むのです?」
と、わたし。またも、棘のある口調……いつもは、こんな話し方はしない。この時期のわたしは、頭の中に浮かぶ様々な思慮に押しつぶされ、疲れていたのかもしれない。
「そうですね、すみません……」
サーシャは言って、ふたくち目を飲んだ。その後、しばしの沈黙。彼女には、わたしの心理がある程度、読めているのかもしれない。
「わたしが……“犠牲”にならなければならないのでしょうか……?」
かたっ苦しい静寂を破ったのは、わたしのそんな台詞だった。
「そんなことはありません。マリア様の人生は、マリア様自身が、お決めになることです」
と、サーシャ。“犠牲”とは?それはヌードモデルとして再び大勢の殿方の前で裸を晒すことだが、具体的ではないわたしの台詞に対し、彼女はそのように答えた。
「サーシャさんは、戦争が話し合いで解決することはないと、おっしゃっていましたわね」
「将来的にないとはいえませんが、それがすぐに実現することはないでしょう」
「内乱が長引けば長引くほど、犠牲者の数は増える……以前、そうともおっしゃっていましたわ」
「それは、まぁ……」
サーシャは少し間を置き、そして……
「ですが、国家のため民のために、いち個人が“犠牲”になる方途が正しいのかどうか。それは私には判断しかねます」
と、言った。
「前は、わたしの助力が必要だと、おっしゃっていたではありませんか?」
「マリア様……今度、戦争に関われば、軍と無関係の人生をおくることができなくなるかもしれません」
「今でも無関係ではありませんわ。現にこうやって、あなたがたの監視下に置かれているではありませんか」
というわたしの言葉は、武力を持たぬ女のささやかな抵抗だった。サーシャに対し悪い感情などないが、不満を言いたくはある。
「司書になりたいという夢は?」
と、サーシャ。
「捨てません……」
わたしは答えた。それも、ささやかな抵抗か?
「夢は叶えたいと思っています、ですが……」
このとき、声を絞り出すのにも苦労した。心の疲弊が肉体の疲労を生み出すものだとあらためて知った。
「わたしに戦場は見えません。ですが、いろいろなことを聞き、そして、いろいろなものを目にしました。ヌードモデル教の方々や、わたしを待っている人たち。傷を負って帰ってきた兵士の皆様……」
なぜ、“決意”したのか?自分がやらねば平和は来ないと判断したのか。それとも、ヌードモデルを待望する人たちの声が、わたしの心に響いたのか。いや、只々、目をそむけることに疲れたのかもしれない。
(わたしが騎士様たちの剣となればよいのだ。わたしが国を守る盾となればよいのだ。わたしが民を救う女神となればよいのだ。わたしが、わたしが……)
心が遥か遠い戦場を向いたとき、わたしの頬を涙がつたった。もう一度、裸を晒す。見ず知らずの誰かを救うため、傷つく人が、ひとりでもいなくなるため……
「マリア様?」
尋常じゃないであろう、わたしの様子を心配したのか、サーシャは立ち上がろうとした。だが、それより早く、こう言った。
「わたし、脱ぎます……」
〜第五章(10月17日より連載開始)へつづく〜
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