2 黒い下着のマリア


 大学生になり、服装も自由になったせいか、最近、下着も少々色っぽい物を身につけるようになった。生まれて初めて買った黒い下着……それに覆われたわたしの裸は随分と艶めかしく映る。こんなにいやらしい身体をしてたかしら?と、目の前の鏡像に問いかけたくなるほどに……


 白く大きく育った私の胸はGカップある。かわいいブラジャーを選ぶにも苦労するサイズで、結構、不便なものだ。かと言って、合わないブラジャーを着けていると、バストに良くないと聞く。形が崩れないよう垂れてこないよう気をつけなければならない。


 鏡に背を向けてみる。パンティも黒だが、収縮色に包まれているにもかかわらず、お尻も立派なものに見える。少し突き出してみると、本当にセクシーだ。自分で言うのも、おかしな話だが……


 昨年までと比べると、腰回りが幾分、ふくよかになってきたように思える。大学生になり、運動をする機会が減ったので太ったのかしら?それとも、子供から大人の肉体になっていくのかしら?そんな過程の中で、より肉感的になってゆく秘密の身体……この世が動乱するとき、天は女神を遣わす、という伝説。その美しい裸は戦士たちの肉体を鼓舞し、魔法使いたちの精神を高揚させ、僧侶たちの禁欲すら崩壊させるという。ヌードモデル……それが、わたしである。


(まだ、胸が大きくなったりするのかしら……?)


 わたしは考えた。学友たちから羨ましがられるほどに、たわわになった胸に手を当ててみた。黒いブラジャーの上からでも確認できるほどに柔らかくてハリがある。


(これ以上、お尻が大きくなったりするのかしら……?)


 今度は黒いパンティの上から自分のお尻に触れてみる。まだ若いので、どっしりと質量があっても垂れてはいない。


(ウエストも……)


 最後に、お腹のあたりに手を置いた。三年前、アリアケ攻防戦の折、ヌードモデルとして大勢の殿方の前で裸を晒した頃、わたしの身体は、まるで内側に甘い蜜を含んでいるかのような豊潤さを持っていた。とれたての果実のように瑞々しかった。だが、今は違う。全体的な肉づきが増したことで、成熟した色香を醸し出すようになっていた。若々しくきめが細かい肌のおかげで甘酸っぱい柑橘類のような爽やかさを肉体に残留させてはいるが、造形的には濃厚に完熟しはじめた。今のわたしの姿は、美術館に飾られている裸婦像に似ていた。もう、少女の身体ではない。


 こういった扇情的な成長……いや、“進化”とでも呼ぶべきか?これもヌードモデルの資質のひとつなのではないかと、わたしは考えていた。女性が細くなりたいと願う反面、殿方は痩せぎすより肉感的な人を好むともいう。自分の妻が痩せてがっかりした男性の話を聞いたとき、そういうものなのかしら?と思ったものだ。殿方を元気づけることがヌードモデルの使命なのだから、たわわになっていくことが適理たる道筋なのかもしれない。


 わたしは行儀悪く、黒い下着姿のままでベッドに寝転んだ。息もせず天井を見上げていると、しとしとと雨の音だけが聴こえてくる。


(リリィさん、元気かしら……?)


 他国へと渡った栗色の髪の少女騎士様のことを思った。あれから半年。直接渡せなかった白百合のブローチ、気に入ってくれたかしら?ご飯、ちゃんと食べてるのかしら?怪我とか病気してないかしら?彼女の近況をサーシャに訊ねても、“元気にしていらっしゃるようです”としか答えてくれない。リリィは諜報にかかわる身なので、わたしに詳細を明かすことなど出来ないのだろう。


 あれこれ考えていると、急に眠気が……。突然降臨する睡魔こそ、ヌードモデル以上に神秘の存在なのではないか?ちっとも眠くなかったのに、一体どこからやって来るのかしら?


(おやすみなさい、リリィさん……こんな格好で寝るわたしを、はしたない女だと思わないでくださいな……)


 ここにはいないリリィにひとことを投げかけ、黒いブラジャーとパンティだけの娼婦のような姿で、わたしは睡魔に屈服した。











 あれだけ降った雨は、眠っている間にやんだようである。わたしが目を覚ましたのは五時半。時期が時期だけに外はまだ明るいようだ。閉じたカーテンから光が差し込んでくる。


(お夕食の買い物に行かなくちゃ……)


 思い立ったわたしは、姿見の前に脱ぎ捨ててあった赤いポロシャツとブルージーンズを着て、かるく髪をブラシでとかすと、玄関へと向かった。


(あら……?涼しいわ)


 扉を開け外に出ると、思いのほか気温が低かった。空を見上げると、グレーの絨毯に似た厚い雲々が空の隙間を隠しながら早足で流れてゆく。“梅雨時のこの季節だけは天空の支配権を渡さぬぞ”と言わんばかりの勢いだ。


(また、降りだすかもしれないわ……)


 わたしは念のために傘を取り、鍵を閉めると、乾きつつある道を、つかつかと歩きはじめた。











 商店街は、なかなか賑やかだった。天気が安定しなくとも、人間、買い物はするようだ。皆が閉じた傘を片手に歩いている。


 どうせなら日用品も買っておこうかしらと思い、歩をすすめたわたしは、最も人の往来がある広い道にたどり着いた。当然、店の数も多い一角で、いつも活気づいている。が、普段とは違う熱気を帯びていた。大勢の人だかりが出来ている。


(なにかしら?)


 大道芸でもやっているのかと思ったが、どうやら違うようだ。司祭服を着た体格の良い男性が登壇しており、皆の前で、なにやら演説をしている。わたしは耳を傾けてみた。


『我が国が迎えている危難とは、すなわち我々国民の生命と財産を脅かす危難である!』


 両手を広げ、司祭は高らかに言った。その司祭が立っている壇の周りを数人の殿方たちが囲っている。彼らの格好は様々で、ラフな服装の者もいれば、背広姿の者もいる。一見、不思議な取り合わせだ。


『オースミ半島にて抵抗を続ける革命勢力を、国と軍部、騎士団は“反乱軍”、“暴虐の徒”などと嘲称し、対等の存在ではないと主張してきた。それは良いのである。武力による転覆を狙う非道の輩に国が譲歩する手などない。問題は対処法なのだ!』


 人々は、ただ固唾を飲んで、その演説に聞き入っている。誰も声をあげず、そして誰も立ち去ろうとしない。司祭の周囲にいる殿方たちは、いかめしい顔をしながら、直立不動の姿勢を崩さない。


『そもそも、相手は僅少な兵力のはずである。だが、我が国は、なぜこうも手を焼くのか?軍の上層部が利権と保身を優先した人事を実行した結果、適切な判断力に欠ける者が前線指揮をとっているからに他ならない!』


「そうだそうだ!」


「軍人が無能なのだ!」


「なぜ早期解決を果たせないのか!」


 司祭の演説に、それまで黙って聞いていた者たちが大声で同調しはじめた。その熱気が吸引力と化したのか、人だかりは増え続けていく。わたしは、そこに混じる気にはならず、少し離れた場所で聞いていた。


『だが、苦戦する軍に対し、我ら国民の声など届きようもない。いや、たとえ届いたとしても、承引を得ることは叶わぬであろう。反乱軍とは所詮、非道の勢力であり、国はそれらを斃すため、そして権力の正統性と正当性を主張するため、軍略ではなく正攻法をもってのみ対処することとなろう!』


「そんなことで敵が討てるか!」


「戦争を終わらせる気はないのか!」


「指揮官を更迭しろ!」


『いまや国民に残された道は、ひとつしかない。さあ、皆の者……“ヌードモデル様”を待望するのだ!』


 司祭が高らかに唱えた。それを聞き、わたしの背筋は凍った。ヌードモデル……つまり、わたしのことを言っているではないか……!


「あら、マリアちゃん」


 こんなときに声をかけられたので、一瞬、びくっとしてしまった。振り返ると、見知った人だった。


「お買い物?」


 と訊いてきた彼女。名前は、スージーという。子供の頃から近所に住んでいるわたしの顔馴染みであり、二歳年上だ。家業のパン屋を手伝っているが、花嫁修業の真っ最中でもある。来年、結婚を控えている。


「しかし、凄い人だかりねぇ……」


 と、スージー。演説を聞いている人たちを見て、言った。背丈はわたしと同じくらいだが、彼女は、ジョガーパンツの下に高いピンヒールのサンダルを履いているため、今日は、こちらが見上げる格好となった。


「なんですの、あれ……?」


 わたしは訊いてみた。すると、スージーは、このように答えた。


「あら、知らないの?あれは、“ヌードモデル教”の人たちよ」

 

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