6 リリィからの手紙


 てっきり、リリィだと思ったわたしだが、肩すかしを食らってしまった。目の前の“お客様”に対して失礼かしら……?


「どちらさまでしょうか?」


 訊いてみた。見ると、軍の制服を着ている。ヌードモデルとしてのわたしを訪ねて来たに違いない。


「あー、いや実はですねェ、軍から参りました」


 身分を証明する手帳を見せながら、その女性は、やけに低姿勢に言った。名前はサーシャというらしい。階級は大尉とある。


「なんの、御用ですか?」


 と、わたし。昨日の件かしら?


「本日より、参謀本部が護衛を担当させていただくことになりまして……」


 とは、サーシャ。リリィは無表情で事務的な口調なのだが、こちらの女性は結構明るい。眼鏡の奥の目も穏やかで、とても軍人には見えない。


「どういうことですの?」


「ええ……こんなところで人に聞かれると何かと事なので、もし良かったらですねぇ……」


 サーシャは、ちらりと家の中を見て、わたしに言った。











 どうにも、わたしは断るのが下手なタイプらしく……また、国家の騎士様ということで安心とも思い、サーシャを居間にあげた。


「これはこれは、お構いなく」


 ホットコーヒーを差し出すと、テーブルに座っているサーシャは遠慮しいしい、頭を下げて言った。わたしは着席し、砂糖とミルクをすすめた。


「あー、ではいただきます」


 と言い、砂糖をスプーン一杯、ミルクを適量たらしたサーシャ。カップにひとくちつけると、彼女の黒縁眼鏡がくもった。腰が低く、悪い人ではなさそうだ。


「突然、伺いまして、申し訳ありません」


 眼鏡のくもりがおさまると、サーシャはまた、頭を下げた。ここまで低姿勢だと、逆にこちらが恐縮する。


「さきほども申しましたとおり、ヌードモデル様の護衛は、本日より参謀本部が担当することとなりまして、そのご報告に伺った次第なのです」


 と、サーシャ。


「あの……護衛とは、今までリリィさんがしてきたこと、でしょうか?」


 とは、わたし。


「はい。昨日までは第16小隊が陰ながら、その任についていたわけですが、今日から参謀本部がヌードモデル様の平穏をお約束いたします。ご安心ください」


 つとめて明るくサーシャは言った。


「まぁ、もっとも、私自身は“広報”の者でして。ヌードモデル様の身辺警護なども参謀本部所属の屈強な騎士たちが行いますのでご安心ください」


「リリィさんは……?」


 わたしは訊いてみた。


「“中尉”は27日付けで“異動”となります」


 サーシャは答えた。中尉? リリィは少尉ではなかったか。


「異動……?」


「はい。まぁ、詳しくは言えないのですが、昇格し、とある任務で他国へ渡ることとなります。数年は帰って来れないかと……」


 その言葉を聞き、わたしは青ざめるのを感じた。


「いつ……いつ決まったことなのですか?」


「ひと月ほど前と、聞いております」


「彼女は何も……何も言っていませんでしたわ!」


 思わず声が尖った。


「リリィさんに、リリィさんに会わせてください!」


「それが、出来ないのです……」


「なぜ? なぜですの?」


「軍や騎士団というものは、なんとも融通のきかないところがありまして……」


 サーシャは只々、申し訳なさそうに言った。27日付けということは明後日である。もう時間がない。今頃、リリィは準備に追われ、忙しいかもしれない。どうしようもないことである。


「ひとつ、ひとつだけ、お願いがあるのです!」


 わたしは思い出して席を立ち、棚を開けると、包装された箱を取り出した。リリィに渡すはずだったクリスマスプレゼント……中身は白百合のブローチだ。


「これを……これをリリィさんに渡してほしいのです! わたしから彼女へのクリスマスプレゼントなのです!」


 サーシャはそれを見て一瞬、困ったという顔をした。だが……


「承知致しました。ただし、このことは御内密ということに……」


 と、言ってくれた。わたしはサーシャに深々と頭を下げた。


「それと、もうひとつ、告げなければならないことがありまして………」


 と、サーシャ。


「昨日、ヌードモデル様の前に現れた記者なのですが……」


「はい……」


 わたしは緊張した。リリィが手にかけた、あの記者のことである。


「現在、王立の病院に入院中です。まぁ、入院といえば聞こえが良いのですが、治療を兼ねた“監禁”みたいなものです。おっと、口がすべりました」


 それを聞き、わたしは目をまん丸くした。


「で、ですが、あの方は、こと切れていたように……?」


 わたしの言葉に、今度はサーシャが首を傾げた。


「いいえ、そのようなことは」


「ですが、たしかに……」


「中尉は騎士。国民の皆様に奉仕する立場である以上、無闇に殺人などは犯しません。剣術のほか拳法や柔術等、徒手空拳の心得もおありで、自分の身が歩く凶器であるという自覚はお持ちのはず。“気絶”させることが最良の手と判断されたのでしょう」


 と、サーシャ。ああ、なんてことだろう……リリィが記者を殺したと、わたしは早合点したのだ。そそっかしい自分が嫌になった。リリィを責めたわたしが愚かだったのだ。


「あの『サツマ・WEEK』誌は取材のやり方が大変に強引で、場合によっては、金銭や女性関係などをネタとしたゆすりたかりなども厭わないため、被害者が続出しているのです。まぁ勿論、そういった手段で書かれた記事は面白いのも事実ですが……あぁ、私がこんなことを言ったということは御内密に」


 サーシャは頭をかきかき、続けた。


「かと言って、我々の立場では介入することが難しいのです。御存知のとおり我が国は、国王陛下の御親政のもと、当然の権利である表現の自由を認めています。出版関係に立ち入ると、“国家の検閲”などと非難されることも考えられ、国民の皆様の不安を煽ることともなります。ですが、まぁ今回の件で、少しは国の指導が入ることになるでしょう。軍部の何者かが情報を漏らしていたなどという事実、あの記者から聞き出さねばなりませんので……」











 サーシャが帰ったあと、わたしは昨日と同様に自室のベッドに飛び込み、突っ伏してしまった。立っているのも不可能なくらい、全身に力が入らない。


(ああ……リリィさん、なんで、なんで話してくれなかったの……?)


 枕に顔をうずめ、思った。一ヶ月も前に決まっていたというのなら、なぜ教えてくれなかったのか?


 だが、心当たりはある。いっしょに買い物に行った日の別れ際、何か言いたそうにしていなかったか? ひょっとしたら、そのことだったのかもしれない。言い出せなかったのだとしたら、彼女の気持ちも、わからないでもない。


 いや、本当は昨日のクリスマスイヴの晩、そのことを話すつもりだったのかもしれない。だが、あの記者の件があり、ともに過ごすことが出来なかった。喧嘩わかれのような形になってしまったからだ。


(もう、リリィさんには会えないのかもしれない……)


 そう思っても、なぜか涙が出てこない。ゆうべ、散々に泣きはらしたせいで、涙腺が枯れてしまったのか? もしくは、わたしの中で、悲しさよりも後悔の念のほうが強いのか? リリィを疑ってしまったのだ。彼女が、あの記者を手にかけたと……


(どうして、言ってくれなかったの……?)


 そう。殺していないと弁解してくれれば、誤解など生まれなかったのだ。なぜ、彼女はそうしなかったのか。言ってくれればよかったのに……


(いや、わたしのせいだわ。わたしが、頭ごなしに疑ったから……)


 思えば、弁解などする少女ではない。もしかしたら、殺したと決めつけたわたしの態度に腹をたてたのかもしれない。リリィは強硬な手段に出た言い訳をしなかったのだ。


 唐突に訪れた栗色の髪の少女騎士様との別れ……二年ほどのつきあいだったが、祖父を亡くし、ひとりで暮らしている中、たしかに、わたしは彼女に会えることを楽しみに生きてきたのだ。口数少ないが聞き上手だったリリィ。今は、新天地での彼女の無事を祈るほかなかった……











 二日後……郵便が届いた。今日、異動になるはずのリリィからの手紙だった。わたしは大急ぎで、封をあけた。






 “マリア様。


 この度は素敵な贈り物をいただき、ありがとうございました。無粋な騎士である私は、身なりを振り返る機会に乏しく。また、私自身、流行に疎いため、マリア様の御配慮を大変嬉しく思っております。


 異動につき、突然立ち去る御無礼、平に御容赦くださいませ。ここしばらくは平穏が続いておりますが、国家の人事とは常に国民の皆様の安全に直結する天下の大事であり、それに附随することこそが騎士の務めであると通解しております故、今回の任にあたることが、マリア様への忠責にも繋がると判断し、了承致しました。


 マリア様の護衛役を担って二年あまり。初めの頃は、あくまで仕事、あくまで義務との思いをもって接するつもりでした。ですが、マリア様と触れ合ううちに、それとは違う別の感情が芽生えたことも事実。人づきあいが得意ではない私は、それに戸惑うこともありました。仕事を忘れ、義務を忘れ、遅くまで語り明かした日々が、私の人生の中で最も楽しい時間だったと気づき、幸福とはこういうものであると理解致しました。


 あの記者が言っていたことは事実無根です。両親の顔を知らない私は、たしかに幼少の頃を貧民街で過ごしましたが、例え出自が卑しくとも、いずれ子を孕み、母となる可能性を持つ女性としての矜持を自傷したことはなく。また、国家の防壁、国民の守護者たる軍部に、あの記者が言ったような反倫理的指導法もないこと、釈明させていただきます。騎士団と私個人の名誉を確信していただくため稚筆をそえたこと及び、このことを言葉で伝えられない自分の未熟さをお許しください。


 高貴な女神の化身であらせられるマリア様から受けた御厚情、一騎士に過ぎぬ私にとって余りある幸福と感取し、生涯忘れることはないと誓約致します。誠に恐れ多いことながら、肉親の情を知らず、家族愛に触れたこともない身としては、優しい姉にも似た親しい友人が出来たようなものだとマリア様を思慕し、今日まで生きてまいりました。出来れば、もう一度だけでもお会いしたかったのですが、マリア様をお守りする役目が参謀本部へと移行した以上、先方への失礼に当たるため、自重せねばならぬ立場。重ね重ね、お許しください。


 今回、国家の重責を拝命し、他国へと渡る儀、騎士としての名誉を存分に刺激され、期待と希望に胸を膨らませている次第……のはずなのですが、マリア様にお会いすることが出来なくなり、寂寥の思いが日に日に強くなってゆくのを感じます。いつか人間に生まれたことを後悔する日が来るのでしょうか?国境を自由に往き来できる翼を持つ鳥でなかったことを悔やむ日が来るのでしょうか?”






 読み続けていくうち、枯れていたはずの涙腺が、まるで水源を得た滝の如く大粒の涙を流しはじめ、目が熱くなるのを感じた。嗚呼……リリィはわたしのことをお友達と、姉と呼んでくれたのだ。わたしの想いは、決して一方的なものではなかったのだ。


 そして、最後の一節に、彼女のすべてが込められていた。わたしには、そう思えた……






 “マリア様との日々を胸に秘め、楽しかった想い出を心の糧として生きてゆこうと思います。どうか、ご自愛くださいませ。また、いつか逢える日を楽しみにしております。


 親愛なるお姉様へ”






「ああっ……」


 わたしは泣いた。そして、栗色の髪の少女騎士様の顔を思った。大切なお友達のリリィ……わたしを姉と慕ってくれた妹のようなリリィ……わたしの、わたしの……











 突然の別れ。そして近々、ヌードモデルとしてのわたしは、再び表舞台に立つこととなるのだが、それが意外な経緯をたどることを、このときはまだ知る由もなかった……





 〜第四章へつづく〜




 

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