3 決断……


 薄い水色のブラジャーとパンティだけの姿になったわたしは、姿見に全身を映してみた。リリィが“ヌードモデル様”と呼んだ秘密の身体。これを見た殿方は、驚異的な戦闘能力を発揮するという。だが普段、見慣れた自身の裸に特別な力があるなどとは思えなかった。


 わたしはブラジャーまではずした。布地から解放された胸がぷるんと顔を出す。たしかにここは、すくすくと育った。今の時点で85センチのDカップである。学友の女子たちからも、なかなかに大きいと評される。まだまだ成長するのかもしれない。


 わたしは後ろを向き、次に背中を鏡に向けた。ローライズタイプのパンティに覆われたお尻も結構、肉付きがよい。少し突き出して、腰を振ってみた。“将来、安産が叶う”と、からかわれたこともある。


 胸とお尻が、それなりに豊かである一方、ウエストは引き締まっている。背が高いほうではないが、我ながらスタイルは良いほうだと思っている。肌の綺麗さにも自信があった。血が通っていないのではないかと疑うほどに白い。


「ねぇ……マリア……」


 裸のままで鏡に近づき、ちょこんと座ると、鏡像に話しかけてみた。肩のあたりまで伸ばしたわたしの金髪は癖が強く、広がりやすい。裾を指さきでといてみた。


「本当に、そんな力があるの……?」


 その問いに対し、鏡の中のわたしはなにも言わない。只々、物憂げな顔をしているだけである。瞳は海の色に似て青い。


 リリィの話によると、わたしの裸を覗いたあの男は取り調べ中に“伝説の女神を見た"と何度も語ったという。それで、わたしの存在が発覚したわけなのだ。宰相様いわく、“それは伝説のヌードモデルに違いない”とのことで、今、召し抱えられそうになっている。戦争での大きな切り札となるらしい。


(断ろう……)


 と思った。やはり、大勢の殿方の前で裸を晒すことなどできるわけがない。そんな淫らなことをしたら、天国の祖父が悲しむ。あまりにも普通ではない。


 だが、ふと、その祖父が残した借金の額が頭をよぎった。とんでもないあの金額を払えるわけがない。このままだと、家も土地も差し押さえられてしまう。そうしたら、わたしはどうなるのか?


 “ただ、裸を見せるだけでいいのよ……?”


 鏡の中のわたしが、そう言ったような気がした。


 “触らせるわけじゃないわ。ただ、身体を見せるだけで、終わるのよ……?”


 迷いは幻聴を呼ぶのか? なんて……なんてことだろう。お金のために素肌を晒し、殿方たちの視線に耐えろとすすめる、もう一人のわたしがどこかにいるのだ。おそろしい……自分自身が怖くなってきた。


 この世界で、なんの力も持たない女が大金を稼ぐ手段は、売春しかないとよくいわれる。それとどっちがましだろうかと、ふと考えた。もっとも、娼婦に身を堕としても、容易に返済出来る金額ではない。時がたつほどに利息も増える。


 “知らない男に抱かれることと、知らない男に裸を見せることと、どっちが楽かしら……?”


 またも、幻聴。見せるだけ……晒すだけで、たったそれだけで、いいのなら……











 わたしが住む、ここサツマの国は、キンコー湾に浮かぶサクラ島を中心に、西のサツマ半島と東のオースミ半島に分かれている。昔は住みづらい土地だったそうで、祖父が生まれるもっと以前、一世紀近くも前、この国は上層の身分にある貴族たちが富を享受し、それを支えるため、平民以下の人たちは重い税金を課せられていたという。城下と、そこに隣接した町を離れれば、道には不衛生ななりをした者たちが行き倒れ、川には何十何百もの死体が浮いていたそうだ。夏になると、腐った匂いがあたりに充満していたと伝えられているが、当時の人たちは吐き気をもよおすことがなかったほどに、そんな過酷な環境に慣れきっていたらしい。


 ある日、首都サツマ市から陸路で二百キロほど離れたオースミ半島に、ひとりの若き革命家があらわれた。彼は片田舎の領主をつとめる貴族でありながら、民衆とこの国の未来を憂い、蜂起したのである。


 平和と贅沢に慣れきった貴族たちは、骨太な革命の士たちに抵抗できず、次々と撃破された。戦争の天才とも称された若き革命家は、その卓越した用兵手腕とカリスマ性を武器に、わずか三年ほどでサツマ市を陥落させた。悪政をしいていた国王は生き残った貴族たちとともに南サツマへと逃亡したが、やがて失意のうちに亡くなり、旧王朝派は降伏した。


 わたしが生きている今は、世界共通歴1503年。現在、サツマの国は内乱の渦中にある。かつて革命の始発点となったオースミ半島で、今度は旧体制派の残党が武装蜂起したのである。はじめは勢いが良かった反乱軍だったが、やがて国軍も盛り返し、現在、戦線は膠着気味のようだ。サツマの国はオースミ半島の最南から東部にかけた約三分の一ほどの面積を失陥していると聞く。











 サツマ半島とオースミ半島のちょうど中間にあるコクブ市。涼やかな秋風がそよぐなか、石壁と堀に包まれた城塞のてっぺんに立つ、ひとりの男性が高らかに演説を始めた。


「勇敢なる我が同胞の諸君!」


 よく通る第一声。それを聞いた人たちから歓声が沸き起こった。城塞の下、堀の外側にいる兵士たちの数は何人いるのだろう? 数千か、数万か? これだけの人々が戦地に赴く世の中である。


「聡明さと博愛の心に満ちた国王陛下のもと、我が国は平和と正義、そして自由を公約とし、もたらされる富と幸福のすべてを我ら国民に還元してきた!」


 城塞の上に立ち、演説をしていらっしゃる方は、このサツマの国の宰相様である。四十代半ばですらりとした長身。独身であらせられるため、国民に大変な人気がある。国王陛下がまだお若いため、文武の実権を握っておられる。


「昨今、革命軍などと名乗る非道の輩衆が、恐れ多くも国王陛下に反旗を翻し、国中を無用の流血に巻き込もうと画策している。今はまだ、獅子の足に噛みつく鼠程度の矮小な存在に過ぎないが、ひとくちの傷が危急存亡の事態を招くこともあり得る。芽は小さなうちに刈り取るべきなのである!」


 宰相様のその言葉に兵士たちは呼応した。


 “平和を脅かすとは許せん!”


 “今こそ、暴虐の徒を討て!”


 “我が国に栄光を!”


 “国王陛下万歳!”


 皆々があげる大声の渦を宰相様は右手で制し、再び話しはじめた。


「諸君らも聞いたことがあろう。この世が動乱するとき、天が女神を遣わすという伝説を……その女神が、我が国に降臨されたのだ!」


 その言葉に兵士たちは沸いた。戦争にたずさわる殿方の間では有名な伝説なのだろうか?


「その美しい裸は戦士たちの肉体を鼓舞し、魔法使いたちの精神を高揚させ、僧侶たちの禁欲すら崩壊させるという。伝説の“ヌードモデル様”が今、ここにおられる!」


 宰相様の言葉に大きな歓声がまきおこる。それがわたしにも聴こえてきた……











 城塞の屋上、外と扉一枚で隔てられた部屋に、わたしはいた。ここは普段、物見をつとめる兵士様が控える部屋だというが、今はわたしの控え室となっている。鏡に向かい、お化粧をほどこされた自分の顔を見た。真っ赤なルージュを塗られ、いつもより大人っぽい。海の色に似た瞳を強調させるようつけられた濃いめのアイシャドウも赤。普段と違い、我ながら色っぽいが、殿方はこういうのが好きだという。正直、自分に見えないほどに濃いメイクである。


 今までの人生の中で、これほどまでに人にかしずかれたことがあっただろうか?高貴なお方にしか縁がないという燃料で動く車に乗せられ、ここまで来たわたしは、侍女に囲まれ、いい匂いがするお風呂に入れられた。身体を拭いた後、大地の裏側にある異国の民族衣装に似た純白のドレスを着せられた。我々が日頃抱く女神の服装のイメージに近いものだが、胸元は強調されており、スリットは深く、太腿は丸見えとなる。化粧も服装も、これらはすべて“演出”なのだという。


 わたしは“脱ぐ”と決めた。悩んだ末の決断であった。迷いに迷った挙句、何度も断ろうと思ったが、多額の借金に追われる生活などおくりたくない。だから、そう決めた。


 リリィに連れられ、宰相様に謁見したときに確約をもらった。わたしが“ヌードモデル”として殿方の前で裸を晒すのは、ただ一度。それだけで……ただ、それだけで、国はわたしに対する債権を放棄するという。つまり、祖父が残した借金がなくなるのだ。


「ヌードモデル様……」


 背後で声がした。振り返ると、そこにリリィが立っていた。


「その呼び方は、やめてください……」


 わたしは元気なく……いや、最大限の気力を振り絞って言った。


「申し訳ありません、マリア様……」


 と、わびるリリィの顔も、どこか元気がない。同じ女だからこそ、これからわたしが味わう恥辱の度合いがわかるのかもしれない。大勢の殿方の前で、わたしは裸を晒すのだ。


「寒くはありませんか?」


「寒いですわ、とっても」


 リリィの問いかけに、わたしは、ぷいとそっぽを向いた。彼女に当たる道理はないのだが、気持ちが晴れないせいで、そういう態度になってしまう。


 ちなみに、今、わたしが着ている純白のドレスは極薄のシルクで出来ており、通気性が良い。今日は結構肌寒いので、すーすーする。


「頑張ってください……」


 と、リリィ。それだけ言うと、彼女はわたしから離れた。


 “諸君! 今日、これから見る女神の美しい裸をよく目に焼き付け、正義の闘志の活力とせよ! その残像を子孫の代まで残せ!”


 外では、宰相様の演説が続いていた。わたしは、お付きの侍女たちに促され、席を立った。


「行ってまいります……」


 わたしは言った。リリィはただ、頷いた。


 扉を開けてもらい外に出ると、肌寒くも良い天気であった。雲はなく、きらきらと陽光のみが大地に影を作っている。これからおこる物事を太陽が見守っているのだとしたら、ヌードモデルとは本当に、天から遣わされた存在なのかもしれない。


(ただ、一度……たった一度のことならば……)


 そう思い、城塞の上から見下ろすと、少し後悔した。屈強な兵士様たちの目が、わたしに大穴をあけそうなほどに見つめているのが感じられる。何万人いるのかしら? 歓声などはなく、ただ黙って皆が息をのんでいる。重苦しい沈黙だ。わたしは今、殿方たちの目に、どう映っているのか……


(天国のお祖父様……破廉恥なわたしをお許しください……)


 わたしは空を見上げ祖父に詫びると、両手を広げた。このシルクのドレスは、こうすることで縦に裂け、地面に落ちるように作られている。中には下着すら、つけていない。


 “ぱさり……”


 幾千、幾万もの視線の海の中、布ずれの小さな音がし、わたしは殿方たちに裸を晒した。胸も、股間も……わたしの、ありのまま、すべてを……

 

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