ep.3-23 王の語る真実



「……腐敗は根絶すべきだからだ」


 ゆったりとした、低く、心に暗く影を落とすような深い声。

 その何処からともなく聞こえた声にブレイは真に震え、臓腑ぞうふをじわじわとよじられるような、苦しさを覚える。心が張り詰めて痛いほどだった。

 頭に反響して心身に沁み渡るその声の持ち主は、ブレイを瞬く間に支配してしまった。


 ――その声を彼はよく知っていた。

 その声で自分の名が呼ばれるのが嬉しかった。そして否定されることを恐れた。

 ――その声の主を彼はよく知っていた。

 憧れ焦がれ追い付きたかった、その背中。しかしすがることなど許さない遠い背中。

 自分の中に深く深く食い込んだ絶対的な存在として、そしてこの世界にとっても絶対的存在として玉座に座す者。漆黒の髪、蒼い鷲の眼。

「とう、さん……」


 肺から息を絞り出して呟いたブレイの目の前に、この国の絶対なる帝王の、まるで蜃気楼しんきろうのようなおぼろ姿があった。


「久しいな、ブレイトリア。どうだ、変わりはないか?」

 突如としてサマルの背後に現れたのは、このフィッテッツオ帝国が王、ジュリアス・パッセ・ディスプロ。――ブレイの父である。

 所々、陽炎かげろうが揺らめくようにぼやけ、また端々はしばしのシルエットが引き伸ばされるように引きれ切れてを繰り返し、通常より幾分色素の薄い姿であらわれた王は、まるで幻覚を見せられているかのようだった。

 しかし驚きに身を固くし、動けないブレイにはそれが実体であろうがなかろう関係ない。偽者だと疑う余地もない。彼の全身がこの人物を王であると叫んでいた。


 彫像のように動かなくなったブレイとは違い、サマルはすぐさま脇へ退しりぞくと、その場に片膝を突き忠誠を表す伏礼をとる。

 王は辺りを見回すようにゆっくりと首を回すと、その鋭く冷めた視線を崩れた家屋や燃え上がる空へと巡らせる。

「……接続がかんばしくないな。後でアルタイルの調整が必要だろう」

 一通り辺りを確かめると、ジュリアスはようやくブレイへと目線を合わせる。

 その捉えられた眼光に、ブレイは目線を逸らそうにもそれが叶わない。

 頭の中はさざめく言葉で埋め尽くされていたが、ひとつも発することが叶わなかった。

 よって、彼は父王の言葉を待つより他に無く。その様子を見てジュリアスは卑下の余韻を十分にまとってブレイへと言葉を落とす。


「どうやらしぶとく生き延びているようで何よりであるな、息子よ。言葉は発せずとも随分とたくましくなったものだ……」

 その言葉の冷重れいちょうさにブレイは俯きそうになるが、それをこらえて冷たい父の蒼い眼を見ていた。


「どうだ? セレノは最近落ち着いていると聞いているが。イズリエンの侵攻が緩んでいるのであらば、こちらから進軍すべきであろうものを……」

 落胆の声に、しばしの沈黙。そして思い出したかのように片眉を上げた帝王は続ける。

「ああ、そういえば小さな内乱があったそうだな。指揮官が敵の手に落ちるなど嘆かわしい。我が国の威信いしんにも関わる忌避きひすべき事態だ。暗殺者を取り逃がし、挙句あげく、城内への侵入を許す。ブレイ、お前もちたものだな」


 続く父の言葉にブレイは眉根を寄せ、込み上げる恥辱ちじょくを無理やり押し込めた。それでも瞬きもせずに彼王を見据え続ける。

 その態度にいささか興を削がれたジュリアスは、もう少々、直接的な言葉で彼の心をえぐることにした。

「息子よ…、ネーヴに喉元を奪われた気分はどうであった?」


 その言葉に最初は疑問の表情を浮かべていたブレイだったが、徐々に背筋を戦慄せんりつい上がってくる。

 そのおぞましい事実がようやくくブレイの震える喉を焼ききった。


「何故…父上が……そのことを? それに奴の名を…奴は……ネーヴは帝都に着いた瞬間、逃亡をはかりその場で処されたのでは…」

 すがる様な瞳で、不審のにじむ声色で、それでも否定して欲しいという、願いの混ざったその言葉に、ジュリアスは口元が釣りあがるのをむず痒く感じながらも平静を装おう。

「それは虚偽の情報だ。我が尖兵せんぺい、ネーヴは私の元へと自らの足で向かい、事の仔細しさいを伝えた後、負い切れなかった責を自らの安い命でまかなったのだ。……そう、お前を観察し、私の満足のいかないようであれば暗殺するという任をな」


 その言葉にブレイは全身の毛が逆立つのを感じた。と同時にたまらずに叫んでいた。


「嘘だ!!!」

「嘘などついてどうするというのだ。これが事実だ息子よ」


 だが無情にも王は言い放つ。

 その淡々とした、わざとらしい、残念がるような声色に、ブレイはこれ以上は開かないとほど真円に見開いた眼で、紅蓮を背負いそびえ立つ闇色の人影を映す。


「嘘だ……嘘だ……嘘だ! そんなの、全部……!! 父さんがそんなこと、する理由なんか…!」

 目を閉じ、かぶりを振るブレイは形振なりふり構わず叫び散らす。

「……そうだ。そうだ、その女だ…。そこに居る女が仕組んだんだろう……この街の惨状も、何もかも!」

 はは、と引きった笑みを震えながらも浮かべて、ブレイはサマルを指さす。

「お前の所為だっ!父をかどわかし、一体何を企んでいる!!」


 完全に思考することを放棄した、ブレイの無茶苦茶ななすり付けに、サマルも頭をもたげる。

「貴様…!」

 噛み付くようなサマルの言葉を留めたのはジュリアス王の一言であった。


「サマル」

 名を呼ばれた途端、サマルは憤怒の感情を取り下げ、静かに敬愛する王へとこうべを垂れる。

 ジュリアスはそれを見やることなく、はっきりと侮蔑ぶべつあらわにした眼でブレイを見下ろすと、耳を塞ぎ、肩で息をする哀れな子供へと真実を甘くささやく。


「ブレイトリア…貴様がそこまで愚かな子だとは思っていなかったが……。いいか、よく聴くのだ。哀れなお前に全てを教えてやろう」


 その台詞にブレイは耳をきつく塞ぐが、それに反して聴覚は研ぎ澄まされていく。

(そんなもの聴きたくない!)

 ブレイの張り裂けそうな叫びは音にならず、頭の中でしか反響しない。

 そして王の口からは暗澹あんたんたる彼の思惑が語られる。


「ブレイ。私はこの世などどうでもいいのだ。いま私の手に出来ないものなど、何も無い。全てはこの手の中だ……。」

 ふう、と重い吐息を漏らしてジュリアスは虚空を見つめる。

「しかし全てを掌握してそれがどうだという? ……ああ全てがうとましく、退屈だ。何事も私の満たされないうつろを塞ぐことなどできやしなかった。そんなものは存在しなかったのだ。それをひどく詰まらぬと感じるのは、当然ではないか?」

 ジュリアスは彷徨さまようように歩を進め、地にすブレイを見下ろす。

「……中でも自らに溺れ、牙をく者は特にうとましく憎らしい。トランジニアには汚らわしい悪食あくじきうじが付いた。……そんな腐敗したもの等、私には要らない。小さな腐敗を放置すれば、瞬く間にそれは体を毒し、朽ち果てよう。ならば体全てを焼き払ってでも浄化すべきなのだ」


(聴きたくない聴きたくない聴きたくない。こんなこと聴きたくない!)

 ブレイはきつく耳を塞ぎ、その先を聞かずに済むよう、体を丸めて縮こまる。


「王は民の命をなんだと思っているのか――と、誰かが昔に言ったが。民の命だと?   そんなもの考慮すべきものであろうか? そんな価値が奴らにあるとでも?」

 ジュリアスはわざと一考するような間を挟むが、次の瞬間、表情を醜悪しゅうあくゆがめて口を開いた。

「……高貴な血も矜恃きょうじも持たず、群れて腐敗をすすめる下賤げせんねずみ達が…! それは思い上がりだ、許しがたき傲慢ごうまん!!」

「それだけで奴等に生きる価値など無い! 選ばれた者に価値を付加されやっと意味を見出す!!」

「……そう。奴らは我が退屈な玩具がんぐでしかない。玩具として存在を許されるのだからまだ良いだろう?」


 静かな怒りが、言の葉を重ねる度に膨れ上がっては暴れるように吐きだされ続ける。それを浴びながら、ブレイは視界を潤ませながら願っていた。


(ああ、どうして、どうしてどうして!)

(それを言ってはいけない。貴方の口で言ってはいけないのに!)

(貴方がそうやって全てを壊してくから、僕はもう隠しきれない)

(隠してもきっとばれてしまう。全てが皆にさらされてしまう)



「こんな詰まらぬ世界なぞ、人間なぞ!」

(どうか、)



「どれだけ壊れようが!!」

(お願いだから、)



「海を染める程の血が流れようが!!!」

(これ以上は…!)



「全て!!!!」







「……俺には興味など、無い」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る