4 マリアの進路……


 世界共通歴1506年7月。梅雨があけたここサツマの国に本格的な夏が到来した。雨が降らなくなった代わりに、かんかん日照りで毎日が暑い。街ゆく人々は皆、恨めしそうな顔をして歩いている。これから当分は、太陽光に焼かれる灼熱の日々が続くのだ。


「マリアさん、そちらのお客様お願い」


「はい」


 と、わたしは接客中の室長に返事をし、お掃除の手を止めると、カウンターへと向かった。見ると、わりと背の高い老婦人が立っている。ショートの髪は白いが、夏用のカーディガンをはおった背筋はぴんと伸びており、杖もついていない。元気そうな人である。


「こんにちは」


 と、わたし。


「ああ、お忙しいとこ、すみませんねぇ、お嬢さん」


 とは、老婦人。懐から一枚の切り抜きを差し出して……


「この本を探してるのですが」


 と言った。


「はい、あちらのほうです」


 そう言って、わたしは建物のなかほどにある棚まで案内した。その棚の一番端っこに目的の本があった。わたしが生まれる前に刊行された傑作ミステリー小説である。


「ああ、これこれ。古い本なので本屋さんにはなくてねぇ、助かりました」


「わたしは読んだことがあります。評判どおりの面白さです」


「そうですか。親切にありがとう、お嬢さん」


 老婦人が丁寧に頭を下げたので、わたしも同様にした。“仕事”であっても感謝されるということは嬉しいものである。


 大学生になったわたしは、自宅から徒歩で二十分ほどの場所にある公民館でアルバイトを始めた。学校が終わってからの勤務で、週に二、三日ほど。月末から試験がはじまるため、その期間はお休みをいただくが、夏休みに入ると通常より多くシフトが組まれることになる。利用者が増える時期らしく、人手はあったほうがよいらしい。


 ちなみに、わたしは図書室に配属された。本好きのわたしにはよい環境である。掃除や雑用をこなしながら、“あら?この本、前に読んだことがあるわ!”と、懐かしい感慨にひたることもしばしばだ。











「マリアさんは、将来の進路をどうするのかね?」


 お目当ての小説の他に五冊借りて帰った老婦人を見送ったあと、室長に訊かれた。この人は役所を定年になった元公務員だそうで、現在は嘱託の身だと聞く。七三に分けたテカテカの髪と、でっぷりと太った丸いお腹が特徴だ。


「まだ、決めていないのです」


 と、わたし。エプロンの肩紐がよじれていないか指先で確認しながら言った。


「一年生だったかな?」


「はい」


「そりゃ、まだ決めてないのが普通かね」


「人それぞれだとは思いますが」


「卒業は出来そうかね?」


「よほどのことがない限りは……」


「司書になったらどうかね?」


「司書?」


 わたしは訊き返した。たしか、大学内で司書講習が行われている。


「君は本を探すのが早いね」


「わたしは子供の頃からここに通っていたので、どこにどんな本があるのか、ある程度記憶しているのです」


「それは頼もしい戦力だね。ここでの勤務経験は、司書資格取得には有利に働くよ」


 室長にそう言われ、わたしはまわりを見渡した。目に入るのは棚の前で本を選んでいる人、席に座り読書をする人、せっせと勉強をしている人たち。利用者の数は多く、また、目的も様々なものである。各種講座や講演会、運動ルームなど多目的に対応した大きな公民館の敷地内にあるこの図書室は面積が大変広く、蔵書の数は相当なものだ。しかも一階と二階に分かれており、両者は内外の階段で繋がれている。今、わたしがいるのは二階のほうだ。


(司書、か……)


 決めたわけではない。だが、卒業後の選択肢のひとつは出来たのだ……











「お疲れ様でした」


 と、職員やパートの方々に挨拶をして、勤務を終えたわたしは図書室を出た。時刻は七時すぎ。この公民館は夜の十時まで開いており、遅い時間帯まで利用者がいる。わたしは夕方のみの勤務なので、この時間であがりとなる。公民館の建物を出ると、昼よりは幾分ましな気温になっていた。それでも湿気まじりの風が吹いているのだが……


 季節が季節だけに、空はまだ明るい。家まで徒歩二十分。人通りがある道を帰るので、日暮れが早い季節になっても怖くはないだろう。このあたりは住宅が多く、帰宅途上の人たちと多くすれ違う。すでに明るく点いている街灯はガスを燃料としている。まばらに建っているお店は床屋、飲食店、印鑑屋などで、どこもまだ開いている。ここサツマの国は、わたしが生まれるずっと以前に革命が成し遂げられた。路上や川にゆき倒れた人たちが転がっていた昔と違い、治安は格段に良くなったという。その結果、女ひとりで出歩けるほどに安全な夜が訪れるようになり、空が暗くなっても、人々は休むことがなくなった。平和で豊かな国とは、遅くまで活動する人の姿をもって、その信証とし、月光に頼らぬ夜の明るさをもって、その佇まいとするものなのかもしれない。


(司書、か……)


 またもわたしは、さきほどの室長の言葉を思い出した。女に自由な職業選択が認められたこともまた、安定国の証なのだろう。本が好きなら、本に囲まれる仕事も悪くないかもしれないわ。卒業は、まだ先の話だが、視野に入れておいてもいいのだと思う。


 この時期のサツマの国は、夜になってもそれなりに暑い。歩くわたしの格好は袖をまくった青いブラウスに履きなれた白いスニーカー、ブラックジーンズとラフなものだが、それら着衣が吹いている微風を遮断しているように感じられる。中は薄いブルーのブラジャーだが、じんわりと汗で濡れ、わたしの大きな胸にはりついている。ヌードモデルたる豊満な魅惑の身体……殿方はこれを見ることで、大きな力を得ることができる。わたしの人生最大の秘密だ……











 本屋の前を通ると、ここもまだ営業していた。あまり大きな店ではないが、開けっぴろげられた入り口から覗くと客が二、三人ほどいる。わたしは立ち寄ることにした。


 公民館にある図書室のアルバイトの帰りに本屋に寄るというのも、なんだか変な話だが目的があった。司書資格を得るための参考書を、ちょっと読んでみようかしらと思ったのだ。中に入ると、棚と棚の感覚も通路も狭い。人とすれ違うのに苦労する店だ。


 カウンターに座っているおじさんは、入店したわたしを一瞥すると、すぐに手持ちの新聞に目を戻した。初めて訪れる店ではないので、愛想が悪いことは知っている。わたしは軽く頭を下げると、奥に入った。そのあたりが、参考書のコーナーだったと記憶している。


 だが、そこまで行く途中の棚……、ちょうどわたしの目の高さあたりに陳列してある週刊誌が目に入った。表紙のすみに書かれた見出しを見て、わたしは立ち止まってしまった。


『被害者たちの肉声から知れるヌードモデル教の真実!』


 と、あったからだ……

 

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