第二章 とらわれのヌードモデル! マリア、貞操の危機

1 マリアとリリィ


 世界共通歴1504年、ニホン列島の最南端に位置するサツマの国の夏は今年も暑い。湿気だらけの空気を突き刺すように降りそそぐ太陽光。その中を歩く人々は、まるで火にかけたオーブンで焼かれる七面鳥のようにうんざりとした顔で、目的地へと向かっているように見える。道路にとうもろこしをまいたら、ポップコーンができあがるのではないかしら? などと思いたくなる。


 わたしことマリアも、そんな“七面鳥”のひとりだ。スクール馬車を降り、夏の制服を汗ばむ身体にはりつかせながら家路についている。さしている日傘にさほどの効果を感じないほどに、ともかく暑い。上空からの光よりも大地からの熱のほうが堪えるのかもしれない。ならば、頭上に影を作っても意味はない。


「やあ、マリアちゃん!」


 お菓子屋の前で声をかけられた。子供の頃から知っている店主のおじさんだ。ここの菓子職人でもある。


「おじさん、こんにちは」


 わたしは挨拶をした。そして……


「ちょうど、お菓子をきらしていたので、買って帰りたいのです……」


 と、続けた。


「もちろんもちろん、マリアちゃんなら大歓迎さ!」


 そう言ってくれたので、わたしは日傘をたたみ、店内へと入った。中はさほど広くないが、ガラスのショーケースの中には美味しそうなお菓子がたくさん並んでいる。最初に目につくのは色とりどりのケーキやワッフルといった生菓子類だが、手頃な値段のシュークリームやプレッツェルも捨てがたい。チョコレート類も好きだが、この季節は溶けてしまいやすいのが難点だ。


「マリアちゃんは、いつも楽しそうに選ぶねぇ」


 おじさんが笑った。わたしは、よほど目をキラキラとさせていたのかもしれない。


「お菓子好きにとっては、選ぶ時間も至福なのですわ」


「なるほど、そいつは職人冥利に尽きるね」


「おじさんのお菓子は、見た目が良すぎるのです。味以外の判断基準をもうけていらっしゃるせいで、わたしはいつも迷います」


「嬉しいことを言ってくれるね」


「今日は、これをくださいな」


 と言って、わたしが指さしたのは、四角い缶に詰められたクッキーの盛り合わせだった。中は種類ごとに紙で仕切られている。


「あいよ、毎度あり」


「食べ終わったら、いつもどおりに缶は返しに伺いますわ」


「助かるよ、でも急ぐこたないからね」


 と言いながら、おじさんは缶を紙袋に入れ、手渡してくれた。わたしは、お財布を取り出し、お金を払った。


「また、来ておくれよ」


「はい。では、ごきげんよう……」


 わたしは外に出、日傘をさすと、家のほうへと歩きはじめた。











 昨年の秋、多大な戦果をもたらしたことで世間に巻きおこったヌードモデルブームも、今は落ち着いた。一時期は大々的にとりあげていた新聞や雑誌も、今はいつもどおりに政治経済、芸能を追っている。ここサツマの国は現王朝の統治のもと、言論や表現の自由が保障されているため、様々に書きたてられたが、最近は、その気配も少なくなった。


 ヌードモデルに対する評判は肯定的なものが大多数を占めたが、反面、少数の否定論が存在した。戦果に加担したという事実が戦争賛美を生むというものであり、軍部主導で作り出された象徴的存在であるとの見方である。後者は国が大衆を主戦論へと導く、危険なプロパガンダなのではないかと説く。


 勿論、“当事者”たるわたしにも、そういった意見が目から耳から入ってきていた。が、少数派であったため、気が変になることはなかった。やはり肯定的な記事報道がはるかに多かったため、達成感に似た思いを抱いているのかもしれない。もっとも、二度とヌードモデルに戻るつもりもない。あんな恥ずかしい思いは、もう、たくさんだ。借金から解放され、ブームも終わった。わたしは平凡な少女に戻ったのだ。











 家に帰り着き、丸首の半袖シャツとジーンズに着替えたわたしは、窓という窓を開けっ放し、いそいそと玄関や居間のお掃除をはじめた。あちこちを箒ではばき、拭き掃除をすませると、汗に濡れた服を脱ぎ、お風呂場でぬるま湯を浴びた。そのあと、今度はピンクのワンピースに着替えた。


 “こんこん”


 夕方四時半ごろ、玄関をノックする音がした。わたしは小窓から来客を確認し、ドアを開けた。


「いらっしゃい、リリィさん……!」


 と、嬉しそうにわたし。そこに立っている華奢な少女騎士様もまた、挨拶をしてくれた。彼女の格好は夏の木の葉と似たグリーンの襟付きシャツに黒ズボン。腰に長剣、左手のみにガントレット。栗色の髪はひっつめており、いつもと風体は変わらない。ただ、一本の瓶を持っている。


「マリア様、これを……」


「あら、なにかしら?」


「おみやげに買ってきた冷ましコーヒーなのですが、この辺で氷を扱っている店を知らないのです……」


「まぁ、これはご丁寧に」


 わたしはリリィに家でしばし待つように告げ、急ぎサンダルをつっかけると、三百メートル先のレストランへと走った。











「召し上がってくださいな」


 わたしは、さきほど買ってきたクッキーの盛り合わせをテーブルに広げた。


「はい、いただきます……」


 と、リリィ。彼女は席についている。わたしは、レストランで分けてもらった氷をふたつのコップに入れると、その中にリリィが持って来た冷ましコーヒーを注いで座った。


「クッキーのお味は?」


「美味しいです……」


「このコーヒーも美味ですわ」


「ありがとうございます」


「でも、あまり気を利かせなくともよいのですよ? あなたはお客様なのですから」


「はい、今度から気をつけます」


「あら、お説教ではないのよ?」


「はい……」


 初めて会ってから一年近く。あれからリリィは定期的にここを訪れる。それが軍部からの“監視”であることは彼女自身の口から正直に告げられていた。


 はじめは、それなりに憤りを感じたものだが、あまりにもリリィが申し訳なさそうにしていたので、怒る気にはなれなかった。それに、ただ一度、裸を晒しただけで、祖父が残した多額の借金を帳消しにしてもらった負い目もある。


 リリィは家に来て、何かをするわけではない。最初の二、三度は玄関先での会話にとどまったが、やがて、わたしのほうから中にあげるようになった。彼女は訪問する前に律儀に便りをよこす。今日、来ることも知っていたので、お菓子の準備が間に合った。


 わたしはリリィに様々なことを話すようになった。それは主に学校のことであり、学友たちのことであるが、ときに近所の人たちのことや、最近食べたもののこと、巷の話題もまじる。祖父がなくなってから、ずっとひとりで暮らしてきたが、学校もあり、近所の人たちが優しいため、あまり孤独と思ったことはなかった。今でもそのつもりだが、ひょっとしたら退屈を感じていたのかもしれない。


 平素と比べ口数が増すわたしと違い、リリィは決して能弁ではない。だが、よく話を聞いてくれる。今日の主な話題は、先日ひとりで見に行った演劇のこと。女性にだらしない船乗りの男が、寄港するたびに現地で恋人を作るのだが、やがてその恋人たちが一致団結し、男に復讐するという内容だった。これが全編コメディタッチというのだから、わたしはもう、お腹を抱えて笑ったものである。


「あら、もう、こんな時間……」


 わたしの一方的な話が弾み、薄暗くなった窓の外に気がつかなかった。時計の針が七時前をさしている。クッキー缶の中は、ほとんど空になっていた。リリィもたくさん食べてくれた。


「ごちそうさまでした……」


 玄関にたてかけてあった長剣を腰に佩き、ガントレットをとったリリィがブーツのジッパーをあげたあと、丁寧に頭を下げた。笑顔は滅多に見せないが、礼儀正しい。


「いえ、ひきとめてしまってごめんなさい」


「とても美味しいクッキーでした」


「気をつけて帰ってくださいね」


「ありがとうございます、お邪魔しました」


「ごきげんよう、リリィさん……」


 わたしは、夜入りの路上へと立ち去る少女騎士様の背中を見送ると、家の中へと戻った。


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