ep.4-7 誘う波音


 一方、ルミナを会議室からルミナの自室へと運んだソーマは、いまだしがみついて泣くルミナをどうしたらいいか迷っていた。

 がっしりと腕と脚をソーマの背に回してしがみ付く様は、傍から見れば滑稽こっけいだっただろうが、肩口に押さえつけられた場所が涙でぐしょぐしょに濡れて、直接身体に嗚咽おえつが響く状況に、ソーマは文句も軽口も吐けなかった。

 ヒックとしゃくりあげる、まるで赤子のようなルミナを抱えてとりあえずベッドの傍まで寄ったソーマは、何とも言えない居心地の悪さとざわつく胸中に我慢ならず舌打ちをする。

 その音にびくりと肩を震わせるルミナを見て、しまったと柄にもなく思うと、またその思いにも余計腹が立った。


「おい、いい加減離れろ。……オラ、ベッドだ。寝ろ」

 これ以上わずらわしいのは勘弁だと、ソーマはしがみつくルミナの腕を剥がす。

 渋るルミナをなんとか引き剥がしてベッドに沈ませると、荒っぽいながらもどことなく優しい手付きで、ふわふわの羽毛が詰まったやわこいものをルミナの口元まで引っ張り上げた。

 未だすんすん言ってるルミナの赤くなった鼻と、まだ止まらない涙をいっぱい溜めて――溜め切れない分はぼろぼろと零しながらも此方を見る大きな瞳。

 それらから視線を剥がして、苛々とソーマは立ち上がった。

 そのまま部屋を出ようと足を踏み出すが、再び上がった泣き声にそれは阻まれる。


「…んだよ、」

 結局ルミナのベッドに腰を落として、ソーマはげんなりとした様子で声を出した。

 ルミナはまたひっくひっく言いながら、しかし、なにかを紡ごうとする。

「あ? んだよ、なに言ってっか分かんねえよ……」

 しょうがねえ、とルミナの顔に耳を近づけるとルミナは辿々しく喋り始めた。

「あ、のね、あ、あたしのね、おと…さんね、とっても好きだった、の。だい好き、だったわ……」

 なにを言うのかと思えば父親の話か。ソーマは聴く気が失せるのを感じたが、そのまま耳を傾ける。

「でも、おとさ、死んじゃって、……すご、っかなしくて、」

 なのに、とルミナは続ける。

「なのに、ど、して……? ブレイ、いらないの…? おとう、さ、なのに…たった、ひとり、ひとりだけ…の…かぞく、じゃない……っ」

 くしゃりと歪む顔。

 言葉は不明瞭で聞き取りにくかったが、ルミナの言いたいことは理解できた。

 ルミナはブレイとその父の間の深い溝と、それを満たす憎悪に泣いているのだろう。――本当に自分が理解できたとは言えないかもしれないが。

「…そうだな」

 同情しているように聞こえればいいと思いながらソーマは相槌を打つ。

「かぞくなのに、…失くしたらもう、…戻ってこないのに。おじ様は、それをよく…、知ってるはずなのに……」

 これはルミナの言うとおりだった。失くしたら、もう二度とこの手には帰らない。

 それが分かっているから、――分かっていてそれを止められない者も存在するということを、この幼いお嬢さんはまだ知らない。

「ああ…そうだな……」

 発した自分の声が思うより低くて、ソーマは冷やりとしたがルミナは気付いていないようだった。

「……寝る」

「寝ちまえ」

「起きるまで、ここで待ってて」

 すん、と鼻を啜ってこのワガママ姫はさも当然のように命令する。

「は、やなこった」

「ばかソーマ。……いてよ」

 そう言ってルミナは羽根布団から手を伸ばすと、ソーマの長い赤い髪を捕まえた。

「……おやすみ」

 そう言うと、ルミナはもぞもぞと布団を頭まで被って、それきり喋らなくなった。

 時折、くいと引かれる髪に気を取られながらソーマは溜息を付くと、そっぽを向いたルミナの頭を大人しく眺めることにした。






 今日はやけに日が落ちるのが早い。

 まだ夕刻だというのに空はもう薄暗い。鉛色より重い重厚な雲が紺と紫、橙に滲んだ空を塗り潰して空を小さく閉じ込めていた。


 城の中を走り回り、ひとつひとつ扉を開けてはまた次の扉に手を掛け……というのを繰り返すソカロであったが、ブレイの姿はどこにも見当たらない。

「……城の中にはいないかも」

 ソカロは顎に流れた汗を手の甲で拭うと、城門に向かって駆け出した。



 城外に出てどこへ行こうかとソカロが頭を悩ませたのは一瞬だった。

 ふと目に映った海に呼ばれるように海岸への道を駆け下りる。

 海に近付くにつれ、海風はソカロの頬を撫でるように、慈しむように包んで空へと還る。

 鼻に香る潮の匂いは柔らかく、聴こえる波音はあやすようで、全てがソカロを海へと呼んでいた。


 暗い海は少々波が高く、今日は満ち潮だった。

 真っ赤な陽が海に溶けるように沈んで、それを覆うように迫る夜の帳はとても美しくて、ソカロは思わず息を呑んだ。

 薄暗い砂浜を駆けながら、ソカロは自分の主人を探す。

 はあはあと自分の息遣いがうるさくて、跳ねる心臓がわずらわしくて、ソカロは胸を掻きむしった。

 と、その時視界の端、薄暗い中に一際暗い影――海へと突き出した船を繋ぐ為の長い桟橋が映る。その橋の先で動く影を捉えてソカロは目を見開く。

「……ブレイ」

 姿形などこの距離と暗さでは判別など到底出来そうもなかったが、ソカロにはブレイに違いないという確信があった。

 唇をぎゅっとかみ締めてソカロは真っ直ぐ、砂浜に足を踏み入れ、桟橋へと走り出した。





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