第四章 逡巡のヌードモデル! 新興宗教の謎
1 マリアとサーシャ
ここ、南国サツマの国は梅雨に入った。毎日のように続く雨は、日によっては涼しさを、また、別の日には蒸し暑さを運んでくるものだが、どちらにしても快適さをもたらさないことに変わりはない。部屋干ししている洗濯物はなかなか乾かず、そのせいか家の中までが、じめじめと湿っぽい。かと言って、窓の外に見える大量の水たまりと、それをぶつぶつと波紋させる横なぐりの大雨を見ると、外出する気すらしなくなる。
世界共通歴1506年6月。わたしことマリアの前からリリィがいなくなって半年ほどがたっていた。心のどこかにあいた空洞は、忙しく学校に通っていれば、ある程度は埋まるのだが、今日のような休日だと、結構重くのしかかる。何もすることがない退屈と虚無は、やけに時間を長く感じさせるからだ。しかも、このような天気だと、外に出かけて気晴らししようなどという気にもならなくなる。ぼんやりとしていると、どうしてもリリィのことを考えてしまいがちだ。今頃、どうしているのかしら?元気なのかしら?などと……
だが、この日は違った。家に来客があったからだ。
「お断りします……」
と、わたし。激しい物言いではなかったが、このときは、きっぱりと断った。
「そこを、なんとかお願い出来ませんか?ヌードモデル様……」
そう言うのはサーシャだ。“仕事”で他国へと渡ったリリィに代わり、ときたまここに来訪する彼女。あの栗色の髪の少女騎士様とは違い、いつもにこやかな人である。かたくななわたしに対し、今も柔らかな表情だ。決して悪い人ではない。が、わたしの意志は、がっちりと固かった。
「あんな恥ずかしい思いは二度としたくないのです。大勢の殿方の前で裸を晒すのですよ?」
「それはわかります。ですが、ヌードモデル様のお力が必要なのです」
「その呼びかたはやめてください。わたしにはマリアという名前があるのです」
「申し訳ありません、マリア様」
「サーシャさんも女性ならばおわかりでしょう?見知らぬ殿方たちに、なにも着けていない身体を見られるのです。生まれたままの姿を見られるのです。素肌を晒すのですよ。それが、どれだけ恥ずかしいか……」
「はい」
「上も下も、すべて見られるのですよ?」
「はい」
「それだけですか?晒すのですよ?胸も、そして……下のほうも……」
「はい」
困った、という風のサーシャ。小柄だったリリィと違い、この人はすらりと背が高い。ロングの髪を後ろで束ねており、黒縁眼鏡をかけた顔は、いつも愛想良さそうにしている。話しが上手であり、そこもリリィと異なる点だ。
「ですが、今また、マリア様の御助力が必要なのです」
サーシャは言った。
わたしが“ヌードモデル”として裸を晒した“アリアケ攻防戦”から三年近くがたっていた。あのとき歴史的な大敗を喫した反乱軍が勢力を盛り返し、またも内乱が起きているのだ。現状、オースミ半島の一部を失陥した軍部は、わたしに対し“再登板”を依頼している、というわけである。
「内乱が長引けば、それだけ大勢の兵たちが命を失います。そうなる前に、マリア様のお力をお借りしたいのです。これは国民の待望でもあります」
急に真面目な顔になり、サーシャが言った。現在、わたしの“護衛役”は参謀本部が務めている。今も陰ながら家のまわりのどこかに張り込んでいるに違いない。ちなみに広報に所属しているサーシャは、わたしと軍部の仲介役のような立ち位置なのだろう。“国民に対し開かれた明るい軍”と標榜しているため、広報の仕事とは多岐にわたるらしい。
「お邪魔しました」
玄関でパンプスを履いたサーシャが頭を下げた。長身でスタイルが良いため、制服姿が様になっている。
「すみません……」
わたしは言った。なぜ謝るのか?自分でもわからなかった。
「いえ、こちらこそ。マリア様のお気持ちもわかるのです。おなじ女ですから」
と言うサーシャは、リリィと違い武器を持っていない。あまり武術が得意ではないそうで、“私が剣など持っていても賊を斬れないので意味がありません……”と笑っていた。
決して悪い人ではない。むしろ気遣いができる感じの良い女性だ。“後任”であり、にこやかに接してくれる彼女を、いちいちリリィと比べてしまうわたしは申し訳ないと思うべきなのかもしれない。
「私もマリア様の御側にて従う身。たまの訪問はお許しください」
笑顔でサーシャは、そう言った。対するわたしは何も答えず。その後、傘をさし、外まで彼女を見送った。雨の中、やはり傘をさして歩く細長い後ろ姿を見て、またもリリィとは違うものだ、と思ってしまった。
実はわたしを悩ませていることがもうひとつあった。内乱が長引くにつれて、世間に“ヌードモデル待望論”が巻きおこっているのである。
アリアケ攻防戦の後、巷を騒がせた“ヌードモデルブーム”。勝利の女神とたたえられ、一時期、新聞や雑誌が散々にとりあげた。あくまで一過性のものであり、最近まで収束していたのだが、反乱軍の再蜂起をうけ、国民は久々にヌードモデルのことを思い出したようである。
“危急の今こそ、伝説の女神様の再降臨に期待する!”
“革命などとうそぶく叛徒どもに、ヌードモデル様の鉄槌を!”
“嗚呼、ヌードモデル様……サツマの勇士たちを、その美しい裸身で元気づけてくださいませ……”
こういった国民の声は次第に膨張し、いまや国も無視できない状況になってきたらしい。もちろん、軍部はいずれ、わたしを再度、表舞台に立たせるため、今日まで監視を続けてきたのだろう。戦争に利用するためである。
だが、わたしは承諾しなかった。サーシャに言ったとおり、あんな恥ずかしい目に遭うのは、もう懲り懲りである。大勢の殿方たちの前で裸を晒すなど……
サーシャが帰ったあと、自室へと戻り、時計を確認した。時刻は午後三時半。降りしきる雨を映す窓をカーテンで隠すと、姿見の前に立った。鏡の中にいる女もまた、わたし……今日は赤のポロシャツにブルージーンズと、ラフな格好である。
そんなわたしは、今年から王立女子学校の高等部に進学した。世間では大学と呼ばれる存在であるが、王立の学校では旧的な制度名を用いている。ここサツマの国は平等に学問を受けることを推奨しているため、進学する女性は少なくない。三月まで通っていた女子中等部と近接しているので、スクール馬車に揺られて通学する日々は続いていた。
大学生になったからといって、鏡に映るわたしの顔は、昨年までとあまり変わらない。癖の強い金髪は肩のあたりまで、瞳の色は海の色に似て青く、肌は血が通っていないのではないかと疑うほどに白い。タンスの奥にしまってある中等部の制服を着ても違和感はないだろう。まだ、少女の印象が強い。
変わったのは身体つきのほうである。毎年のように変貌してゆくわたしの裸は、ヌードモデルとして大勢の殿方の前で裸を晒した三年前とは見違えるほどになっていた。こちらはもう、少女のものではない。
わたしは姿見の鏡の前で赤いポロシャツのボタンをはずしはじめた。一番下まではずし、大胆にも胸元を開けるのが今時の開放的な女性の間で流行らしいが、胸の大きなわたしがそんなことをすると、いやらしくてしょうがない。鏡に向かって試しにちらっと鎖骨を見せてみると、たまにはこういう格好で外を出歩くのもいいかなとは思ってしまうのだが……
次に、ブルーのジーンズを脱いでみた。赤いポロシャツの裾から覗く白い太股は、細すぎず程よい肉付きとなり、こちらも随分といやらしい。こんなに太かったかしら?などと思った一時期があったが、見慣れると健康的で肉体の美観を損なうことはないと気づいたものである。
そして最後に赤いポロシャツを脱いだ。すると鏡に映るのは黒いブラジャーとパンティだけを身につけた白くて豊満な裸身……これこそ、人々が女神と呼ぶ伝説のヌードモデルたるわたしの裸である。
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