4 知られた正体


「お嬢さん。あんた、あのヌードモデル様なんだろ?」


 男の言葉を聞き、わたしは目の前が真っ暗になるような気がした。足の力が抜け、思わず、ふらつきそうになった。


 “なんのことでしょう?”


 とでも言えばよかったのだろうが、わたしは嘘をつくのが苦手である。もっとも、このとき、そんな機転もきかなかった。ただ、自身が青ざめた表情をしていることだけはわかった。


「二年前の“アリアケ攻防戦”で、突如あらわれた伝説の女神。我が国の軍を勝たせたのが、あんたなんだろ?」


 男は、そう続けた。


「どちら様、ですの……?」


 と、わたし。その台詞をふり絞るのに数十秒を要した。


「俺は、こういう者さ」


 と言って男は名刺を差し出した。受け取り見ると、なんと『サツマ・WEEK』の記者ではないか。


『サツマ・WEEK』とは週刊誌である。写真を掲載し、有名人のゴシップ記事を多く伝える誌風で人気だが、政治批判などを厭わない硬派な一面もあわせ持つ。ここサツマの国は言論の自由が認められているため、このような雑誌が出回るのだが、『サツマ・WEEK』は取材法が若干、強引であるとの批判も受けているようである。


「ちょいと付き合ってもらえますかね?お嬢さん」


 そう言って記者は、親指で右手のほうをさした。











 ヌードモデルとして、正体が知られることを心のどこかで怖れてはいたのだ。祖父が作った借金を帳消しにするため、大勢の殿方の前で裸を晒したという事実が広がれば、わたしはどのような目で見られるのだろう? 学友や近所の人たちからどのように思われるのだろう? 救国の女神と称されるのか。それとも、はしたない女と蔑まれるのか。それを考えると不安になることもあった。


 一方で軍部が、その件を隠し通していることはリリィから聞かされていた。そういう意味では安心していたのだが、まさか、このような形で現実と向き合うことになろうとは思ってもいなかった。一生、知られることはないだろうと、たかをくくっていたわたしが楽天的すぎたのか? それとも、天がさだめた運命に抗うことなどできないということなのか? 世間を騒がせたヌードモデルブームなど二年も前のことだが、むし返されるとしたら、その存在は、またも表舞台に呼び戻されるのか……











 二本ほど裏手に入ると小さな公園がある。このあたりは閑静な土地で、クリスマスで賑わう商店街の喧騒なども聞こえてこない。なぜか、こんな日に限って、遊ぶ子供たちの姿すら見当たらない。


「かけなよ、お嬢さん」


 公園の端に五十センチほどの高さの木の茂みがある。その、すぐ前にあるベンチに座った記者は、自分の隣をぽんぽんと叩いた。だが、わたしは従わず、彼の前に突っ立ったままだった。


「まぁ、別に構わんがね」


 記者はそう言い、わたしのほうを見上げた。


「なぜ、バレたのか知りたいかね?」


 その質問に答えることもなく、わたしは、まるで出来の悪い彫刻のように固まっていた。


「まァ、詳しいことは俺の口からも言えんのだが、“おしゃべりなヤツ”ってのは、どこにでもいるんだよ。この情報は、とある筋からのリークなのさ」


 “とある筋”とは軍関係者だろうか? お金にでも釣られたのか。それとも、この記者に弱みを握られてでもいるのだろうか。


「あんたがヌードモデル様になったとき、随分と濃い化粧をされたのだろう? なぜだかわかるかね?」


 そう訊かれ、わたしは思い出した。殿方は、ああいう色っぽい女を好むため、別人のような顔に粧飾されたと聞かされていた。違うのか?


「正体を隠すためさ。あんたにどの程度の自覚があるのかは知らないが、軍にとっちゃ、あんたの存在はいまだに“切り札”なんだよ。なにせ、戦局を変えるほどの力を持つんだからな」


 記者が教えてくれた。確かに、あのときのわたしの顔は見違えるほどに作り変えられていた。兵士様たちから距離もあり、素の顔はわからなかっただろう。そして、わたしの裸には“力”がある。男性兵士様たちの戦闘能力を向上させることができる力……以前、隣町で乱暴されそうになったとき、それを目の当たりにした。ヌードモデルたるわたしの裸を見た殿方は皆、ああなるのだ。


「軍の本音としては、あんたをかこっておきたいのさ。そのためにも、正体がバレるのは厄介なんだよ。あんた、“城下に住まないか”と誘われたことはないかね?」


 それは覚えがある。リリィから二、三度、シロヤマにある国有の屋敷を紹介されたことがあった。わたしの家よりもずっと立派で、大勢の侍女がつくという何不自由ない生活を約束されたが断った。リリィも無理強いはしなかった。


「軍にとっちゃ、あんたを強制的に連れて行くことなんて簡単なのさ。だが、軍の中にも常識人っていうのがいてね。“人道や倫理に反する”という意見が相次いだのさ。だから、あんたは“監視”されることになったってわけだ。そこで、本題なんだがね……」


 記者が切り出そうとした瞬間、突風が吹き、言葉を遮った。天がわたしの味方をしてくれたのならばありがたいが、巻き上がった公園内の埃に目を細めただけで、記者はびくともしない。いっそ、この男を空の彼方へと吹き飛ばしてくれたらいいのに……などと本気で思ってしまった。


「俺の“取材”を受けないか?」


「取材……?」


 わたしは公園に来て、はじめて口を開いた。


「そう、取材だ。あんた、借金を理由に強要されたんだろ? あんたと軍の取り引きの内容によっちゃあ、大スクープになる。なにせ軍部が戦争に勝つために、ひとりのいたいけな少女を裸にさせたんだからな」


 記者はコートの内ポケットから何かを取り出そうとした。


「おっと失礼……」


 その拍子に、一枚の写真が落ちた。赤ちゃんを抱いたご婦人が写っている。


「家族の写真さ……年食ってから出来た子なんで可愛くてね。いつも持ち歩いてるんだよ」


 と、記者。他者の秘密をあばくような仕事をしていても、人並みの家族愛というものはあるのだろう。そういう意味では、わたしたちと変わらぬ人種なのだ。そして彼は、改めてポケットの中から分厚いお札の束を取り出した。


「こいつは“手付け金”だ。取材を受けてくれれば、もっとはずむよ。一時期、あんだけのブームになったヌードモデル様の暴露話ならば、それだけの価値がある。どうだい?」


 そのように言われた。だが、わたしは首を横に振った。


「なぜかね?」


「お、お金なんて、いりません……わたしは、今のままがよいのです……」


 わたしは、なんとかそこまでは言えた。“今のまま”とは、平凡で平穏な生活のことである。だが……


「気取ってんじゃねぇぞ、小娘ッ!」


 豹変した記者は立ち上がると、わたしの胸ぐらをつかんだ。


「金のために、男の前で脱いだ女が偉そうなことを言うな! てめぇなんざ、簡単に股を開く売女と変わりゃしねぇんだよ!」


 その恫喝を聞いても、反論する術はない。これが、この男流の取材法なのだろう。


「ち、違います……わたしは、そんな……」


 後悔よりも恐怖が先に立ち、わたしは震えながら答えた。


「結局、軍から見れば、あんたは先々の戦争における利用価値があるってことで監視されてんのさ。腹がたたないかね?」


 わたしの胸ぐらから手を離し、記者は言った。


「それは、わかっています。だから、リリィさんは家に来るのだということも……」


 栗色の髪の少女騎士様のことを、わたしは語った。たが、たとえ監視役であっても彼女は、わたしの味方のはずだ。


「あんたのところに出入りしている仲良しの諜報部の少女か? じゃあ、いいことを教えてやるよ。この話は別の、“とある筋”から聞きつけたのさ。この話を聞けば、軍に対する怒りがわくぜ」


 笑いながら記者は、こう言った。


「あの娘が所属している第16小隊とは、諜報、隠密が主要な仕事なんだが、隊員は子供の頃から、それに適した“教育”と“訓練”を受けさせられるのさ。その内容を知ってるかい?」


 わたしは首を横に振った。


「拷問に耐えられる訓練さ。そして、男も女も強姦に対する“耐性”を植えつけられる。どんな訓練なのか聞いてはいるが、あんたみたいな年頃のお嬢さんには、ちょっと刺激が強すぎるかもな」


 それが、どんなに過酷なことなのか? リリィは、わたしなどには想像もつかないほどの辛い経験をしてきたのだ。


「こいつは世間に対しクリーンを謳う軍部が抱える闇なのさ。優秀なスパイになるため、そういう非道な訓練を経た結果、あの少女のような無表情の“人形”ができあがる。ちなみに彼女は貧民街の出身らしく、子供の頃から身体を売……」


 記者の言葉はそこまでだった。突如、背後の茂みからあらわれた緑色の小柄な影が、記者の背中に飛び乗ったのだ。あっという間の出来事だった……

 

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