4 マリアの“へっちゃら”
店主が捕らえられたのは翌日のことだった。わたしの裸を見たことで“力”を得た彼は、リリィに刺された脇腹から血を流しながらも、追っ手の騎士様たちをふりきりながら逃げ続けたという。十人がかりで、ようやっと捕縛されたと聞いたのは病院のベッドの上だった。
その後の調査で、わたしが囚われていた、あの地下室の底から六人の若い女性の死体が見つかったという。全員が行方不明者で、家族や親戚から捜索願いが出されていた。店主は婦女を暴行していたのだ。午前中に屋台を出して、町中の女性を物色し、巧みに店に誘い込むという手口。みな、眠り薬を飲まされ、拘束されたあとに、犯されたのだった。もう少しで、わたしも同じ目にあうところだった……
“こんこん……”
病室のベッドの上で寝ながら小説を読んでいたとき、ドアがノックされた。
「どうぞ……」
本を閉じて声をかけた。入ってきた人は栗色の髪をひっつめた細身の少女騎士様……わたしの恩人だ。
「あら、リリィさん……!」
と、わたしはしらじらしく言った。リリィのノックの仕方は優しく特徴的なので、すぐわかる。今は元気な声が出せるくらいには回復した。心の傷が癒えるまでは、もう少しかかるかもしれない。
「来てくださったのね、嬉しいですわ」
体を起こし、彼女に椅子をすすめながら言った。自分の声が機嫌よくたかぶるのがわかる。あれから三日。会うのは、あのとき以来である。
リリィは丁寧に挨拶をしたあと、包装された見舞い品を差し出した。わたしは礼を言い、あけてみた。
「まぁ……」
中身は本だった。今、若者に大変な人気がある作家のコメディ小説だ。これで退屈せず、そして暗くもならずにすみそうである。
「申し訳ありませんでした、マリア様……」
リリィが謝罪した。元々、表情に乏しい少女だが、今日は随分と思いつめた風である。
「なぜ、あなたが謝るのです?」
ベッドに半身を起こしたわたしは首を傾げた。
「マリア様を見守ることが私の役目……そうでありながら、危険な目にあわせてしまいました」
「いくらあなたが強い騎士様でも、四六時中そばにいられるわけではありませんわ」
「今回のことは、決してあってはならぬことです。すべて、私の未熟さゆえ……」
「自分を責めてはいけません。ひとりで知らないお店に入ったわたしがあさはかだったのです」
「いいえ、私の責任なのです……」
と、リリィ。その言葉に、わたしは溜息をひとつ。強い責任感を持つことは立派だが、少々、頑固な面があるらしい。リリィがわたしの監視役であることは、彼女自身の口から聞かされてはいたが、この件は、わたしが悪いのだ。
なぜ、わたしの居場所がわかったのか? これは、あとから聞いたことであるが、リリィが所属する第16小隊は、市井に混じる“たれこみ屋”なる人々から情報を得ているらしい。その、たれこみ屋のひとりが店に入るわたしを見たのだという。諜報、隠密活動を主とする第16小隊は、国中に情報網をはりめぐらせているのだとか。あの店主は件の婦女暴行犯の疑いがかけられていたが、今まで証拠があがらなかったらしく、番所も手が出せなかったそうだ。
わたしの姿を見たたれこみ屋は、人の顔かたちを瞬時に記憶できるらしく、似顔絵を描き、番所へ届け出た。さきごろ話題となった“ヌードモデル”ではないか、ということで、“監視役”の第16小隊へと連絡があったのだという。リリィが早馬を飛ばし、駆けつけたのである。
常に監視される人生……正直に言えば、あまり心地よいものではない。プライバシーは尊重されても、どこか息苦しさを感じるのも事実だ。だが、今回は、そのおかげで救われたのである。憤りをおぼえることはなかった。わたしが“ヌードモデル”としての資質と立場に疑問を抱くのは後のことである。
「もうひとつ、お詫びをしなければならないことがあるのです……」
「なんですの?」
恐縮しているリリィに、わたしは訊ねた。
「あの店主の男は、退役した元騎士だったのです。今回のことは軍部の不祥事、重ね重ね申し訳ありませんでした……」
「それも、あなたのせいではありませんわ。なぜ、謝るのです?」
「いいえ、“私ども”の責任なのです」
リリィは深々と頭を下げた。
特に怪我がなかったわたしは、明後日には退院した。スクール馬車に揺られながら学校と家を行き来する、いつもどおりの生活に戻ったのだ。
「マリアさん、お加減は、いかがですか?」
馬車の上で、隣に座る学友のひとりに訊かれた。彼女の名はリンダ。良家の子女であり、それらしく品が良い。鈴の音に似た涼しげな声の持ち主だ。
「もう、“へっちゃら”ですわ。わたしは健康なことが取り柄なのです」
わたしは、そう答えた。それを聞きリンダが笑った。“へっちゃら”などという言葉は、行儀の良い彼女の家では使わないのだろう。
「よかったですわね、マリアさん。今頃の風邪は長引くといいます。ご自愛くださいませ」
「ありがとう、リンダさん」
そのように礼を言った。学校を数日休んだが、周囲には“体調不良”と伝えてあった。
馬車を降り、てくてくと家路を歩く。見上げると、陽がのぞかないどんよりとした曇り空。夕方から雨が降りそうである。それでも蒸し暑いことに変わりはなく。じめじめと重い空気の中、いつもの見慣れた道を行った。
「やあ、マリアちゃん!」
すると、よび止める声。お菓子屋のおじさんだ。
「こんにちは」
と、挨拶をするわたし。
「具合はどうだい?」
「もう、“へっちゃら”ですわ」
また、言ってしまった。しかも今度は、力こぶをそえて。こんなとき、良家の方ならなんて答えるのかしら? “この度は、御心配をおかけして、誠に申し訳ございませんでした”でしょうか? わたしもリリィのように謝るべきかしら?
少し考えていると、暗い空の果てからごろごろという音が鳴った。思ったより早く天気が崩れるのかもしれない。今日は、リリィが顔を見せると言っていた。そういえば、こないだのクッキー缶、彼女はたくさん食べてくれたわね。おもてなしの準備をしなくっちゃ……
わたしは言った。
「おじさん、クッキーの盛り合わせを一缶……いいえ、二缶くださいな。今日は、大切な“お友達”が来る日なのです」
〜第三章へつづく〜
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