2 変わりゆく身体
昨年の秋、わたしが伝説の“ヌードモデル”として大勢の殿方の兵士様たちに裸を晒し、勝利を遂げた戦いは“アリアケ攻防戦”の名で伝わることになった。歴史上、前例を見ないほどの王国軍の圧勝であり、反乱軍をオースミ半島の東端まで撤退させたあの戦い。果たして攻防と呼べるのか? と言われるほどに一方的なものだったという。すべてはわたしの身体に秘密があったわけだが、あまり実感はない。自身が前線に出たわけではないからだ。
わたしが最も不思議に思ったのは、あのとき感じた解放感とエクスタシーのことだった。裸を晒す前の不安と、晒したあとの羞恥心は今でも忘れないが、殿方たちに見られているときの感覚は苦痛とはまるで異なる、むしろ心地よいものだった。
“それは、ヌードモデル様の資質を持つ方が神から与えられた、精神的な防御作用だと言われています”
以前リリィが、そのように言っていた。つまり、見知らぬ殿方の前で裸を晒すという、とんでもない行為からもたらされる心の苦痛を感じないよう、神はヌードモデルの精神と肉体をそのように作り上げたのだとか。“見られる快感”に身を委ねられるように……
(まるで、わたしが淫乱な娘みたい……)
自室のベッドに寝ころがりながら、わたしは思った。今はピンクのブラジャーとパンティだけの、とてもはしたない格好をしている。蒸し暑いせいで誰も見てなければいいかしら、などと、こんなしどけない姿である。汗ばむ肌が少し湿っぽい。
わたしは、ブラジャーの上から自分の胸に手を当ててみた。次に起き上がり、そのまま姿見の前に立った。そこに映る下着姿の鏡像こそが、今のわたしである。
ブラジャーを外した。この一年ほどでずいぶんと大きくなった胸を鏡で見てみる。ヌードモデルとして大勢の殿方の前で晒したときはDカップだったのだが、今はFカップまで育った。もっと大きくなるのかもしれない。
(垂れてきたら、どうしようかしら……?)
ふと、近所に住んでいるジェシカおばさんという人の姿を思い浮かべた。五人の子供を育てた彼女の胸は、すいかのように大きく重そうで、どっしりと垂れている。
(あんなになったら、さすがに困るわね……)
わたしは苦笑してしまった。そこまではいかないが成長の途上ではある。ブラジャーが合わなくなり、新しいものを何度か買った。
だんだんと肉感的になっていく自分の身体は、有名な絵画に描かれている豊満な女神を彷彿とさせる。天が遣わした存在であるなどと自覚したことも自惚れたこともないが、殿方はこういう女を好むものなのだろうか? 学友たちから“最近のマリアは、やけに扇情的になった”と評されることもしばしばで、恥ずかしささえ感じている。
パンティが食いこんだお尻を触ってみた。ここもまた、豊かなものである。そこから伸びる太腿も適度なボリュームであるが、ウエストが締まっているため、全体的には細く見える。タイトな服を着るとボディラインが目立つため、最近はゆったりとした格好で出かけるようにしている。
(いつまでも下着姿では、お行儀が悪いわ……)
と、思い、鏡の前から離れたわたしは箪笥を開けた。涼しそうなものはなかったかしら?
(あら……?)
そこで見つけた一着の“掘り出し物”。ひっぱり出してみた。ピンク色をしたワンピースだ。昨年の夏の終わりごろ、季節末のセール品となっていたもので、安く買ったことを忘れていた。
(胸が大きくなっても、こんなかわいい服が似合うものかしら?)
広げてみた。夏物らしく袖がない。この花柄にひかれて購入したことを思い出した。そこまで大胆な露出はしないが、腕と腋、脚はあらわになる。それでいて、やわらかく清楚な雰囲気は損なわない。
(たまには、いいかしら……?)
明日は休み。そのワンピースとの“再会”で、お出かけしたい気分になった。
翌日、午前八時に家を出た。目的地は四キロほど離れた隣町だが、外出自体に目的はない。それもまた、良い休日の過ごしかただと思ったのだ。
例のワンピースを着たわたしは、腰を細いベルトで締めた。これは最近、流行のスタイルで、胸のラインが綺麗に見えるのだという。頭には、つば広の麦わら帽子。足には長時間歩いても疲れないというウォーキング用のサンダルを履いた。今日は快晴。この時間は、まだそこまで暑くないが、陽射しはすでに強い。籠を左手にさげたわたしは、右手に日傘をさし、歩いた。
徒歩で商店街や住宅地、すこしのどかな一帯を通り過ぎて一時間ほどののち、隣町に着いた。様々なお店が立ち並ぶここは、わたしが住む町より人通りが多く栄えている。ちょうど喉が乾いたところに、ジュースの屋台が見えた。
「らっしゃい」
日傘をたたみ、屋台の前に立つと、白い丸首シャツ姿の男性店主が声をかけてきた。歳は三十代くらいかしら? 長身で痩せている。
「オレンジジュースをくださいな」
麦わら帽子が作りだす濃い影から、わたしは言った。
「あいよ。お嬢さん、何処から?」
「隣の町からですわ」
「ようこそ。かわいいワンピースだねえ。ゆっくりしてってくんな」
「ありがとうございます」
お金を払ったわたしは、ガラスのコップに注がれた氷入りのオレンジジュースを受け取り、少し離れると、行儀が悪いが立ちながらそれをいただいた。最近の若者たちの間では、こうして飲むのが流行りだという。ストローを通って伝わる冷たい酸味と甘みが心地よく口と喉を潤す。
行き交う人々をぼうっと眺めながら飲んでいると、わたしと目が合った殿方の数人が、ちらちらとわたしの身体を見て行くのがわかる。やはり大きな胸が強調される格好のようで、ちょっぴり恥ずかしい。ひゅう、と口笛をふく人までいる。暑さもあいまって汗がふきだしてきた。
「お嬢さん、今日の昼飯は決まってるのかい?」
ジュース屋の店主に訊かれた。
「いいえ、まだですの」
「よかったら、うちの店に来なよ。俺、朝はジュース屋台の主だが、昼からは、そこのマスターやってんだ」
そう言って店主が指さした方向に木造の二階建てが見えた。一階に喫茶店の看板がかかっている。
「今日のランチは冷たいスパゲッティさ。サラダにドリンクもつくぜ」
「わたし、知らないお店で、ひとりで食事をしたことがないのです」
「人目が気になるかい?二階が個室になってるよ」
「何時からですの?」
「十一時。値段は、こんだけ」
と、店主は手を開いた。安いランチになりそうだ。
ジュースを飲み終えたわたしは、町のちいさなブティックで薄物のカーディガンを買った。ワンピース一枚では、やはり人目が気になったのだ。それを上から羽織り、次に古書店に入った。まだ読んでいなかった人気作家の小説を購入し、手さげの籠に入れると、カンカン日照りの中で、服や靴のウィンドウショッピングを楽しんだ。
「やあ、来てくれたんだね」
カランカラン、と鳴るドアを開けると、カウンターの向こう側に、さきほどの店主が立っていた。朝と違い、今はウエイター服姿である。腰から下に黒いエプロンを巻いていた。
「おや、カーディガンを買ったのかい?」
「ええ……日焼け対策ですわ」
嘘を言ったわたしは、さほど広くない店内を見回した。時刻はちょうど午前十一時。まだ、他に客はない。もう少ししたら賑やかになるのだろう。従業員も、あとから来るのかもしれない。
カウンター横の階段から二階へと案内された。通路の先に“おひとりさま専用ルーム”と書かれた個室の扉があり、そこへ通された。中は人が一人か二人しか入れない程度の広さで、ちいさな木のテーブルと椅子がある。壁に砂浜を描いた絵がかけられているが、ぱっと見の印象は殺風景な部屋だ。
「来てくれてありがとな。ちょいと待っててくんな」
と、お冷を置いて店主が消えると、狭い部屋に、ぽつんとひとりだけになった。このとき、なぜわたしが不安に感じなかったのかというと、店内がとても明るかったからだ。窓という窓がすべて開けっ放しになっており、日光と外の空気、そして喧騒が中に入ってくる。建物は古いが綺麗に整頓されており、荒れたところが見当たらない。店主も気さくで感じが良い。
この部屋にも壁に窓がある。立ち上がり、背伸びして外をのぞくと、たくさんの行き交う人々が見えた。少し強くなってきた風が入ってくるため、そこまでの暑さは感じない。わたしはふたたび着席し、お冷にひとくちつけると、籠の中から、さきほど買った小説を取り出した。
二十分ほどのち。結構、時間がかかるものだと思ったころに店主がランチを運んできた。トレイの上に色合いもあざやかな冷たいスパゲッティとサラダがのっている。わたしは小説を閉じ、それと向き合った。感想を聞くためだろうか?店主がにこにこと見ているので、わたしはフォークでまいて、食べてみた。
「まぁ、美味ですわ……!」
と、わたし。率直な感想である。甘みのあるトマトのソースが冷たい麺にからみ、とても美味しい。細かく切られたコクのあるチーズが、こってりとした味わいを演出するも、刻んだバジルが爽やかなアクセントをつけたしており、後味はむしろさっぱりしている。
「そいつぁ、よかった。食べ終わったころに、冷たいコーヒーを持ってくるよ」
と、言いながらピッチャーでお冷を継ぎ足してくれると、店主は出ていった。
スパゲッティもサラダも見事に完食。少し早めのお昼となったが、お腹は満足した。あとは、コーヒーを待つだけである。耳をすませると、足もとから声が聴こえてくる。そろそろ、お客さんが来る時間帯なのだろう。
わたしは大きく伸びをした。そして誰もいないのをいいことに、あくびまでしてしまった。お腹がふくれると、こうも眠くなるものかしら?頭がぼんやりとしてきた。
やがて、目の前が暗転し、わたしは意識を失った。
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