3 白百合のブローチ


 

 この世界に広がる様々な概念は、大昔に、こことは異なる別の世界からやってきた人たちによりもたらされた、という言い伝えがある。例えば一時間を六十分としたり、一年を十二か月、365日とするなどの時間、暦。一日三食をとる生活習慣。日常、使われる言語や、音楽、絵画などの文化といったものまで。


 “クリスマス”というイベントも、そのひとつだ。ある高貴な方が生まれた日とも、恋人同士が愛を誓いあう日ともいわれるが、プレゼントを贈るという風習が一般化している。祖父も生前、子供だったわたしの枕元に、こっそりプレゼントを置いていてくれたものである。それに気づいてはいたが、寝たふりをしていたことが懐かしい。











 リンダが教えてくれたアクセサリーショップは、すぐに見つかった。彼女が言ったとおり、赤々と目立つ看板を掲げていたからだ。中に入ると、狭い店内に先客がいた。年ごろの若い女性がふたりとカップルの三組だ。家から、さほど遠くない所に、このような店があることは知らなかった。わたしは、どうにも情報に疎いようである。


 店内を横に仕切る棚と棚のスペースは狭く、他の客とすれ違うときは気を使う。わたしは物色中のカップルの脇を抜けて、奥の方へと向かった。


 商品のアクセサリー類は、色とりどりで数多く、目うつりがする。棚に陳列されている物もあれば、壁にかけられている物も、展示用に特設された平台の上に置かれている物もある。そのどれもが美しく、きらびやかだが、選ぶとなると、ひと苦労である。リリィの好みなどわからないので正直、数分間、途方にくれていた。


「なにか、お探しですか?」


 立ち止まっていると、エプロン姿の若い女性店員に声をかけられた。まだ、買うと決めていないので戸惑ったが、とりあえず訊いてみた。


「“お友達”へのプレゼントを探しているのです」


「ご来店、ありがとうございます。おいくつくらいの方ですか?」


「わたしより、ひとつ下なので、今、十七歳かしら」


「学生さんですか?」


「いいえ、“社会人”ですわ」


「最近、お仕事をされている若い方の間では、ブローチが流行っておりまして」


「ブローチ?」


「はい。洋服につける、おしゃれな物が。職場では決まった格好などもおありでしょうから、それに付けられるような」


 そう店員に言われ、わたしはふと、考えた。リリィは、あまり私服を着る機会がないと言っていた。夏の木の葉に似た色をした緑の襟付きシャツが、いつもの格好だ。


 “緑が好きなのです……”


 “職場では、派手な格好でなければよし、とされています”


 リリィは、そのように言っていた。彼女なりの、おしゃれなのかもしれない。そこは尊重すべき点である。わたしは店員に、こう訊ねた。


「緑の服に似合う物がありますか? 仕事中も付けられるような、あまり派手ではなく、でも、かわいいものが……」


 すると店員にすすめられたのは、棚に置かれた白百合をモチーフにしたブローチだった。花びらにあたる部分は白く、そして、めしべは黄色い。なんとも清楚な物だが、自己主張もそれなりにある。


(これなら、緑の服に映えるかしら……?)


 そう思い、次にわたしは、付けられた値札を指でつまんで確認してみた。相場はわからないが、買えない額ではない。


「これならば、仕事中でも大丈夫です」


 店員は笑顔で、そう言った。











 結局、わたしは、その白百合のブローチを購入した。帰宅後、プレゼント用に包装してもらった箱を机に置き、それを眺めながら、ついつい、にやにやとしてしまった。


(リリィさん、気に入ってくれるかしら……?)


 そう思った。このあとに始まる悲劇など、知る由もなかった……











 世界共通歴1505年12月24日。明日までをクリスマスというが、特に今日のことはクリスマスイヴなどと呼ばれる。家族や恋人同士で祝う人が多いが、祖父が亡くなってなって以降、わたしは毎年、ひとりで過ごしてきた。それを寂しいとは思っていなかったつもりだが、今年はリリィを呼んだ。彼女が来てくれる……そう思うと、心がはずんだ。なぜなのか、と疑問に思うことはない。“お友達”と祝うクリスマスも楽しいではないか。


 学校は今日が終業式で授業がなかった。明日から冬休み。わたしは学友たちに、しばしの別れを告げると、スクール馬車を降り、いつもより早い時間の帰路についた。


 商店街の雰囲気もクリスマス一色となっていた。店々には飾りつけがされ、ツリーがあちらこちらに出ている。普段より華やかな道を行くわたしは、途中でいつものお菓子屋さんに寄り、予約していたクリスマスケーキを受け取った。それをぶら下げ、家に帰った。


 飾りつけは昨日までにすませてあった。と言っても、そこまで大層なものではないが……居間に小さなツリーを置き、玄関にリースをかけただけであるが、それでもクリスマスの雰囲気を出すことは出来た。リリィは、どんな感想を述べてくれるかしら? あの娘のことだから“素敵です……”のひとことくらいかしら? そんな短い言葉が聞きたくて飾りつけをしたのかもしれない。


「こんな感じかしら……?」


 雪に見立てるため、ちぎった綿をツリーのあちこちに付けながら、わたしはつぶやいた。南国であるここサツマの国は寒くなっても、めったに雪が降ることはない。なかなかムードのあるホワイトクリスマスとはならないものである。でも、せめてツリーくらいは雪化粧をさせて、それらしさをつけ加えた。


 その後、ほうきで軽く玄関先をはばき、きれいにすると、わたしは居間に戻り、テーブルに座った。ケーキとプレゼントの箱が置いてある。中身は、こないだ買った白百合のブローチだ。


(待ち遠しいわ……)


 わたしは、それらを見つめながら壁の時計と、にらめっこをした。約束の時間までは、まだ少しある。彼女は仕事を終わらせてから、ここへ来ると言っていた。


 “お友達”と過ごす生涯初のクリスマス。それを想像すると胸が高鳴った。どんな話をしようかしら? 学校のこと? それはリリィも聞き飽きたかもしれない。たまには彼女のことを詮索してみようかしら?仕事のことや御両親のこと。あるいは、彼女自身のこと……でも、話したがるかしら? あまり自分のことは語らない少女である。


(そういえば、シャンメリー足りたかしら?)


 ふと、思い出した。一応、二本買ってあるのだが、すぐに空けてしまうかもしれない。もう一度、時計を確認すると、わたしは買いに行こうかと考えた。扱っている店は、すぐそばである。


 わたしは、コートを着て靴を履き、玄関のドアを開けた。強い寒風が頬を打つ。今日は曇りなので日があまり照らず、そのせいか余計に冷える。


(いかにも、冬って感じね……)


 わたしは時間のわりに、さほど明るくない外の光景を見て思った。これから訪れる“悲劇”を神様が予感しているような空の色である。


 そんなことなど知らないわたしはポケットから取り出した手袋をはめ、道へと出た。ほんの十数メートルを歩いた、そのときだった。


「お嬢さん……」


 背後から声をかけられた。振り返ると、そこにいたのは、くたびれたコート姿の男だった。


「ちょっとお尋ねしたいのだがね……」


 そう言って、わたしの前に近づいてきたその男は、五十代くらいだろうか?背はあまり高くなく、お腹が出ている。このとき怪しいなどと思わなかったのは、きちんとネクタイをしており、髪も短く整えられていたからだ。ただ、それだけである。


「はい、なんでしょう?」


 わたしは、そう答えた。普段は比較的、人通りがある場所だが、なぜかこの日に限って静かだった。そんな中で、道でも訊かれるのかと思ったのだが、男の口から発せられた台詞は、意外なものであり、そして、わたしを凍りつかせるのに充分なものだった。


「お嬢さん。あんた、あの“ヌードモデル様”なんだろ?」


 その言葉は、わたしと平穏な日常を切り離す鋭利な刃物のようなもの……そして伝説のヌードモデルであるわたしの運命は、この日をきっかけにまるで、あてのないルーレットのごとく、くるくると流転し始めるのだった……

 

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