第三章 あばかれたヌードモデル! 別離のとき……
1 冬の、とある日
“その美しい裸は戦士たちの肉体を鼓舞し、魔法使いたちの精神を高揚させ、僧侶たちの禁欲すら崩壊させる”
この世が動乱するとき、天が遣わすというヌードモデルの伝説は世界中に存在する。“彼女たち”の美しい裸を見た兵士様は強大な戦闘能力に目覚め、ことごとく敵陣を突破し、城を攻め落とし、敵の大将の首級をあげ、持ち帰ったという。
わたしことマリアが何人目……いや、この場合、何代目と呼ぶべきか? 過去にどれだけのヌードモデルがあらわれたのかは知らないが、わたしも、その中のひとりである。二年前の“アリアケ攻防戦”において裸を晒し、兵士様たちの戦果に貢献した女神としてのわたし……あの当時、国中で巻きおこったヌードモデルブームも今は、ほぼ収束し、誰も語る者はいなくなった。一過性の話題で終わったことで、わたし自身は平穏な生活をおくっていた。
世界共通歴1505年、休日の冬。南国であってもサツマの国は寒かった。年の瀬を迎えたこの時期、厚着して町ゆく人たちの足は速く、息は白く、そして背中は丸い。
「これは、あなたに似合うのではなくて? リリィさん」
わたしは言った。ここは、ブティック。通りに面したショーウインドウに飾られた毛皮のコートを見ながらの台詞である。
「私は、あまり私服を着用する機会がありませんので……」
と、リリィは答えた。騎士である彼女は、いつもの緑色をした襟付きシャツの上に軍から支給されたコートをはおっているが、痩せぎすで小柄なため、少しダブダブに見える。
「非番の日は、騎士様の格好などしないのでしょう?」
「家に居ることが多いのです」
「そのコートは、少し大きいですわ」
「武器を携帯する上では、とても便利なのです」
リリィは言って、前身頃あたりを開いてみせた。腰に長剣を佩く、いつものスタイルだが、コートの内側には、なんと鞘に入った短剣が三、四本縫いつけてあり、さらに活動写真で見たことがあるような手裏剣だのクナイだのといった物騒なものが、これまたポケットの中からはみ出そうなくらいに“収納”されているではないか。
「お……乙女がする格好にしては、お転婆ですわ……」
「私の任務は隠密、諜報ですが、いざという時には、戦闘行為も辞さぬ所存です」
と、リリィ。まだ少女なのに過激な発言。でも、騎士様ならば常識なのかもしれない。わたしが平和に慣れきっているだけなのか?
「その、緑のシャツも支給品なのですか?」
わたしは訊いた。いつも着ているそれは、夏の木の葉の色に似ている。
「いいえ、これは自前の物です。私どもの隊は職務の性質上、鎧や兜を身に着けることはありませんので」
「そうですの?」
「同じ物を何枚も持っているのです。職場では派手な格好でなければよし、とされています」
「ならば、それは“私服”と呼べるのではなくて?」
と言うわたしの質問に、彼女は答えなかった。ただ……
「緑が好きなのです……」
そうとだけ、リリィは言った。
伝説のヌードモデルであるわたしと、その“監視役”であるリリィ。思えば不思議な組み合わせである。初めて会って二年ほどになるが、共に外出することもしばしばだ。昨年の夏、わたしは危うく乱暴されそうになったが、以降、彼女が家を訪れる機会が増えた。それもまた“仕事”なのだろうが、気にかけてくれている面もあるにちがいない。
ぴったりと護衛されている立場なのがわたしである。だが、不思議と息苦しさみたいなものは感じなかった。リリィとは馬が合うのだろう。祖父が亡くなってから、ずっとひとりだったわたしは、このとき、妹が出来たような気にでもなっていたのかしら?
今も、わたしの買い物に彼女は付き合ってくれている。昨年のようなことがあって以降、ちょっぴり神経質にもなっているようで、たまに周辺に配る目つきが鋭い。監視されているはずなのに、ふたりでいると、なぜか楽しい。リリィがよく話を聞いてくれるからだろうか? ひとりで生きていると普段、退屈に思うことが多いのかもしれない。
もっとも、外出といっても、さほど遠いわけではない。ここは町のはずれにある小さな商店街で、隣町ほどの活気はない。必要としていた筆記用具を買い、今は帰宅の途中である。
ブティックのショーウインドウを離れ、わたしたちは歩き出した。隣を行くリリィを横から見ると、はじめて会ったころと、あまり外見は変わらない。背は私よりやや低く、身体つきは華奢。栗色の髪はひっつめており、舞台女優をめざせるほどに美少女だ。
(やはり、騎士様という感じではないわね)
わたしは思った。武装しているから、ようやっと騎士様に見えるのである。着替えさせれば、人目を引くほどに見違えるはずだ。整った横顔は、数年後には貴婦人の如く艶を持つのかもしれない。だが、今はまだ少女の面立ちである。これで、立派な剣の使い手なのだから、人は見かけによらない。
「どうかしたのですか、マリア様……?」
わたしの視線に気づいたのか。リリィは、こちらを向いて言った。
「リリィさんの横顔に見惚れていたのです」
「冗談はやめてください」
「あら、冗談などではなくてよ」
歩きながら、わたしは悪戯っぽく笑った。それを聞いたリリィは少し赤くなり、再び前を向いた。
「寄って行きませんか? お茶くらいありますのよ」
家に着き、玄関の前でわたしは言った。
「申し訳ありません。まだ、仕事があるのです」
リリィは頭を下げ、言った。
「そう、残念ですわ。次は、いつ来られるの?」
「近々……」
「そのときは、お菓子を用意しておきますわ」
「お構いなく。私が買ってきます」
「そう、それは楽しみ」
「……では、失礼いたします」
「今日は、付き合ってくれてありがとう。おかげで退屈せずにすみましたわ」
「こちらこそ、楽しかったです」
「まぁ、本当?」
「はい……」
「気をつけて帰ってくださいね、リリィさん」
「マリア様、風邪など召されませぬよう」
「わたしは大丈夫よ、頑丈ですもの」
「私も騎士ゆえに頑丈です」
「なにか、変な会話ね」
「……はい」
リリィは苦笑した。そして……
「マリア様……」
「はい、なんでしょう?」
「……いいえ、では、また」
何か言いたげなリリィ。だが、それ以上語らず一礼し、彼女は立ち去った。わたしは、その細い背中が路上に溶けこむほど遠ざかるまで見送った。
玄関を開け、小棚に置いてある祖父の写真に帰宅を告げると、わたしはスリッパに履きかえ、自分の部屋へと向かった。まだ明るい時間帯だが、家のすみずみまで冷え切っている。マフラーのみ外し、ストーブをつけると、空気が温まるのを待った。
その間、机に座ると、わたしは紙で包装された箱を開けた。中は、さきほど買ったボールペンである。学校に提出するレポートを書くために購入した物だ。
ノートの端に軽く自分の名前をサインしてみた。書き心地に満足すると、わたしは伸びをし、ぼうっとしながら部屋が温まるのを待った。それに飽きると、今度は姿見の前に立ち、ブラウンのジャンパーにブルージーンズという実にボーイッシュなスタイルの自分を映してみた。
肩のあたりまで伸ばしている癖の強い金髪を手ぐしでといて整える。この季節はあまり広がらずにおさまるが、湿気の多い夏場はセットしてもすぐに髪型が崩れる。子供の頃からの悩みの種だが、周囲からは“つやつやしていて、綺麗な金髪”と評される。面倒なので、もっと短くしようかしら、と思うこともたまにあるが、なんとなく、ふんぎりがつかない。今のヘアスタイルが好きなのだろう。
鏡に映るわたしの瞳は青い。こちらは“晴れた日の海の色”に似ているとよく言われるが、他方、“サファイアのような色”、“ラピスラズリの如く”とほめられることもある。どちらにしても好評価なわけだが、顔立ちの特徴の大半を決定づける部分であるため、学友たちのお世辞なのではないか、とも思う。悪い気はしないのだが……
部屋が人肌程度に温まると、わたしは姿見の前で脱衣した。歩き疲れたので、少し休みたくなったのだ。ジャンパーをとり、穿いていたブルージーンズを下げ、最後にクリーム色のセーターを脱ぐ。
足もとに、はらりと衣服が落ちたとき、鏡に映ったのは伝説のヌードモデルたる、白くて豊満な秘密の身体……大きな胸を覆うブラジャーと股間を隠すパンティは瞳の色を白い絵の具で薄めたかのような爽やかなスカイブルー。わたしは下着姿の鏡像と、あらためて向かい合った。
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