3 とらわれの女神


「やあ、お目覚めかい?」


 わたしが目を開くと、声がした。まだ、ぼんやりと意識がはっきりしないが、そこに立っているのが、ウエイター姿のままの店主だということはわかる。


 彼に足を向けた格好で、わたしは大きなベッドに寝かされていた。身体がいうことをきかない。広げられた手首と足首は、ベッドの四隅から伸びた鎖の先端に取り付いている輪っか状の拘束具で縛られていた。まるで、ヒトデのような姿勢にさせられている。


 なんとか首だけおこして見てみると、店主が立っている右手後方に昇り階段があった。おそらく地下室なのだろう。学校の教室くらいの面積のここは、天井と壁に設置されたランプのおかげで薄ら明るい。周囲の壁は貯蔵庫になっているらしく、いくつかの取っ手がとり付けられている。引き出しのように開くしくみのようだ。


「声をあげたって無駄だよ。この部屋は俺のお手製で、外に音が漏れないようになってんだ」


 と、店主。それを聞きわたしは、知らない店にひとりで入った自分の軽率さを後悔した。おそらく、食事の中に、なんらかの薬が入っていたのだろう。それで眠らされたに違いない。


 自分がこれからなにをされようとしているのか、子供のわたしにもわかる。“乱暴”をされるのだ。この国がどんなに平和になっても犯罪者は存在するが、その一人にわたしは出くわしたのである。


「助けて……」


 わたしは哀願した。


「それは、ダメだ」


 店主は言った。うすら笑ってはいるが、さきほどまでの親切そうな気配はない。


「通りで“獲物”を物色して、ここに誘い込むのさ。今日、あんたは、ひときわ輝いていたよ。いい身体してやがる……」


 彼は、あっさり言うと、ベッドのはしに座り、ワンピースごしから、わたしの胸の谷間に人差し指を当てた。羽織っていたカーディガンは脱がされている。


「いや……」


 わたしは涙を流しながら首を振るも、縛られているので見動きはとれない。


「泣くこたぁないよ、すぐに気持ち良くしてやるさ」


 店主はわたしの身体に覆いかぶさると、ぺろりと首筋に舌を這わせてきた。


「いやッ、いやぁ……やめて……お願い……」


 不快な感触と恐怖の中、わたしは泣きじゃくった。


「泣けよ泣けよ。男は、そっちのほうが興奮するもんさ」


 彼は好色な表情を浮かべ、笑った。そのまま、わたしにまたがると、ポケットからナイフを取り出した。それを胸もとに当ててくる……


「やめて、やめてぇ……!」


 刃が一瞬、肌に当たる冷たい感触の後、ワンピースが縦に切り裂かれてゆく。泣き叫ぶわたしの声も虚しく、下着があらわとなった。身を覆うものは白いブラジャーとパンティだけ。汗ばむ腋は、まる見えである。


「最近の娘は、発育がいいもんだ……」


 わたしの大きな胸に目を向け、店主は言った。そして、ブラジャーの真ん中に刃先を当てた。


「いや……やめて……」


 もう一度、哀願した。だが、それが届くことはなく。なにより、彼の手は無慈悲だった。


 “ぷつん……”


 切れたブラジャーが左右に分かれ、布地の圧力から解放された胸が揺れながら露出した。これから、この男に嬲られるためだけに……


「ぬおっ……!」


 わたしの豊かな胸を見た店主は立ち上がり、片手で自分の頭をおさえるようにした。


「なんだ……? なんだッ……? この、わきあがる力は……!」


 嗚呼……そうなのだ。わたしはヌードモデル……その美しい裸は戦士たちの肉体を鼓舞し、魔法使いたちの精神を高揚させ、僧侶たちの禁欲すら崩壊させるという。そして、この男もまた……


「そうか、わかったぜ……さきのアリアケ攻防戦の折、天から遣わされたという伝説の女神……おまえが、おまえが、それなのかッ……?」


 店主は、ふらつきながらも、体勢をたてなおし、言った。


「おもしろい……おまえがいれば、おまえを独占すれば、俺は圧倒的な実力を手にすることができるってわけか……」


 店主はふたたび、パンティ一枚だけの、わたしの身体に覆いかぶさってきた。


「やめて……お願い……」


 犯されると知って、言った。もし……もしも、伝説のヌードモデルと交わったら、殿方はどうなってしまうのか? わたしは知らない。


「“飼って”やるさ……おまえだけは殺したりしない。俺のもんだ。二度と、ここから出さねえよ」


「いやあぁぁぁぁッ……! 誰か、誰か、助けて……!」


 わたしが叫んだとき、扉を蹴破る音がした。階段の上から華奢な人影があらわれた。栗色の髪をひっつめた細身の少女騎士……夏の木の葉と似た色をしたグリーンのシャツの下に長剣を佩いている。


「リリィ!」


 ベッドに縛りつけられたまま、わたしは彼女の姿を確認した。助けに来てくれたのだ。素早く階段を降りると、リリィは剣を抜き、構えた。


 だが、次の瞬間、わたしの身体から離れた店主は、目にもとまらぬ速さで彼女に飛びかかった。壁を背にしていたリリィが素早く身をかわす。すると、ものすごい音がした。


(これは……わたしの“力”なの?)


 勢いあまった店主の拳が、壁に大穴をあけた。その光景を見て、わたしは悟った。ヌードモデルの裸を見た殿方は、これほどの怪力を得ることができるのだ。


 腰にまいていたエプロンを外し、再度、突進する店主。痩せた長身であるせいか、機敏に動く姿は、しなやかささえ思わせる。対するリリィは剣を持っても打ち合わず、後退して距離をとる。彼女は一流の剣の使い手だというが、今は逃げ回っているようにしか見えない。


「リリィ……リリィさん! 逃げて!」


 ただでさえ縛られている上、薬の影響か重い体を出来る限り起こして、わたしは声をあげた。素人目にも不利はあきらかである。店主は、わたしの裸を見た“影響”で、凄まじいまでの戦闘能力を手に入れているのだ。このままでは、リリィが危ない。


 店主はしつこく、三度目四度目と攻撃を仕掛ける。さほど広くない空間の中でリリィは円を描くように動き、巧みに距離をとるが、次第にその差は縮まってきている。押し一方の店主が次につかみかかったとき、身軽なリリィは天井の高さまで跳んだ。そのまま上空から斬りつける。


 だが、彼女の剣筋は、かわす敵の額をかすめるにとどまった。店主もまた、大変に身軽である。それも、わたしの“力”か…… ?


「悪くない攻め方だ……だが“女”のお前には、伝説の力を得た俺を倒すことは出来んぞ」


 額から血を流しながら、店主が言った。そのとおり……ヌードモデルの力を得られるのは、殿方に限られる。


 再度、猛攻。間合いを詰めた店主の拳が、左右から雨嵐の如く少女騎士を襲う。小柄なリリィも身のこなしに優れるが、室内では後退できる距離に制限がある。ちょうどわたしが寝ているあたりを中心として、時計回りにステップを踏みながら、壁際に追い詰められないように攻撃をかわし続けた。


「どうした、どうした? 逃げるのだけが作戦か!」


 と、余裕すら見せる店主の拳が、次第にリリィの残像をとらえる位置にまで迫った。わたしの目には、そう見えた。


 そして、凄い音が鳴った。右側の拳を避けきれなかったリリィは、ガントレットをはめた左の腕を盾とし、自分の側頭部を守った。その重い一撃に吹き飛ばされ、彼女は壁に叩きつけられた。


「折れたか……?」


 なんとか立ち上がろうと片膝をつくリリィを見下ろし、店主が言った。


「さぁ……とどめだ」


 そして、店主の体勢が低くなった。互いの距離は大きく踏み出したとして三歩分ほど。追い詰められた小鳥のようなリリィを仕留めようというのか。こんなときに、なんにも出来ない自分は、なんと無力なのか。伝説のヌードモデルなど、なんの威力も持たないではないか。


 だが、なぜかそのとき、ほんの一瞬だけだが店主の動きが止まった。細身の少女騎士は隙を見逃さず、相手の懐へと飛び込んだ……


「良い腕だ……」


 リリィの片手突きに脇腹を刺された店主が言った。あとで知ったことだが、額から流れる血が目に入ったのだという。それで出来た隙だったのだ。


 店主は近接したリリィの体をとらえようとしたが、その両手は空を切った。


「まったく、すばしっこい小娘だ……」


 脇腹からぼとぼとと血を流し、彼は言った。長剣は刺さったままである。ふたたび距離をとったリリィは、ブーツにくくりつけられている革の鞘から短剣を抜いた。


「だが、痛みは感じない。これも、伝説の力か……」


 その言葉を聞き、わたしは戦慄した。ヌードモデルの裸は痛覚すら麻痺させるのか? いまさらながらに、自身が持つ力の大きさを知らされた。


 店主は自分の体に刺さった長剣を抜くと、放り捨てた。血が吹き出すも、いまだ立っている。短剣を右手に構えるリリィと相対し、またも体勢を低くした。


 ────ここにいるはずだ、探せ!


 上の階から声がした。


「ちぃっ……!」


 店主は舌打ちすると身を翻した。戦闘を放棄し、急ぎ階段を昇った。


「逃げたぞ、追え!」


 天井から、けたたましく足音がしたが、すぐに止んだ。おそらく、リリィの応援に駆けつけた騎士たちなのだろう。逃げ出した店主を追ったようである。


 リリィは急ぎ、こちらへ来ると、折れていないほうの右手でわたしの四肢を縛っている拘束具の止め金を外した。自由になったわたしは、薬の影響でいうことをききにくい身体をなんとかベッドの上に起こし、彼女に抱きついた。


「ああ、リリィさん……怖かった、とても怖かったわ……」


 裸のままでリリィに身を委ね、しくしくと泣いた。


「マリア様……遅くなり、申し訳ありません」


 と、リリィ。右手でわたしの身体を抱きしめてくれた。


「人生の中で、こんなに恐怖を感じたことはなかったわ……あなたが来てくれなければ、わたしは今頃……」


「もう、大丈夫です。奴は、ここにはいません。騎士たちが追っています……」


「ふるえが……ふるえが、止まらないの……」


「私が、ここにいます」


「リリィさん、わたしのために、こんな怪我を……」


 ぷらんと垂れているリリィの左腕を見て、わたしは言った。ガントレットにヒビが入っている。それがなければ、どうなっていたことか……


「たいしたことはありません」


「折れているのでしょう? 痛いのでしょう?」


「医者に見せれば、すぐに治ります」


「ごめんなさい……わたしが軽率だったから……」


「騎士は国王陛下のものであり、国民に奉仕する存在です。私は、マリア様の騎士でもあるのです」


 その、リリィの言葉が嬉しかった。わたしは、さらなる大粒の涙を流しながら、いつまでも彼女の胸で泣き続けた……

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る