4 ヌードモデル


 わたしが全裸を晒したあと、数秒の重苦しい沈黙が流れた。効果がなかったのかしら? と、不安に思ったのもつかの間……静寂はすぐに破られた。場の空気は数千、数万の兵士たちの歓声に取って代わられた。


「素晴らしい! このように美しい身体、まさに女神の化身!」


 重そうな鎧兜に身を包んだ、屈強そのものの騎士様が言った。


「なんと綺麗な肌……そして、裸だ! おおっ……? なにやら、力がみなぎってきたぞ!!」


 二刀を背中の左右に背負った若い剣士様が叫んだ。


「神々しい……神々しい……」


 砲術士の制服を着た殿方が、わたしに手を合わせている。


「男に、男に戻れそうじゃ……!」


 杖を持ち、黒いローブに身を包んだ老魔法使い様が涙を流している。


「ぬおおおおッ……神の意志が、神の意志が、私の体内に流れ込んでくるぞ!」


 法衣を着た僧侶様が跪き、頭までも大地にこすりつけた。


 人たちを見ると緊張してしまう。そう考えたわたしは、只々、青い空のみを見上げていた。水平線の向こうに戦場がある。今、城塞の下でわたしの裸を讃えてくださる殿方たちは、死地ともいえるそこへと赴くのだ。


(なにかしら……? この、解放感……)


 不思議なことだった。裸を……生まれたままの姿を晒し続けているわたしは何故か、そんなものにとらわれた。悪い感覚ではない。その解放感は、やがてなんらかのエクスタシーのようなものを、わたしの胎内に与えてくれた。苦痛は感じない。


(わたしって、淫乱なのかしら……?)


 一糸まとわぬ身体に喝采を浴びせる殿方たちの視線……それすら快楽に変わる。わたしは、はしたない娘なのか? それとも、これが生まれ持ったヌードモデルの“資質”なのか?











 数分にわたる“披露”ののち、わたしは奥へと引っ込んだ。部屋に入ると、お付きの侍女のひとりが毛皮のコートを持ってきてくれた。それを素早く羽織ると緊張の糸も切れ、その場にへたり込んだ。


「ヌードモデル様……マリア様……」


 リリィが心配そうに、わたしの側に駆け寄ってきた。


「ああ……リリィさん、リリィさん……」


 わたしは、彼女に当たり散らした。


「わかって……? わたしが、どれだけはずかしい思いをしたか、わたしが、どれだけのはずかしめを受けたか、あなたにわかって?」


 かぶりを振りながら、真っ赤に染まった顔を手のひらで覆い、わたしは言った。すべてが終わった今、殿方たちに見られている間は感じなかった羞恥が、そうさせた。涙が溢れてきた。


「……兵たちは、喜んでおります」


 と、リリィ。たしかに外からは、いまだ止まない殿方たちの歓声が聴こえてくる。わたしの裸で力を得たのなら、ヌードモデル冥利に尽きるのかもしれない。だが……


「それだけですか……? わたしは、わたしは、見ず知らずの大勢の殿方たちに肌を見られたのですよ……!?」


 と言うと、わたしはリリィの服を掴み、何度も揺さぶった。


「もう、ヌードモデル様としての役割は終わったのです、マリア様……」


 リリィは、わたしのことを抱きしめてくれた。彼女の胸の中でわたしは、ずいぶん長いこと泣いていた……











 翌日、オースミ半島アリアケ地区へと向かい進軍した兵たちは連戦連勝を遂げ、失陥していた領土の一部を見事、取り返した。過去に例を見ないほどの圧勝を重ねた上、こちら側の被害は僅少。最高の結果となった。


 わたしは、あのあと従軍せず、サツマ市にある家に帰ったのだが、吉報は我々国民にも大々的に知らされた。そして、伝説のヌードモデルの存在も……民衆は天から降臨したという勝利の女神をたたえ、街は“ヌードモデルブーム"に沸いた。社会現象となったのだ。この世が動乱するとき、天が女神を遣わすという伝説。その美しい裸は戦士たちの肉体を鼓舞し、魔法使いたちの精神を高揚させ、僧侶たちの禁欲すら崩壊させるという言い伝え。主に戦争に従事する者たちが知っていた話だったが、それらは民衆の間にも広がった。


 だが一方で、ヌードモデルの正体は、かたくなに伏せられた。天から遣わされたという勝利の女神は、兵士たちに裸を晒したあと、再び天へ帰ったと軍から発表された。わたしの身辺に気を配ったのだと思ったが、今思えば、正体を不明にしておいたほうが都合が良かったのかもしれない。後のことを考えていたのだろう。


 とはいえ、そのおかげで、わたしは普段と変わらぬ生活へと戻ることができた。馬車に揺られながら、王立の女子学校へと通う平凡な日々。学友たちも先生たちも、誰も話題となったヌードモデルの正体を知らず、態度はいつもと変わらない。約束どおり債権放棄の通知書が国から届き、お祖父様が残した借金の返済義務もなくなった。ほんのひととき、女神という存在になったわたしは、日常を生きる平凡な少女に戻ったのだ。











「マリアちゃん、マリアちゃん……!」


 学校から家へと帰る途中、野菜店のおばさんに声をかけられた。


「おばさん、こんにちは」


 店の前でわたしはこたえた。いつもより気分が晴れやかなのは、気のせいかしら?


「聞いたかい? ヌードモデル様の話……」


「え、ええ……」


「我が国の救世主だねぇ、反乱軍と名乗る連中は、ヌードモデル様のお力を借りた兵隊さんたちに木っ端微塵にされたってさ」


「そ……そのようですわね……」


「なんでも、空へと帰って行かれたそうじゃないか」


「そ……そのようですわね……」


「でもねぇ、あたしゃ思うんだよ。ひょっとしたらヌードモデル様は、いつでもこの国を守るため、人間に化けて、サツマの何処かに住んでるんじゃないか、ってね」


「そ、そうなのでしょうか?」


「案外、近くに住んでたりしてねぇ」


「あ……これとこれ、あとこれをくださいな」


 慌ててわたしは、キュウリとアボガド、そしてレタスを指さした。


「あいよ、毎度あり」


 おばさんは、手さげの籠に野菜を入れて手渡してくれた。わたしは、お金を払って言った。


「今夜はサンドイッチでも作りますわ」


「そりゃあいい、美味しいものを作っとくれ」


「はい。では、ごきげんよう……」


 わたしは頭を下げ、ふたたび家路へとついた。大勢の殿方たちの前で裸を晒した羞恥心は、いまだ忘れられないが、今は平凡な毎日を繰り返すことで、その記憶を払拭していきたいと思う。











 ずいぶんと気温が下がった。着ている制服はすでに冬のものへと変わり、吐く息も、ときおり白くなる。夕焼けに赤く染まった空の下、わたしは家へと帰り着いた。


「あら……?」


 そして、思わず声をあげた。あの夜……わたしが裸を覗かれたあの夜、庭にいた野良猫が玄関の前にちょこんと座っていたのだ。


「まぁ、また来てくれたのね?」


 と、わたし。あのときは暗くてよくわからなかったのだが、栗色の毛を持つ猫である。なんとなく、リリィの髪色を連想させる。


 その猫は、わたしに気づくと、玄関脇から庭へと続くほうへ五、六歩駆け出し、そのあとこちらを向いた。


「なにもしやしないわ……うちの庭でおやすみなさい」


 にっこり微笑んでわたしは言った。今日は、あのときみたいに窓を開けるのはやめておこう。いや、今思えば、あの夜、逃げ出したのは、わたしの裸を覗いたあの男の気配を感じていたからなのかもしれない。なんなら、こっそり餌でも置いてやろうかしら?


「ねぇ、猫さん……」


 少し離れたところからわたしを見つめる猫に、こう問いかけてみた。


「わたしが、巷で話題のヌードモデルだと言ったら、あなた、信じてくれる?」






 〜第二章へつづく〜





 

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