2 少女騎士リリィ
「お迎えにあがりました、“ヌードモデル様”……」
目の前に立つ少女騎士は、そう言った。“ぬーどもでる”? 聞いたことのない言葉だ。
「人違いではありませんか? わたしは騎士様に、お声をかけていただくような身分ではありません」
「いいえ、あなたはヌードモデル様なのです」
「その、ヌードモデルとは、なんなのですか?」
「乱れた世に、天が遣わした“切り札”なのです」
意味不明なため、会話が噛み合いそうにない。とりあえず、わたしは少女騎士を中へと入れた。外が思ったよりも寒かったからだ。
「ごめんなさい。なにぶん、ひとり暮らしなものですから、騎士様をもてなす用意がないのです……」
居間のテーブルに座る少女騎士に、わたしは淹れたての紅茶を差し出した。
「いただきます……」
などと彼女は言ったが、口をつける気配はない。わたしが腰かけるのを待っているようである。
リリィと名のった彼女。身分は軍部下のサツマ騎士団第16小隊所属、階級は少尉。さきほど、身分を証明する手帳を見て驚いた。わたしより一歳年下だというではないか。
栗色の髪を後ろでひっつめたリリィ、なかなかに美少女である。騎士団などに入らず、劇団で舞台女優でも目指せばよかったのに……と思わせるほどだが、人は見た目によらず。あとから知ったことだが、彼女は並みの男性騎士様では相手にならないほどの剣の使い手だそうで、徒手格闘術にも長けているという。背はわたしよりやや低いくらいで、痩せぎすに見えるのだから意外だ。
ちなみに“第16小隊”とは諜報、隠密活動を専門におこなう部署で、戦場を駆けるような存在ではない。たしかに騎士様と聞けば、ごってりとした鎧兜に身を包み、長い槍だの大きな斧だのを振り回す猛者を思い浮かべてしまうが、リリィは軽装である。襟付きで夏の木の葉と似た色をしたグリーンのシャツの下はタイトな黒ズボン。履いてきたブーツと腰にさしてきた長剣、左手のみに付けていたガントレットは玄関に置いてある。これは“危害を加える気はない”という意思表示でもあり、人の家に上がりこむ際の礼儀でもある。
「その、ヌードモデルというものを、わたしは知らないのです」
席につき、対面したわたしは、言った。
「我々の調査によれば、あなたはヌードモデル様に間違いありません」
と、リリィ。その口調は事務的である。仕事だからそうなのか、それとも普段からそうなのか。わかりかねた。
「ヌードモデルとは、一体……?」
「戦士たちの肉体を鼓舞し、魔法使いたちの精神を高揚させ、僧侶たちの禁欲すら崩壊させる、そんな存在なのです」
「わたしが、そうだとおっしゃるのですか?」
「はい。そこで、我が軍の勝利のため、ヌードモデル様にご協力いただきたいのです……」
「ですが、わたしは軍部に仕える皆様のような力など持っていません。やはり、人違いではありませんか?」
わたしは言った。リリィの言葉はしから、補助的な能力を有する魔法使いや僧侶のようなものだと思ったのだ。だが、“禁欲を崩壊させる”とはなんなのか? 気になった。
「……その……ひ、人前で……“晒す"のです……」
急になぜか、リリィは口ごもった。
「晒す?」
「はい……」
「なにを、ですの?」
「“身体”、です……」
「からだ?」
「……はい」
「からだとは、体……?」
「はい」
「人間、常に顔と体を晒して、外を歩くものですわ」
「いえ……そうではなく、その……」
リリィは整った顔を赤らめた。落ち着いて見えるが、やはり表情は歳相応に少女のものだ。
「は……“裸”を、晒すのです……」
数秒ののち、意を決したかのように彼女は言った。俯いていた。
「裸……?」
突拍子もないせいか、一瞬、意味がわからなかった。が、少しして、理解できた。
「つまり、あなたは、人前に出て、服を着ていない身体を晒せ、と、おっしゃるのですか?」
わたしは訊いた。リリィは、すまなそうに下を向いたままである。
「そ、そんなこと、出来ると思って?」
声が、うわずってしまった。
「あなたの裸には、さきほど申しましたとおり、特別な“力”があるのです」
リリィは言った。
「断ることはできないのですか? 軍部のかたの強制なのでしょうか?」
「勿論、できます。ですが……」
リリィは部屋を見回し、こう言った。
「あなたのお祖父様は、以前、鍛冶屋を営んでいらっしゃったと伺っております」
「ええ、何年か前まで。今は、閉鎖していますが、それとなにか関係が?」
「たいへん、腕がよろしかったとのことで、王室や当騎士団御用達の武器も発注させていただいておりました」
「たしかに、祖父は生前、よく話してくれましたわ。“俺の作った武器が、国家の武力を支えていたのだ”、と」
「実は、あなたのお祖父様の工場が経営不振に陥ったとき、国が援助をしていたのです。いえ、援助というより、貸付けです」
「それは初耳ですわ」
「そして、そのときの借金を、まだ返していただいていないのです」
リリィは言った。
「もし、ヌードモデル様のご助力をいただけるのでしたら債権を放棄すると宰相が申しております。現状、その借金は唯一の肉親であるあなたに支払い義務があるのです」
「そんな……」
わたしは、絶句してしまった。つまりリリィは、祖父が残した借金を帳消しにするため、わたしに脱げと言っているのだ。
「わたしが裸を晒す相手とは、その……?」
「戦場に赴く兵士たちです」
「念のためお尋ねしますが、殿方?」
「はい、あなたのお力は男性にしか通用しません」
またも絶句……数秒ののち
「リ、リリィさん……あなたも同じ女ならばわかっていただけると思うのですが……? 殿方の前で肌を晒すことに、どれだけの決意と覚悟が必要か……!」
わたしは思わず立ち上がってしまった。
「その借金とやら、ただちに返済しますわ! おいくらですの?」
祖父が残した財産がある。わたしはそれを支払いにあてようかと考えた。リリィは腰に下げていた革のポーチから一枚の紙切れを取り出し、よこした。それに書いてある金額を見て、わたしは目をまん丸くした。
「これ、本当ですの……? こんなに多額の借金が?」
そして訊いた。とんでもない借り入れ額である。とても払えるものではない。
「今、あなたが受け継いだ財産を充当しても足りません。利息も膨れ上がっています」
リリィが言った。事務的な口調だが、申し訳なさそうにしている。女同士だからこそ痛みがわかるのかもしれない。
「ヌードモデル様……」
「その呼びかたは、やめてください。わたしには、マリアという名前があるのです」
「すみません、マリア様……」
「だいたい、一体どうして、わたしにそのような力があるとわかったのですか?」
わたしは話を変えた。そうでもしなければ、おかしくなりそうだった。監視でもされていたのだろうか?
「ひと月と少し前、ここに“覗き魔”があらわれたと聞きました。マリア様から被害届が出ています」
リリィの言葉に、わたしは頷いた。親切なおとなりのご夫婦につれられ、近くの番所に届け出たのは、裸を覗かれた翌日のことだった。
「マリア様を覗いたあの男は、覗きの常習犯でした。彼は逃走を重ねた挙句、十日前に北方のイサ地区で捕縛されました」
「そうですか……」
わたしは、ほっと胸をなでおろした。あの、わたしの素肌を蹂躙した不気味な眼は、いまだに忘れられない恐怖だ。リリィの話は続く。
「お恥ずかしい話なのですが、あの男は以前、我が国の兵士だったのです。彼は追っ手の者たちを殴り倒しながら逃げ続けました。こちらの怪我人は重軽傷者あわせて五十人をこえました」
「まぁ、こわい……」
「なぜ彼が、それほどの戦闘能力を発揮できたのかというと、それは、あなたの裸を覗いたからなのです」
と、リリィ。ここではじめて、淹れた紅茶を飲んでくれた。遠慮してたわけでなく、猫舌だったからだと知ったのは、のちのことである。
「わ、わたしの裸に原因があるというのですか?」
と、訊いてみた。そういえば、あの男はこう言っていた。
“この世が動乱するとき、天は女神を遣わす、という伝説さ。その美しい裸は戦士たちの肉体を鼓舞し、魔法使いたちの精神を高揚させ、僧侶たちの禁欲すら崩壊させると聞く。てめぇはそんな女さ……”
“たった今まで、そんな伝説を信じちゃいなかったが考えなおすぜ。みなぎってきたんだよ、てめぇのその、身体のせいでよォ……!”
リリィは一時間ほどで帰って行った。わたしがしぶったからだ。本当は今日中にでも城に連れてゆき、宰相様に会わせたかったようだ。後日、また来ると言っていた。
(ヌードモデル……わたしの身体の秘密……)
わたしは自室に置いてある姿見を見ながら、しばし物思いにふけった。縦長の鏡の中に全身が映る。今は、ゆったりとした格好をしているため、身体のラインなどわからない。
殿方の兵士たちの前で、この身体を晒すこと。つまり戦争に加担しろと、リリィは言っていたのである。そうすれば、兵士たちの戦闘能力は向上する。それが、わたしの身体の秘密であり、ヌードモデルとしての能力であるという。
(本当に、わたしにそんな力があるの……?)
鏡の中に立つ自分に思いを投げかけた。もっとも、その中にいるわたしも、憂鬱な表情をしている。それは当然のことだが、誰にも聞いてもらえないということが、これほどまでにもどかしいとは……
わたしは姿見の前でシャツのボタンを外しはじめた。あらためて自分の身体を確認しようと思ったのだ。脱いだシャツはベッドの上に置き、続いて、くるぶしまであるたっぷりパンツをするりとおろした。
目の前に……鏡の中に下着姿のわたしがいた。リリィが“ヌードモデル様”と呼んだ、秘密の身体である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます