ep.3-24 共犯者


 言い放たれた言葉はブレイを壊すのに、充分過ぎるものだった。

 ギリギリのところで必死に繋ぎとめていた、か細い糸は呆気なくぷつりと切れた。

 父を信じたいが為に、不安を押し隠し、自らをもあざむく為に張り続けた虚栄の糸。

 寄るの無い、荒唐無稽こうとうむけいな言い訳で塗り固められた土台が、彼の守りたい世界の支えであった。その不安定な足元はいつ崩れてもおかしくはなかったが、それを支え続けたのはブレイの強靭きょうじんでいて危うい真っ直ぐな願いと、引き返せない焦燥。

 『自分は父に必要とされている』愛された子供なのだという、幼子を言い聞かせるような必死の思いであった。

 しかし、父のすべてを拒絶する言葉に、今まで瞼を閉じとしてきたそれらを突きつけられ、逃げ場もなく正面から向き合わされた時。

 ――ブレイの足場は崩れた。


 一部が崩れはじめれば、あっけない程にすべて簡単に崩れ落ちていく。

 抜け殻と化したブレイは、力なくその場に崩れ落ちた。一切の希望も灯らない。暗く淀んだ瞳には空の紅蓮と漆黒だけが映る。

 その口から小さく、ぽつりと言葉が紡がれた。

「父上は…父さんは……僕をも、うとんでいるのですね」

 それに王はにべも無く応じた。

「そうだ。お前に愛を感じられない。そしてその存在がひどく疎ましい。――だから私はお前を東極部の激戦区へと立てたのだ。無能の部下と共に。しぶとく功を立て、生き延びてきたが……。しかし、お前が生きていようがいまいが、今やどちらでもいい。私とお前との間には何も見出せなかったのだから」


 その言葉にブレイはただか細く「そうですか」と発し、それ以上の反応を示さなかった。

 他の言葉を待ったジュリアスだったが、視線を遠くにやったまま喋らないブレイに、今度は自ら言葉を投げかける。


「これから私はイズリエンへの総攻撃を掛ける。アーセンの血を流した罪は殲滅せんめつを以ってしかあがなえぬ。――セレノは激戦区となる。特軍を指揮下から外し、サマルの配下に置く」

 その後も淡々と指揮系統の変更や部隊再編の話をするジュリアスに、ブレイは沈黙したまま何の反応も見せなかったが、一通り命を下した王が話を切り上げようとする寸前、口を薄く開いた。

「ルミナは……特軍から除隊して貰えますか」

 反応が返るとは思わなかったジュリアスは動きを止め、しばし息子の旋毛つむじを眺めた。

「それは受け入れぬ。あれは、あの娘が望んだのだ。……アレクセイの忘れ形見が」


 その言葉にブレイの砕けた欠片が瞬時に熱を帯びる。

 なけなしの心の断片が形作った感情は一瞬の炎。怒り。


「忘れ形見…? 貴方がそれを言うのか! 置き去りにした、の間違いでしょう、貴方がルミナの父を、自らの親友を手に掛けたのだから!」


 ブレイの漏らした言葉にジュリアスの片眉が足り上がる。

 怒りとも悲しみとも付かない表情を一瞬見せたかと思うと、次第にくつくつと低くわらいを響かせた。


「くくく、そうか。ブレイトリア……。お前は知っていたのだな、アレクセイの死の真相を。なのに……お前は私の行為を露呈ろていもせず否定し、いぶかしむ下官達を黙らせていたのか!」

ジュリアスは体をくの字に曲げて笑い続ける。

「く、ははははははっ、なんと愚かな! お前は自ら真実に蓋をしたのだろう? 幼き少女をあざむき、自らそれを掻き消した貴様に、私をそしる権利などない。……同罪。そうだな、お前が殺したも等しいではないか」


 その事実は痛いほどにブレイをさいなんできたものであった。

 そう、彼は父が行ってきた非道や間違いに、瞳を閉じ、耳を塞いできたのだった。

 そして逆に、父を非難する者を糾弾きゅうだんし、退しりぞけてきたのである。

 ――ブレイにとって父は誇るべき英雄だった。

 文武に優れ、政治的手腕をも持ち得、アーセンをイズリエンから解放した、皆が誇り愛する三英雄の一人。

 そして時折母に見せる静かな微笑と、自分の頭を撫でる大きな手。

 彼のようになりたかった。追いつくべき遥かな目標であった。

 ――どんなに彼に黒い噂が流れようと、どんなに非道の粛清が行われようと……それは間違っていると感じても。

どうしても信じていたかった。守りたかった。

 自分だけはいつまでも父の傍で、味方で居たかった。

 それ故の黙認。

 それは決して許されることではない。

 しかしひとえに彼は――父を従順なまでに愛していたのだった。


 そんな、ブレイのささやかな父への反抗は高く付いた。人に触れられることを恐れて隠してきた真実を、その本人から直接抉られる。心臓から吹き出す血が、自分の視界すら覆う。しかし、もう何も感じないはずの心に一瞬燃え広がった感情。

なけなしの気力を振り絞って外へ出さずにはいられなかった感情。

 彼は父を亡くした彼女の、深い悲しみと傷をずっと傍で見てきたのだ。ルミナのことだけは、見ないふりをしたところで、どうしたって肯定することはできなかった。


「……お前の言う通り、私はアレクセイを殺してこの玉座に座っているのだ。まったく、退屈な、――この絶対者の地位に」


 しかしそう言い切った父を見て、ブレイは何もかも諦めた。

 ただ疲れていた。悲しいとか悔しいだとか言う感情もない。何も感じない。

 ただ、そう言い捨てた父の瞳が、狂った色も激情も浮かべていないことが酷く――。


 酷く……なんだろうか。

 いま自分が抱えるこの感情を、思いを、なんと例えればいいのか。疲弊しきったブレイには分からなかった。

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